俺たちは天使じゃないの紹介:1989年アメリカ映画。なりゆきで神父になりすました脱獄囚が騒動を起こしていくコメディ作品。1935年、窃盗犯ネッドとジムは収監されていた刑務所から脱走してしまう。小さな町にたどり着いた彼らは、いくつもの偶然が重なり神父として身を潜めることになった。逃げる機会を窺う2人に思わぬ事態が次々襲いかかる。
監督:ニール・ジョーダン 出演者:ロバート・デ・ニーロ(ネッド)、ショーン・ペン(ジム)、デミ・ムーア(モリー)、ジェームズ・ルッソ(ボビー)、ホイト・アクストン(レヴェスク神父)ほか
映画「俺たちは天使じゃない」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「俺たちは天使じゃない」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
俺たちは天使じゃないの予告編 動画
映画「俺たちは天使じゃない」解説
この解説記事には映画「俺たちは天使じゃない」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
俺たちは天使じゃないのネタバレあらすじ:偽神父
舞台は1935年アメリカ、カナダ国境近くの州刑務所。窃盗罪で服役中のネッドとジムは、殺人犯ボビーの死刑に立ち会うことになってしまいます。ところがボビーは一瞬の隙をついて刑務官を射殺し脱走、なりゆきでネッドとジムも一緒に逃げる羽目に。刑務所の外に飛び出した3人は吹雪の夜を必死に走ります。翌朝、ボビーとははぐれてしまったもののネッドとジムは脱獄を果たしました。ジムは「旅人には親切にしなければいけない」という聖書の言葉が印刷された貼り紙を見つけます。そこに老女が車で通りかかり、何者かと問われたジムは咄嗟に貼り紙の聖書の言葉を口にします。すると老女は2人を神父だと勘違いしました。彼女の住む小さな町には大きな橋があり、その向こうにはカナダの国境税関があります。雑貨店で税関の様子を窺うネッドとジム。ジムは猟銃の広告を興味深そうに読み始めました。先ほどの老女がカナダへ買い物に行くと聞き、荷物持ちを買って出た2人は税関に近付きます。そこへ修道院の院長レヴェスク神父が現れ、ネッドとジムを来訪予定のある高名な神学者だと勘違いします。もう少しでカナダというところで2人は町に引き戻されてしまいました。
俺たちは天使じゃないのネタバレあらすじ:モリーと彼女の娘
礼拝堂に案内された2人は、涙を流す奇蹟で知られる「涙の聖母」像を紹介されました。ネッドは税関を突破する機会を窺っていましたが、浮気をして婚姻の誓いを破ったと嘆く男に縋り付かれ、浮気相手の家へ行く羽目になります。ところが浮気相手のモリーは反省する気配など微塵もなく、2人をさっさと追い払ってしまいます。彼女は耳が聞こえず、口もきけない障害を抱えた娘を女手一つで育てていました。そのために体を売って金を稼いでいたのです。
俺たちは天使じゃないのネタバレあらすじ:奇蹟の真実
その頃、町にはネッド達を捕らえるため保安官や刑務官が集まっていました。捕まりたくないネッドは礼拝堂で「捕まりませんように」と涙の聖母に祈ります。すると聖母像が本当に涙を流し始めました。そこへ現れたレヴェスク神父が奇蹟は単なる雨漏りだと種を明かします。しかし「お祈りは通じます」と励まし、明日行われる祝祭の行列に参加しないかと持ちかけました。姉妹関係にあるカナダの教会まで行くと聞いたネッドは翌朝早速参加を希望しますが、そのためには神の奇蹟を必要とする障害児が一緒でなければならないと知ります。ネッドはモリーに娘を託してくれるよう頼みますが、彼女は祝祭をくだらないマジック・ショーだと言い捨て突っぱねました。
俺たちは天使じゃないのネタバレあらすじ:ボビーの企みとジムの演説
祝祭に浮かれる町に突如銃声が響きます。脱獄囚が撃たれたと聞いたネッドが現場に駆けつけると、腹から血を流すボビーの姿が。監房に入れられたボビーは「俺を助けろ」と要求、それが出来なければ道連れにするとネッドを脅しました。町の広場でジムと合流したネッド。広場には既に神父や町の人が大勢集まっています。祝祭記念の演説をする神父を選ぶため、クジ引きが行われます。選ばれたのはジムでした。人々に押され演壇に立ってしまうジム。苦し紛れに祈祷書を広げた彼は、挟んでいた猟銃の広告を読み始めます。1人の時命の危険にさらされたなら、どうするか。ポケットの中には……そこで黙り込んだジムは、「何もありません。希望だけです」とオリジナルの説教を始めます。災難や不幸に対して誰も充分な力を持っていない、人間は弱い。信仰が慰めになるなら神を信じなさい、と語ります。ジムの説教は聴衆の胸をうち、拍手喝采が起こります。注目がジムに向いている隙にネッドが監房の鍵を盗み、ボビーを連れ出しました。
俺たちは天使じゃないの結末:聖母の奇蹟
ボビーを聖母像の山車に隠したネッド。行列が始まり聖母像と神父達は橋を渡ります。ところが脱走が発覚したボビーが発砲して大騒ぎになります。保安官の銃撃を受けたボビーは死亡しますが、その際バランスを崩した聖母像とモリーの娘が橋の下を流れる川に落ちてしまいました。少女を救出すべく飛び込むネッド。激流の中少女をしっかり抱きしめたネッドの元へ聖母像が沈んできます。聖母の手を握ったネッドは像の浮力でなんとか助かりました。岸に駆けつけたモリーは泣いて感謝を伝えます。更に目を覚ましたモリーの娘は喋れるようになっていて、皆が驚く中ネッドを指差し「その人ダツゴク犯」と言います。彼女は脱獄囚の手配書を見て顔を覚えていたのです。すっかり観念したネッドとジム。ところがレヴェスク神父達は宗派をかえるという意味だと誤解します。レヴェスク神父のとりなしで赦された2人は、翌日橋を渡ってカナダへと向かいました。そこに眠る娘を抱いたモリーがやって来てネッドに熱心に話しかけます。ジムは橋の途中で足を止め、視線で修道院に戻ることを告げます。ネッドはモリー達を連れて国境を越えました。対岸のジムにネッドが手を振り、この映画も終わりを迎えます。
以上、映画俺たちは天使じゃないのあらすじと結末でした。
「俺たちは天使じゃない」感想・レビュー
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デミ・ムーア、綺麗ですな
購入したビデオテープの不良でモリーの娘がダツゴク犯と言ったところでテープが進まなくなってしまったので粗筋がわかってスッキリしました。改めてDVDなどを購入しようと思います。