ジャイアンツの紹介:1956年アメリカ映画。エドナ・ファーバーの大河小説を名匠ジョージ・スティーヴンスが映画化。アカデミー監督賞を受賞した。アメリカ南部の牧場主一家の30年間を、時代の変遷に合わせて描く。ジェームズ・ディーンの3本しかない主演作のひとつ。
監督:ジョージ・スティーヴンス 出演:ロック・ハドソン(ジョーダン)、エリザベス・テイラー(レズリー)、ジェームズ・ディーン(ジェット・リンク)、マーセデス・マッケンブリッジ(ラズ・ベネディクト)
映画「ジャイアンツ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ジャイアンツ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「ジャイアンツ」解説
この解説記事には映画「ジャイアンツ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ジャイアンツのネタバレあらすじ:起
テキサス州の牧場主・ジョーダン・ベネディクト・ジュニアはメリーランド州へ馬を買いにゆきました。そこで彼はレズリーという美しい女性と出会い、恋に落ちます。やがて2人は結婚。そろってジョーダンの牧場で暮らすことになります。そこにはジェットという下働きの青年がいました。彼は密かにレズリーに惚れているらしく、彼女へその気持をほのめかせます。牧場の家事一切を取り仕切っているのはジョーダンの姉のラズ。彼女とレズリーとは育ちの違いもあって関係がうまくゆかず、ジョーダンを悩ませます。しかしラズは落馬で死亡。そして彼女の遺言により、ジェットに牧場内の小さな土地が譲られます。
ジャイアンツのネタバレあらすじ:承
やがて10年という歳月が経ち、ベネディクト夫妻は3人の子供に恵まれます。一方、ジェットは譲られた土地に住みながら、一攫千金を夢見て地面を掘削。ついに石油を掘り当てます。原油まみれになった体のままジェットはベネディクトの邸宅へ。ジョーダンたちに向かって「これでお前らより金持ちになった」と言い放つのです。レズリーにも失礼な態度を取った彼をジョーダンは殴りつけますが、ジェットは恐れずに反撃。車で去っていきます。
ジャイアンツのネタバレあらすじ:転
その後、ジェットの商売は成功し、彼は大富豪に。牧場の他の場所への掘削を申し入れますが、ジョーダンは拒否します。しかし、子供たちが家業を継ぐ様子もないことがわかると、しぶしぶジェットの事業に協力。おかげでベネディクト家はますます繁栄の道を歩みます。ジェットの方もホテル業に乗り出し、その富は増えるばかりです。そして彼はいまだに燻るレズリーへの憧れから、彼女の娘と付き合うようになるのです。
ジャイアンツの結末
そのことで鬱積していたジョーダンの怒りは、ジェットが催したパーティで爆発。息子のメキシコ人の妻に人種差別的な行動を示したジェットに、ジョーダンは決闘を申し込みますが、ジェットの威厳のない姿を見るとそのまま妻とともに帰路につきます。途中レストランで再び人種絡みの暴力沙汰が起こるものの、無事夫妻は自宅に到着。2人は現状に不満はあるものの幸せといえました。レズリーはふと、自分の娘時代をノスタルジックに振り返るのです……。
このジョージ・スティーヴンス監督の名作「ジャイアンツ」は、エリザベス・テイラー扮する主人公の女性レズリーの広大な西部のテキサスでの生活や、牧場主であるロック・ハドソン扮する夫のビックとジェームズ・ディーン扮するジェット・リンクとの確執の狭間に立つレズリーの姿を通して、時代の大きな流れの中で揺れ動く、20世紀初頭のアメリカ西部をダイナミックに描いた一大叙事詩ともいうべき作品だ。
東部の名家に育ったレズリーは、長身のテキサス男のビックと結婚し、大牧場へと嫁いでいく。ラズというビックの姉が仕切るベネディクト家は、旧態依然とした昔ながらの大地主だ。
進歩的なレズリーは、使用人のメキシコ人の扱いなどで夫のビックと度々衝突する。やがて、牧童頭のジェットが地道に発掘調査を行っていた土地から、石油が吹き出し、彼はたちまち大富豪に——。
轟音とともに石油が吹き出す。空を仰ぎ、全身でそれを浴びるジェームズ・ディーン——。ロック・ハドソンの大地主に代わって、蔑まれ続けた弱者が勝者になる瞬間が、まさにこのシーンだ。
ドラマティックなシークエンスが多い「ジャイアンツ」ですが、そこには必ずジミー演じるジェット・リンクがいる。テキサス一の牧場主、ベネディクト家から冷遇される彼は、エリザベス・テイラー扮する若妻レズリーに、恋慕の情を抱き続け、逆転のチャンスを待っている。
そして、油脈を掘り当て、ロック・ハドソンを殴りつけるジミーほど、心に焼き付いたキャラクターはいない。「理由なき反抗」「エデンの東」のジミーもいい、だが私にとってのジェームズ・ディーンは、このジェット・リンク以外にない。
それというのも、ただ成り上がってしまうだけではなく、結局はレズリーに思いを告げる事が出来ない、敗北者として惨めったらしい醜態まで晒してしまうからだ。大金でもステータスでも、決して埋める事が出来ない、”巨大な孤独感”を死ぬまで抱き続けるこの男の姿が、他の数々のスクリーン・ヒーローを蹴落とし、常に理想の存在として私の心の中に存在するのです。
そんな人物を登場させてくれただけでも、この作品は忘れがたい作品となっているのです。
そんな個人的な思い入れはともかく、「陽のあたる場所」「シェーン」の名匠ジョージ・スティーヴンス監督は、広大なテキサスの大地を思わせるこの題名に、ロック・ハドソンのビックとジミーのジェットという二大人物を、旧体制と新体制とに象徴させ、アメリカ近代史の再確認をしているのだと思う。
そして、ジョージ・スティーヴンス監督は、どちらが正しいと言っているわけでもなく、どっちも同じテキサス人なのだから、つまるところ主義主張に変わりはないのだと言っているのだと思う。
強いて言えば、家庭を作っているビックの方が幸福ではないかと、言っているに過ぎない。それより、人種偏見や人種差別といった根強いアメリカの恥部をきちんと描いており、その問題提起の方がより心に残ります。
広大な荒野の代わりに、白人と混血の赤ちゃんで映画が締め括られるのは、人種偏見がなくなって欲しいというジョージ・スティーヴンス監督の願いであり、アメリカへの限りない信頼と愛情なのだと思う。