127時間の紹介:2010年アメリカ映画。登山家のアーロン・リー・ラルストンの自伝である奇跡の6日間を映画化した作品で、山中の断崖に腕を挟まれた状態の生死のはざまで127時間を過ごした登山家を襲う絶望と希望を描く。主演のジェームズ フランコが迫真の演技で再現したことで、多くの批評家が賞賛をしました。
監督:ダニー・ボイル 出演:ジェームズ・フランコ、クレマンス・ポエジー、ケイト・バートン、トリート・ウィリアムズほか
映画「127時間」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「127時間」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
127時間の予告編 動画
映画「127時間」解説
この解説記事には映画「127時間」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
127時間のネタバレあらすじ:キャニオンへ行くアーロン
2003年、アーロンは自宅で荷物を整えると、車でキャニオンランズ国立公園へいくことにしました。着いてから車のなかで一睡したあと、彼はオレンジ色の輝く壁のキャニオンを持参してきたマウンテンバイクで楽しく走っていました。
127時間のネタバレあらすじ:女の子たちと天然プールへ
その後彼は観光客と思われる二人の女の子と出くわし、道案内をします。その過程でアーロンは二人に隠れた天然の地下プールを紹介し、何度も飛び込みジャンプをして楽しみます。その後二人はアーロンにパーティの招待をして、そのまま別れます。二人と別れたあと、アーロンは再び歩き、ブルー ジョン キャニオンへと到着します。
127時間のネタバレあらすじ:岩肌で岩に挟まる
狭い岩肌を歩くアーロンでしたが、ふとした拍子に大きな岩がアーロンに降ってきます。避けようとしましたが、避けられず、彼の右腕が岩に挟まってしまいます。彼はすぐに岩をどけようとしましたが、その岩はびくりとも動きませんでした。そして彼は二人の女の子の名前を呼びますが、当然彼女らはそんな場所にいないので、聞こえるはずがありません。彼はわずかしかない飲料水を節約し、もっていた小型ナイフで岩を削り始めますが、破片さえも作れません。
127時間のネタバレあらすじ:腕を切ろうとする
そんなこんなで日が暮れて、一日が経過します。彼は冷え切った体を日光で温めながら、持ってきたビデオに両親へのメッセージを残します。二日目、彼は岩を動かせずに、自分の腕を切断しようとしますが、安物では切れません。三日目、雨が降り、水を欲していた彼はうれしくなりますが、すぐに水が増え始め、彼は悪夢を見ます。
127時間のネタバレあらすじ:腕をナイフで切断
4日目、ビデオに母へのメッセージを残すと、ナイフを腕に突き刺しますが、骨に到達せず、少し出てきた血を舐めます。5日目、ビデオの電池が切れて、自分の腕の骨を切断し、ナイフで痛みに耐えながら必死になって切り、ついに切り落とすことに成功します。
127時間の結末:救助されるアーロン
そしてふらふらになりながら観光していた家族に助けを呼び、そのおかげでヘリコプターで病院に搬送されます。命に別状はなく、3年後に結婚、子供も生まれ、クライミングを今でも続けています。行く際は必ず行き先を伝えてからにしているそうです。
ダニー・ボイル監督の「127時間」は、ユタ州内の渓谷で落石に腕を挟まれて脱出不能になった若者が、孤立無援のまま5日間を過ごし、生きるための尋常ならざる決断と行動を起こすまでを描いた実話を題材とした映画ですね。
主人公のアーロン・ラルストンを演じるジェームズ・フランコは、そういう設定の物語ゆえに、全編出突っ張りの一人芝居。
アカデミー賞主演男優賞ノミネートを始め、高い評価を勝ち得ることとなりましたね。
岩の谷間で身動きできなくなったひとりの男の話を、1本の映画として語って見せるのはなかなかの挑戦だと思います。
観る前は、なんだかんだいって単調で退屈なものになるんじゃないかと想像して、期待値を下げたりもしていたのだが、そこはそれ、華麗なる映像テクニックとガチャガチャ編集を得意技とするダニー・ボイルのこと、主人公の回想、現在、想像、夢、妄想を巧みに繋ぎ合わせ、94分を一気に駆け抜けて見せる。
題材によっては、その技術がドラマを語る邪魔になることもあるが、前作の「スラムドッグ$ミリオネア」といい、この作品といい、題材にピタリとはまるとそのリズム感、疾走感が圧倒的に心地良い。
最後の最後に主人公が下す決断と、その行動を、逃げずにしっかりと映像化してみせたところもいい。
自らの手で、肌すらろくに切れないような鈍い中国製十徳ナイフで右腕の切断を試みるんですね。
これは、言葉にするのは簡単ですが、やるとなれば想像を絶する行為である。
まずは骨を折るところから始め、ナイフを突き立て、筋肉、腱や神経を切断していく映像だけでも、目を塞ぎたくなるのだが、痛さ倍増の音響効果が加わって、耳まで塞ぎたくなること請け合いである。
言ってみれば、この作品は、リアル切り株映画。
だが、これはもう、「グロ」っていう単純なものではない。
ホラー映画のように、観る人を不快にさせることを目的としていたり、見世物としてのグロ描写でもない。
生きるための最後の希望として、歯を食いしばる主人公と観る者の心がシンクロし、画面を見つめる我々もまた、必死で歯を食いしばり、失神したりしないように踏ん張るのだ。
こういう描写があるために、この作品を敬遠する向きもあるようだが、しかし、この描写なしには作品は成立しない。
鑑賞後の、不思議な清々しさは、あのシーンを乗り越えて初めて獲得できるのだと思う。
主人公に同化して、彼の127時間を安全で快適な場所で疑似体験する、これはそういう作品なのだと思います。