冬の光の紹介:1962年スウェーデン映画。巨匠ベルイマンの「神の沈黙」三部作のひとつ。珍しく牧師が主人公であり、ベルイマン自身が抱く宗教への疑問が投影されている。上映時間は81分で、ベルイマン作品の中でもとりわけ短い。
監督:イングマール・ベルイマン 出演:グンナール・ビヨルンストランド(トマス・エリクソン牧師)、イングリッド・チューリン(マルタ)、マックス・フォン・シドー(ヨーナス)、グンネル・リンドブロム(カーリン)ほか
映画「冬の光」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「冬の光」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「冬の光」解説
この解説記事には映画「冬の光」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
冬の光のネタバレあらすじ:起
わびしい海辺の寒村。トマス・エリクソン牧師が日曜の礼拝を行っています。出席者は10人もいません。やがて祭壇の前にそのうちの5人がひざまずき、トマスから聖餅をもらって祝福の言葉を受けます。礼拝が終わり、別の教会での礼拝の準備を始めたトマスのところへ、出席者だった漁師のヨーナスとその妻カーリンがやってきます。ヨーナスの悩みを聞いてほしいというのです。その悩みというのは、中国情勢を報じた新聞記事に関するものでした。その記事には「中国が核軍備を進めている」とあり、まもなく世界的な核戦争が起こるのではないかとヨーナスは怯えているのです。なるようにしかならない、と答えるトマス。彼は妻が4年前に死んで以来、信仰の危機を覚え、神はいないという考えに傾いていたのでした。
冬の光のネタバレあらすじ:承
ヨーナスたちが去っていくと、小学校教師のマルタがやってきます。彼女はトマスに、「渡した手紙は読んだか?」と訪ねます。読んでいないと答えると、彼女はそのまま外へ。トマスは彼女の手紙を取り出し、読み始めます。そこには、彼女がトマスを愛していること、しかしトマスは彼女の愛に応じないと分かっていること、そして自分がどうしても神の存在を信じられないことなどが書かれていました。
冬の光のネタバレあらすじ:転
読み終わって仮眠を取るトマス。まもなく戻ってきたヨーナスが彼を起こします。トマスは、また悩みを打ち明けようとするヨーナスに、自分が信仰を失っていることを告げ、そのまま彼を帰します。トマスの話を隠れて聞いていたマルタは彼が信仰を失った事をむしろ喜びますが、トマスは相変わらず彼女に対して冷たい態度を示すだけです。
冬の光の結末
やがて、トマスの元にヨーナスが自殺した事が知らされます。妻のカーリンを慰めるトマスですが、ヨーナスの気持ちを分かってやれなかった事で後悔の念に苛まれます。マルタの車で別の教会へ向かうトマス。3時が近づきますが、信者など誰も現れません。時間が来たので、仕方なく礼拝を始めることにします。空っぽの教会に、聖書を読み上げるトマスの声が虚しく響くのです。
イングマール・ベルイマン監督の「冬の光」は、「沈黙」「鏡の中にある如く」とともに、彼の三部作と呼ばれる作品の一編だ。
三部作といっても、直接の関連は何もない。
ただ、この三本には共通して、神は存在するか? という問いがあり、神は存在しないという答えが出る。
牧師の子として生まれ、牧師館で育ったベルイマン監督にとって、これは重大なテーマなのだと思う。
そして、ベルイマン監督は、これらの作品を作る事によって、キリスト教に縛られていた自分自身を解放して、より伸び伸びとした境地に出る事ができたそうだ。
とはいえ、これらが反キリスト的な背徳的な作品かといえば、必ずしもそうではない。
特に「冬の光」がそうで、神の存在を信じる事ができなかったという事をテーマにしていながら、実に精神的な突き詰めた作品であり、内面的な底知れぬ、深い輝きをもった秀作だと思う。
ある田舎の教会の牧師トマス(グンナール・ビョルンストランド)は、信仰に疑いを持ちながら、習慣的に日曜のミサと説教を続けている。
しかし、中国の原爆実験のニュースを聞いて、生の不安にかられたという漁師ヨナス(マックス・フォン・シドー)の告白を聞いても、これに適切な忠告を与える事はできない。
しかも、ヨナスは間もなく自殺する。トマスを愛している女教師のマルタ(イングリッド・チューリン)からは、何か取り乱したような、とりとめのない手紙が来るが、これも彼の心をかき乱すだけだった。
こうした、ひとりの苦悩する宗教家の日常生活と、その心象を淡々と展開していくのだが、スヴェン・ニクヴィストのカメラは、あくまでも冷え冷えとして、北国の田舎の荒涼たる風物を映し出し、そのさまは、さながら心の氷原、魂の荒野を表わすかのようだ。
ベルイマン監督は、多くの場面を冷ややかに据えっぱなしのままのカメラで撮っており、スタンダード・サイズのフレームの枠の中で、俳優たちは身じろぎもせずに悶絶するかのようだ。
トマスは、ついに信仰を取り戻すことのできないまま、次の日曜も形式的にミサを繰り返すのだった。