三人の名付親の紹介:1948年アメリカ映画。逃走中のあるできごとがきっかけで、3人組の強盗は、生後間もない子の名付け親になりました。3人はその後も逃走を続けながら、育児に専念します。武骨な男の手による子育ては、以外にも繊細さを競う結果になりますが、追手はじりじりと背後に迫っています。極限状況下における男3人の珍道中と子育てが見どころです。
監督: ジョン・フォード 出演者:ジョン・ウェイン(ボブ/ロバート・ハイタワー)、ハリー・ケリー・ジュニア(キッド/ウィリアム・カーニー)、ペドロ・アルメンダリス(ピート/ペドロ・エンカラシオン・アランゴ)、ワード・ボンド(保安官スイート)、メエ・マーシュ(保安官の妻)、ドロシー・フォード(ルビー・レイサム)ほか
映画「三人の名付親」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「三人の名付親」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
三人の名付親の予告編 動画
映画「三人の名付親」解説
この解説記事には映画「三人の名付親」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
三人の名付親のネタバレあらすじ:起
旅路を急ぐ西部の男3人。馬にまたがり目的地を目指しています。どうやら3人は、ひと儲けしようと銀行強盗を企んでいます。体格のいい年長のボブ(ジョン・ウェイン)は仲間の頭。続いてメキシカンのピート(ペドロ・アルメンダリス)。そしてカウボーイ姿のヤンチャなキッド(ハリー・ケリー・ジュニア)。いずれも、ちゃちな牛泥棒です。
3人は、アリゾナの町へたどり着きます。気やすい挨拶に応じる3人に保安官のスウィート(ワード・ボンド)、銀行頭取の娘ルビー(ドロシー・フォード)が親しく声をかけてきます。住人たちをうまく手玉にとった3人は、銀行襲撃を成功させますが、3人の正体を知った保安官は激怒します。さっそく有志を募り追手をかけてきます。
町を出た3人は、アリゾナの砂漠へ出ます。炎天と熱砂の中、「水場」には、早くもライフル銃を手にした追手が待ち構えています。遮るものひとつない原野では、水場に近づくことさえ困難です。銃撃戦が必至のこの場を避け、3人は次の水場を目指すことにします。
三人の名付親のネタバレあらすじ:承
足を向けた先の「北の水場」は干上がり、水1滴ありません。脇には幌をかぶる荷車が置かれ、見ると中では妊婦が産気づいています。夫の消息は知れず、母子も生死の瀬戸際にいます。強盗団をいったん棚上げにした3人は、母体から嬰児を取りあげます。そして産後、無念にも逝った母親を野辺に送ります。
ロバート・ウィリアム・ペドロ。死をまえに母親が口にしたわが子の名まえです。ボブとキッドとピート、男たちの本名が順に並べられています。しがない牛泥棒から一獲千金に走った牛追いたちは、奇しくも見知らぬ子の名付け親になりました。
3人を追う保安官スウィートは、砂漠に点在する「水場」をもとに捜索の手を拡げています。しかし逃走中の動線が途切れ、行方が知れなくなっています。それもそのはず、3人はいま、砂漠のど真ん中で子育ての真最中です。男たちの育児は、3人3様の生い立ちとおなじく、意見の食い違いがみられますが、「命に賭けても」と誓う懸命な子育てです。
三人の名付親のネタバレあらすじ:転
サボテンの絞り汁と粉ミルクの在庫が切れ、いよいよ「北の水場」をあとにします。若いキッドが口にします。「俺たちは、星に導かれている」と。母親が遺した聖書を手に取り、キッドは読み上げます。「・・お清めが終わると、彼らは赤子をエルサレムへつれてゆき、主に捧げた」と。このまま捕まり刑務所へ行くか、それとも聖地・・。
星の導きを信じた3人は、聖書を手にまだ見ぬ地へ向かいます。馬はなく徒歩、水筒には限られた量の水しかありません。腕に傷を負ったキッドは体力を消耗させ、生後間もない子も、いつまで体力が続くか、気がかりです。まさに信仰心を問う巡礼の旅となりました。
キッドが倒れます。キッドは聖書の1節を唱えて永眠します。しかし、亡骸を葬る暇さえ、いまは惜しむ状況です。ボブとピートは、祈りひとつ捧げてすぐにまた聖地へと足を踏み出します。
さらに、ピートが倒れます。「あとひとつ」と数えた山の手前でピートは足を骨折します。山越えを断念するピートに、ボブは腰の拳銃を手渡します。群がってくるハイエナを避けるためでしたが、ボブが子を抱きしめ、背を向けた途端、ピートの引いた銃声が轟きます。ボブの耳に届いたその轟音は、道半ばにして最期を遂げる男の無念の号泣です。
三人の名付親の結末
ボブに残されたのは、使命感です。そして、わが子。吹きすさぶ強風にも屈せずボブがひたすら前へ進むのは、聖地を踏むことなく倒れた仲間の志を汲むからです。わが子をかならず聖地へ送り届けること。願いはひとつ、ボブの体に託されています。
山を越えた晩、ボブとわが子ロバート・ウィリアム・ペドロは、町へ到着します。町の人たちは、クリスマス・イブの晩に突然現れた嬰児を祝福します。ボブは使命を達した安堵から倒れ伏し、その晩に、保安官スウィートに身柄を拘束されました。
のちにロバート・ウィリアム・ペドロは、保安官スウィートの姪の子であることが分かります。名付け親のボブは養育権をスウィートに譲りません。ただし、「刑務所にいる間は」と笑顔で代理を依頼します。刑務所へ向かう日、保安官の姪の子を救ったボブを町中が見送ります。銀行頭取の娘ルビーは、ボブに懸命に手を振り、再会までの別れを惜しみます。
以上、映画「三人の名付親」のあらすじと結末でした。
このジョン・フォード監督の「三人の名付親」の原題は、「3GODFATHERS」で、フランシス・F・コッポラ監督の名作「ゴッドファーザー」が公開される24年前、1948年の映画で、ウィリアム・ワイラー監督の「砂漠の生霊」のリメイク作なんですね。
三人のアウトローが、銀行強盗をやるつもりで、西部の町に現われるところから、この映画は始まります。
ジョン・ウェインが頭目で、キッドと呼ばれる若い男(ハリー・ケリー・ジュニア)とメキシコ人(ペドロ・アルメンダリス)が仲間だ。
町に着いて早々、彼らは庭いじりをしていた中年男(ワード・ボンド)と知り合い、彼の妻からお茶をご馳走になる。
夫婦は、姪とその夫がニューエルサレムという町からこちらに向かっているのに会わなかったかと聞く。
別れ際に男が革のベストを身につけると胸に輝く銀の星——。
三人はギョッとする。
この三人は銀行を襲って逃げ、ワード・ボンドの保安官は助手を募って彼らを追う。
逃げる途中で水を失った三人が、水場に現われると予想した保安官は、いくつかの水場に先回りして見張りを配置するのだった。
三人は保安官の裏をかこうと、砂漠を横断して別の水場を目指す。
しかし、逃げる時に撃たれた傷がもとでハリー・ケリー・ジュニアは弱り、おまけに眠っている間に馬が逃げ、徒歩で裁くを渡らなければならなくなる。
砂嵐に襲われ、喉の渇きに耐え、やっとの思いでたどり着いた水場は、より深い井戸を掘ろうとした愚かな男によって、ダイナマイトで破壊されていたのだった。
その男は死に、身重の妻が動かなくなった幌馬車に残されている。
その妻も瀕死の状態だった。
かつて我が子の出産を経験したことがあるペドロ・アルメンダリスが赤ん坊をとりあげる。
ジョン・ウェインは、サボテンから少しずつ水分を絞り取り、赤ん坊に飲ませる。
妻は、三人の名前を確認し、名付け親になって欲しいと言い残して息絶えるのだった。
同じ頃、ある鉄道の中継地で保安官は、昔なじみの老婦人と会い、冗談を言い合うが、その時に「メリークリスマス」という言葉があり、ここで我々観ている者は、初めてこの映画がクリスマスの話なのだと知ることになるんですね。
生まれたばかりの赤ん坊を腕に抱える若い妻、立ち会う三人の男、そして、彼女が出発した町はニューエルサレム—–、そう、この西部劇はまぎれもなくキリストの生誕をベースにした、クリスマス・ストーリーなんですね。
赤ん坊を抱えた時から、この悪党三人は次第に変わっていく。
幌馬車の中に残されていたバイブルを読んだハリー・ケリー・ジュニアは、バイブルの中の彼らは、赤ん坊をエルサレムに連れて行く使命を負ったのだと言う。
つまり彼は、自らを”東方の三賢人”になぞらえているんですね。
自分の体が弱っているにも拘わらず、ハリー・ケリー・ジュニアは、子供を抱え、守り、「水を飲め」というジョン・ウェインに「この子の水を盗めるか」と拒否する。
銀行を襲い、町中で銃を撃ちまくった「三人の名付親」の無法者たちも、いつの間にか自分を棄て、赤ん坊のために生きる。
ハリー・ケリー・ジュニアは、赤ん坊のために自分が水を飲むことを拒否して死んでいく。
そして、最後に残った大男のジョン・ウェインが赤ん坊を抱き、ヨロヨロと歩く姿から”無私の行為”とでも呼ぶべき何かが伝わってくる。
自己を棄て他者のために生きる美しさが身に迫る。
このように、ジョン・フォード監督の映画には「詩情あふれる—」と形容される繊細な優しさが、いつも漂ってきて、どの映画も美しい。
「映像の詩人」と呼ばれるほどであり、映像の美しさはもちろんですが、それ以上に人間の美しさを描き続けてきたと思う。
それは、生き方の美しさであり、人の心の美しさなのだ。