ひまわりの紹介:1970年イタリア映画。戦争が終わっても戻らない夫を捜して異国の地を訪れた女性が、そこで悲しい愛の結末を知る…。タイトルにもなった『ひまわり』が一面に映し出される場面が印象的です。
監督:ヴィットリオ・デ・シーカ 出演:ソフィア・ローレン(ジョバンナ)、マルチェロ・マストロヤンニ(アントニオ)、リュドミラ・サベリーエワ(マーシャ)、アンナ・カレナ(アントニオの母)、ほか
映画「ひまわり」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ひまわり」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ひまわりの予告編 動画
映画「ひまわり」解説
この解説記事には映画「ひまわり」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ひまわりのネタバレあらすじ:愛するがゆえに
第二次大戦中のイタリア。ジョバンナとアントニオはナポリの海岸で出会い恋に落ちます。しかし、アントニオはアフリカ戦線行きを控えた兵士だったため、2人は出征を遅らせようと、結婚することで結婚休暇を取ります。
休暇はあっという間に過ぎていき、アントニオを戦地へ向かわせたくないジョバンナは、アントニオの精神状態がおかしくなったとして精神病院へ入院させます。
しかし、それが偽りであったことが発覚したため、アントニオは最も過酷なロシア戦線に送られることになりました。
ひまわりのネタバレあらすじ:帰りを待ち続けて
やがて戦争が終わり、ジョバンナは駅でひたすらアントニオの帰りを待っていました。毎日のように彼の母親とともに待ち続けていたジョバンナだったが、彼が現れることはありませんでした。
そんなある日、ロシア戦線でアントニオと一緒だったという1人の兵士に出会います。しかし、最後にアントニオを見たのは彼が雪の中で倒れている姿で、既に死んでいるのではないかと告げられます。
諦めきれないジョバンナは、意を決してひとりソ連の地へ向かいます。
ひまわりのネタバレあらすじ:異国の地で
かつて戦場となった街で、ジョバンナは写真を手にアントニオの消息を尋ねてまわるが、手がかりはなく、各国の戦没者が眠るという広大なひまわり畑を訪れるが、そこにもアントニオの名前はありませんでした。
アントニオの生存を信じて止まないジョバンナが、様々な場所で探し続けていると、ある時、写真を見た人からイタリア人が住んでいるという家を教えられ、訪ねてみると、そこにはマーシャというロシア人女性がいました。
ひまわりのネタバレあらすじ:たどり着いた真実
ジョバンナはアントニオの写真を見せ、彼を探していることを告げると、マーシャは行き倒れていたアントニオを助けたが、その時彼は記憶喪失に陥っており、そのまま一緒に暮らすうちに愛し合うようになって、2人の間には娘も生まれたことを告げます。
ジョバンナはマーシャに連れられて駅に行くと、到着した汽車から降りてくる人たちの中に、アントニオの姿をみつけます。
しかし、ジョバンナは声ををかけることもせず汽車に乗り込んで、涙に暮れるのでした。
ひまわりの結末:帰るべき場所
イタリアに戻ったジョバンナは失意の日々を過ごしましたが、ある日、アントニオからイタリアに来ているとの連絡を受けます。彼もまた駅でジョバンナを目にしてから苦悩の日々を送っていたのです。その様子にマーシャがイタリア行きを勧めたのです。
迷った末に再会を果たした2人でしたが、ジョバンナにも新しい夫との間に子供ををもうけており、互いの別離を確信したアントニオはソ連へ戻る決心をするのでした。
そしてジョバンナはアントニオを見送るために駅を訪れ、かつて出征で見送った時と同じホームで再び彼を見送るのでした。
以上、映画「ひまわり」のあらすじと結末でした。
「ひまわり」感想・レビュー
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冒頭で、地平線のかなたまで広がるヒマワリの畑が映し出されます。同じシーンがラストでも映し出されます。あまりにも有名な映像です。しかし、本編を見る前と、見た後では全く見え方が違ってしまいます。そのヒマワリの下には数えきれないほどの戦争犠牲者の方々が眠っていることを、見た者は知っているからです。
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高校生の時に拝観しましたが、40年ぶりに再観してこの哀しいお二人様の人生は戦後の我が国でもありまかした。
改めて映像美に酔いました‼️
『ひまわり』はソビエトの『国花』です。 -
戦争がきっかけで偽装結婚してまで徴兵を免れようとしたが結局は離ればなれになってしまったジョバンナとアントニオ。終戦後、再会したのは記憶喪失で別の人生を歩んでいたアントニオだった。
ショックのあまり帰りの汽車へ飛び乗るが、車窓から見えるどこまでも続くひまわり畑は圧巻です。そのひまわり畑の下には戦争犠牲者が無数に眠っているというとても切ない場面です。最後に再々会したときに、暗がりの中ロウソクの灯りで、ジョバンナが「お互い歳を取ったわね」というセリフに、アントニオが無言で頷くシーンは何度見ても泣けます。どうすることも出来ない状況に翻弄された名作中の名作だと思います。 -
2回観ました。
なんといっても、果てしなく咲き誇るひまわり畑と切ない別れ。
趣味で俳句をやっていますが、
「ひまわり」のソフィアローレン輝けり
という句を詠みました。 -
1954年生まれ,68歳です
高2年ぐらいに観ました、
この映画の意味が解らなかったのを覚えてます、
今やっとなんとも言えない刹那さがわかりました! -
プーチンさん、今、この映画を見てください!
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彼が戦地で死にかけ、雪の中に倒れているのを必死で救いたしたのは当地ウクライナの美しい娘。普通の、善良な人たちがどうしようもない葛藤に苦しむ、反戦映画の大傑作。
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ほんの今のウクライナのいなかの戦線で現地の中年のおばさんが進駐してきたロシア兵の「あんたたち何しに来たの?」って言いながらポケットにひまわりの種をねじ込み「あなた方がここで死んだらここにひまわりが芽を出すことになるわ!」と言ったと聞いてソフィアローレン、マストロヤンニの名作「ひまわり」を思い出した。究極の反戦映画だね!
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何度も見て涙した映画ですが、最後のシーンが未だにわからない。ジョバンナのそばにい子供、あれは実子? もしかして夫をイタリアに行かせたら戻ってこないかもしれないと覚悟して行かせたリュドミラ演じるロシアの女性、このままではアントニオは帰らないかもしれないと思ったジョバンナが演じた悲しい演技ではなかったかと思われて仕方ありません。どちらにしても戦争は不幸な結果を生みますね。ウクライナのことを思うと胸が痛みます。
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10代の頃に観ました。私もジョバンナは再婚していないと感じました。二人の女性の溢れる愛情が切なく、ひまわり畑が今も目に浮かびます。あの場所が再び非情な戦地になるとはあの頃は思ってもみませんでした。1日も早い終戦を祈ります。
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今この映画を全世界の人が見てほしいと感じてます,なんで戦争なんかするんでしょう?
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今のウクライナの状況を見て、あの名画を思い出した方が多いのに感銘しています。初めて涙が止まらなかった映画です。30歳頃でしたは。何回観ても泣けます。今、81歳の爺ちゃんですが心から平和を願っています。
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今回の戦争の動画で、あるおばあさんがロシア兵に抗議しながらヒマワリの種を渡していました。彼女の心にあった想いは、「あなたがウクライナの地で死んだら、そこにこのヒマワリが咲きますよ」。この瞬間映画「ひまわり」を思い出しました。ウクライナの人々の心にはヒマワリは非常に重い意味があるのですね。
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今わかりました。あの美しいひまわり畑の意味を。
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千葉県で“ひまわり”緊急上映!を目にして。 私が高1の時、封切り。 当時“テレビ初放映”で、心奪われました。サウンドトラック盤に何度もレコードの針を落としたのが、昨日のことの様。 当時、若いのに“左寄り” “反戦” “弁証法唯物論” いわゆる“親を心配させる” 隠れ活動家でした。 この映画が、西側と、ロ合作とは知りませんでした。 “プーチンが悪”というより、オミクロン猛威と同様に東西織り交ぜ地球レベルで“過ちは、まだまだ繰り返します!”そう、思い知らされる、ひまわりでます。 平穏を裂かれ失い、肉親を傷つけられ、愛を砕かれた何万の人に、涙腺を砕かれます。
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あの美しいひまわり畑がソ連兵に寄り蹂躙させるのには耐えられません、ウクラオイナに平和が訪れることを切に祈っております。アントニオがマーシャを愛したことは彼女の容姿からして当然です。あれは不倫ではなく紙の思し召しでありました。岡本良英
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高3の秋、初恋の人と文化祭を抜け出して、日比谷スカラ座へ見に行ったのが、昨日のことのようによみがえります。ヘンリーマンシーニの名曲と共に、壮大なひまわり畑とマストロヤンニの驚きの表情は忘れられません。TV上映してください。
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随分と大人になってから、ソフィアローレンの名前と派手な?お顔とあの有名なテーマ音楽に惹かれてレンタルDVDで観ました。物語もさりながら冒頭には気に留めなかったひまわり畑のラストシーンに泣けました。本日また借りに行こうかな。
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私も50年ほど前に劇場で見ました、
切ない程の感動で涙が止まりませんでした。
今もスクリーンミュージックをよく聴いています。ウクライナに平和を、1日も早くこのような悲劇が無くなりますように祈るばかりです。 -
二十歳のころに見た映画です。泣きました。その少し前に、シェルブールの雨傘とブーベの恋人が私の中では、究極の反戦映画のベスト3です。少し平和ボケしていた今日この頃改めて戦争で幸せになる人は誰ひとりいません。
私も孫も、戦争を知らない子供たちであり続けたいと願っています。 -
私もこの映画と、ブーベの恋人がかなりダブります。
イタリア映画一時期はかなり、勢いがありました。本当にすてきです。
私はクラウディアカルディナーレも大好きです。
戦争や混乱に左右される人の人生、昔はともかく、今この現世では、争いはかなり無意味です。
人は、だれでも、笑顔になるためにこの世に選抜され居るのに、
今のウクライナの1日も早い平和を願わずにいられません。
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これは、イノックアーデン、伊勢物語24段、と同じ切ないお話です。高校3年の時この書物を読み、ひまわりを見ました。幾重にも悲しみが広がリ、胸が張り裂けそうでした。
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戦争で幸せになる人は誰一人いないのに…。
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では、日本はどうすればいいのか?
弱い、抵抗しないものには容赦しないというのがR,C,NK国。もしかしたらK国もでしょう! -
全ての生き物は、水と大地と太陽の光で命を紡ぎ世代を重ねています。
人間もそうです。人間も生き物としてみれば、たった一つの同じ種”ホモ・サピエンス”なのに、なまじ知恵を授かってしまったがゆえに、国家・民族・宗教・人種・言語・階級などなど、他のグループとの違いの虜になって憎しみ合い、果ては互いに殺し合う戦争までします。
あの映画でウクライナの大地に広がるヒマワリ畑を見れば、戦争がいかに浅はかで愚かなものであるか、あらためて思います。 -
高校生の頃、初めてスクリーンで観て数年前にDVDで観て今回、大阪十三のスクリーンで久しぶりに観ました。
静かに、でも確かに戦争の悲惨さが伝わってくる名作です。
彼の家庭を見て、
どうしようもなく汽車に飛び乗ったソフィアローレンの哀しみ…
誰も悪くないのに起こった悲劇…
大好きな、そして大切な作品です。 -
学生時代を思い出しました。音楽がす晴らしかったからです。アパートの一室でヘッドホンから流れてくる音楽に、聞き入りました。当時の映画音楽はどれも品が良かったです。私はビートルより映画音楽が好きでした。未だにあのもの悲しい旋律が浮かんできます。忘れられない名曲ですね。未だに忘れられません。
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ワタシ的にはローレンさんは愛する女性としてサベリエワに先ず勝てないと直感的に感じました。男性たるものこの二人の二択を迫られれば後者を取るものが圧倒的だと思います。
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ラストは印象的でしたね。
アニメの話になりますが、ある男性が、目の前で妻を失い、男性に対して妻の父が彼に投げた言葉は、娘を失った悲しみではなく侮蔑を象徴するものでした。
「魔物を庇って死ぬとは。この恥さらしがッ!」
男性は妻の父を殺し、その一族をも皆殺しにし、そして、行方不明になった幼い息子を探すために敢えて敵の幹部となり、復讐の鬼と化します。
一歩違っただけで、変わってしまう。人生はわかりませんね。
でも、この映画がウクライナで撮影されていたとは知りませんでした。 -
何回みてもその都度の年齢にあわせた
自分の考え方で視聴できます。一番最初に見た20のころから
すでに50年を経ているのに、、、何回みたやら、。又、何年かすると見たくなる映画です。
その頃に、感性が残っているかな??
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ひまわりの、映画を観た時は、20代でしたので、深くは見ておらず音楽が素敵ぐらいでした。ひまわりは、ウクライナで撮影したと聞き言葉もありません。1日も早く平和を
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「マストロヤンニ」と言う、映画の監督を初めて眼にしたときに覚えてから
60年が過ぎましたが、現在ロシアがウクライナに侵攻しているニュースを
毎日のようにTVで見るにつけ‘ひまわり‘の映画を思い出します。
涙なしには観られない内容でしたので、今の現状を一日も早く解決して
罪のない人々が、元の生活に戻れるように祈りたいです。 -
印象に残っているあの綺麗なひまわり畑、今は戦禍に荒らされていると思うと、戦争の悲惨さをおもいしらされます
一刻も、早く平和になって欲しいです。ウクライナの方々のために、世界の為にも‼️‼️‼️ -
ウクライナ侵攻から2か月立ちますが毎日の報道で心が痛みます。その反面、客間的に見ている自分もある。先日、映画「ひまわり」を観賞した。戦争によって愛し合う夫婦の運命を変えさせた悲恋な物語だ。戦争は大切な人、家族、家、財産を失ってしまう残酷なことだ。ソフィアローレンがひまわり畑を歩く姿とスクリーンミュージックが流れた時、涙が止まらなかった。早く戦争が終息してほしい。
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50年前に見た映画を再び観ました。ヒマワリ畑の下には戦争で亡くなった人たちが眠っているのを知り戦争の悲惨さにやりきれない思いで胸が一杯です。美しいヒマワリ畑と共に名曲が重なり涙が溢れました。1日も早く戦争が終わることを祈っています。
ウクライナに平和を!!
ウクライナに平和を!! -
映画のはじめの場面で、生卵をいくつも食べるシーンが 忘れられません。元気で明るい若いカップルが戦争で引き裂かれる悲しさが 高校生の私にもわかりました。
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私も、つい最近見ました。最初見たときは、20代の頃だったんだー、と思わず歳を取っていたのに気づかされました。まさか、今のロシアのウクライナ侵攻の戦争の最中に、また見ようとは、胸が締め付けられました。ヒマワリが太陽のもとに咲く明るい花だけに、より一層、この花の地下で埋葬された戦争犠牲者たちのことが、今また、連日のようにニュースで伝えられている犠牲者と重なり、もはや悲しみを超え、憤りで爆発しそうです。ソフィアローレンの大柄で派手っぽい容貌も、昔見たころに比べると、より演技に深みを感じましたし、愛しながらも戦争で引き裂かれる運命の残酷さに、ふたたび涙があふれて止まりませんでした。究極の恋愛映画と言われていますが、今こそ見るべきの反戦映画ですね。ウクライナに早く、本当の平和が訪れて、広大な大地に、またこのヒマワリが咲いてほしいものだと思いました。(彩女)
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アントニオがイタリアに来た時に逆ナンされて女の家からジョバンナに電話をして住所聞いたけどなかなかジョバンナの家に着かなかったのはやっぱりあの女抱いてたかな?イタリア男子ってのはまったく。。
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エンドロールをぜひ最後まで見てください。
あの有名なテーマ曲が最後の最後で明るく力強く終わるのです。
ジョバンナもアントニオも、悲しみを乗り越えて、向日葵のように強く生きていくのだと暗示されているような気がしてなりません。 -
ロシアとウクライナの現実を目の当たりにし【ひまわり】を本日初めて鑑賞した。胸が痛く苦しくなった。戦争の残酷さ、悲惨さ、戦争で誰一人として幸福な人はいない。人の不幸の上に自分の幸せは絶対に築けないことを、断固 知るべきだ。自分の無力さに心が痛くなるけれど祈ることしかできない。名作で深い映画でした。
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中学生くらいのことだったでしょうか…家で鑑賞した際に、切ないメロディーと共に最後の切ない別れに号泣したのを覚えています。名作で、大好きな作品でしたが、改めて、ウクライナの現状と併せて再度見直したいと思ったところです
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哀切を帯びたメロディーが心を揺さぶります。年寄りが勝手に始めた戦争で若い男女の愛が引き裂かれるいいようのない悲しみを感じます。
太陽が照りつけるひまわり畑にナチスとの戦争で、捕虜となったイタリア兵とロシア兵と巻き込まれた農民の死体が埋っているとは!
今真逆な戦争がウクライナで起きています。死体が多数埋められて、男女は切り裂かれているのでしょうか。
50年後には、また真逆な戦争が起きているんでしょうか?いつまで同じ間違いを人は何度繰り返すのでしょうか。
ジョバンナとアントニオのこども、そして日本のこどもも、そのいいようのない悲しみを受けて憎悪・憎しみの連鎖ではなく、支え合い助け合う人間愛・隣人愛・郷土愛のある大人になってほしいです。
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ウクライナをキーワードにすると、この映画の味わいが違うものになってしまいます。
ソ連が戦ったのはドイツであり、同盟国のイタリアがソ連に赴いた歴史の中の悲劇です。ひまわり畑の下に眠るのはウクライナの人だけではありません。1950年代と思しきソ連は、自由な旅行などできなかった時代です。案内人をわざわざ付けるのも、外国人が自由に行動できなかったから。外国人とみだりに話ができないイタリア人男性のシーンは、そういう意味です。この映画を撮影した1970年代でもそうでした。
あの頃のソ連が、映画を通して見せたかった物が随所にあって、興味深い映画でもあります。
写真のマストロヤンニの笑顔がとにかく素敵です。明るさやユーモアあり、でも時代に巻き込まれ戦地に赴かなければならなかった普通の人たちの悲劇と、それでも生きていかなければならない人たちのたくましさも感じないわけにはいきません。
赤の広場、グム百貨店、コローメンスコエ、外務省、ルジニキスタジアム、撮影地はひまわり畑以外は、モスクワですね。
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私はハワイ在住です、日本の友達にこの時期
映画ひまわりを見ると良いと言われ検査で
あらすじ、映画を観られた方々の感想文を
じっくり読みましたが、やっぱり最初から映画でじっくり見たい、プーチンにも見せたい。
どこかの局で映画ひまわりをやって欲しい‼️ -
1960年~70年代にかけての映画音楽が大好きだった、「ひまわり」も映画は観なかったが切ないメロディーが好きでした。粗筋は知っていましたがこの度のロシアによるウクライナ侵攻でこの映画の舞台がウクライナであったことが噂で知り是非観たい思っていたらTV放映があり鑑賞した。最初情熱的な絡みは年寄りには理解し難いシーンではあったが戦争によって翻弄されるのは小市民、戦争は残酷だということ、最後の駅での互いの別れ、切ない、淀川長治さんや水野晴夫さんの解説を聞きたかった
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悲しいお話ではありますが、ロマンチックな御話でもあります。
ふと、この子の七つのお祝いにという映画も結婚して間もない夫婦が
戦争によって別の女性と結婚していたなぁ・・・こちらはミステリー
だけど。 -
切ないですね 戦争はいつだって日常を変えてしまう 時代を超えて国を越えて 主人公の流す涙は 見てる方もあふれ出るものが止まらない どこの国でも人の心は変わらない ひまわりだけは太陽のように燃えさかってる 私達もひまわりに負けないで
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アントニオが命を落とさなかったのは良かったけど、なんと残酷な運命なのでしょうか。美しく見えるひまわり畑の下にはたくさんの犠牲者が眠っていると聞いたシーンでは何とも言えない気持ちになりました。最後に列車で去るアントニオを見送るジョバンナの胸の内を思うと切ないです。
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ロシアでの再会で、堪らず動き出した列車に飛び乗るヒロイン。
気になって何度も見たが、
●アントニオを見たときには持っていたバックを、
★駈け出す時には持っておらず、
★列車に飛び乗る時も持っておらず、
★客席で号泣する時も持っていない。観客は「感動する」その時も、物理的な感性を失っていない。
名匠・デシーカは「カバンを持っていることで、芝居が制限されるのが嫌」と思ったのかもしれないが、それは間違っていた。さらにいうと、
構成上は、「ヒロインは未だ独り身」が「劇的」なのであって、優秀なシナリオライターが「結婚して、子供がいる」現在を選んだはずはない。でなければ、(未練たらたら)「出会った時の片っぽ耳飾りをつけてみる」などしない。
あるべき演出は、赤ん坊はベビーシッティングのアルバイトで、独身の一人暮らしだと、示すこと。どちらにしても、この映画は傑作であり、車窓から初めてひまわり畑が見える時の「手持ちのグラグラ画面」は効果的である。
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壮大なひまわり畑と美しいミュージックに再会するため、3回目か4回目かになると思いますが、今回見ました。
やたらに女々しい男(マストロヤンニ)と、やたらと気の強い女(ソフィアローレン)の、第二次世界大戦を背景にしたラブストーリー。
徴兵期間を稼ぐ為に結婚した二人は、今度は徴兵を逃れるために精神病を患うという大胆な偽装工作。結果、男は過酷なロシア(ウクライナ)戦線へ。
戦争で破れ大陸を撤退するイタリア軍、男は厳寒の中で倒れ離脱。地元の娘に助けられ九死に一生を得る。
戦後、帰国出来なかった(しなかった)男の元に、突然女が現れる。そこで二人は再会する。でも男はすでに幸せな家庭を持っていた。気の強い女は、一言も発しないで電車に飛び乗って帰国。女々しい男は呆然とただ黙って見送るだけ。これで終わればいいものを、後日男は、イタリアに進入、超しつこく元妻を追いかける。女にも既に新しい家庭があり、男はようやく諦めて帰る、というストーリー。
男のずるさとだらしなさと女々しさと嫌らしさ、ソフィアローレン演じる気の強いイタリア女の野生美が印象的な映画でした。
マンシーニの美しいメロディーとウクライナのひまわり畑の壮大な風景、良かったです。 -
美しい映画だ。現在、ウクライナ国軍がウクライナ東部住民を8年間殺戮することにより、ロシア軍が出兵して阻止しようとする事態になっているが、そこには、英米の思惑が絡み、複雑な事情となっている。ウクライナ国民がウクライナ国民を愛せない状況となっている。なんとも悲しい。
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子どもの頃、映画好きの父の影響でテレビで見たのが最初です。その後20代前半にリバイバルで見ました。
悲しく美しい曲とソ連のヒマワリ畑の映像、また前半に恋人同時がジャレ合う時のイタリアのヒマワリ畑の映像が心に残ります。
子どもの頃は悲しい映画なのに、なぜヒマワリなのか、ヒマワリは楽しいイメージがあったので不思議でしたが、大人になると理解できるものなのですね。 -
20代独身時、当時映画館で見た記憶は駅のホームと綺麗な女優さんとひまわり畑、後はあの名曲で映画を観ても内容がピンとこなくて時間が過ぎましたが最近TV放送を見てとても感動しました。人間として素晴らしい恋愛映画です。ラストシーン、自分なら出来るだろうかと考えさせられます。
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50年前大学生のころ、同じ下宿の友人がこの映画を見て感動したと、ラストシーンが泣けてしょうがなかったと言っていましたが、当時は意味が分からなかったです。その後テレビで放送され、意味が分かり、DVD を買って、好きなワインを飲みながら、このDVD を何度も見て、そのまま寝込んでしまうことたびたびでした。何度見てもラストシーンと悲しいテーマ曲と最後のひまわり畑のシーンは泣けました。それが今、この映画がウクライナで撮られたとは。テレビでも放映してほしいです。早く戦争が終わるのを祈ります。
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>福ちゃんさん
この人の言う通り、日本でも散々聞かされた悲劇です。
特に団塊世代の親の何割かは、当事者の子供では無いかと推察します。自分もそうだから。
でも邦画では、こんな洒落た映画にならんですね。やっぱ、イタリア人の映画音楽は情緒的にダイレクトに来るから、深夜、一人PCに向かって観るしかない。 -
映画の主役は二人だが、
もう一つの主役それはタイトルとなったひまわり畑
戦死者の墓標の象徴で
映画でのひまわり畑はイタリアでもロシアでもなくウクライナで撮影されたものだ。
第二次大戦初期からウクライナはスターリン政権の元、
ロシアの奴隷、捨て駒、家畜の存在で悲惨だった。それは思想として今でも変わらない。
ロシア、プーチンにとってはウクライナはいつまでも奴隷の存在で
ウクライナの物はすべてロシアの物という考えだ。食料も国土も何もかも。
2023年、墓標の象徴のウクライナのひまわり畑
皮肉にもウクライナで撮影されたこの映画の隠れた意味
80年経っても何も変わっていない。 -
「現在、ウクライナ国軍がウクライナ東部住民を8年間殺戮することにより、ロシア軍が出兵して阻止しようとする事態になっているが」なんてロシアのプロパガンダを信じている人はこの映画から何を感じた?
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この映画「ひまわり」は、イタリアの名匠ヴィットリオ・デ・シーカ監督が、じっくりと謳いあげた、堂々たる大メロドラマだ。
第二次世界大戦中、勝ち気なナポリ女、ソフィア・ローレン扮するジョヴァンナと、鼻の下の長いミラノ男、マルチェロ・マストロヤンニ扮するアントニオが結婚する。
二人のなれそめや、お熱いハネムーンの描写は、喜劇タッチで大いに笑わせてくれる。
夫婦がしめしあわせ、夫は発狂したふりをして召集を逃れるのだけれど、芝居がばれて、アントニオは厳寒のソ連戦線へと送られてしまう。悲劇はここから始まる。終戦になり、兵士はぞくぞく復員してくるのに、夫は行方不明だ。
待ちわびた妻のジョヴァンナは、単身、ソ連へと夫の消息を尋ねて旅立って行く。初めて入り込んだ、西欧側の劇映画のカメラが、ソ連の風景を新鮮にとらえる。
特に一望遥か、目もくらむ鮮やかさで咲き乱れる、ウクライナ地方のひまわり畑は、その下に倒れた無数の戦死者の魂と、女の愛の叫びの凝縮とも見え、厳しい美しさで胸を打つ。ついに、ジョヴァンナが捜しあてた夫には、だが若く美しい現地妻、「戦争と平和」で一躍世界中の注目を浴びた、リュドミラ・サヴェーリエワ扮するマーシャと、幼い女の子までいた。
この二人の妻の出会いと、もと夫婦の無言の再会の場面は、ヘンリー・マンシーニの哀切きわまりない音楽とともに、見事な盛り上がりを見せるが、後日、アントニオが故国イタリアへ、ジョヴァンニを訪れる二度目のめぐりあいは、さらに悲しい。
会えばいっとき、懐かしい愛がこぼれ落ちながら、過ぎた昔は取り戻すすべもない。
ラストの痛ましい余韻は、戦争の罪悪というよりも、人の世のさだめのむごさを、そくそくと伝えてくれる。
ワイルドで田舎娘っぽいでも美しいソフィアローレンに目が離せませんでした。戦争により、結婚して間も無く、愛する夫と別れ別れになり、そして悲劇の再開…涙無くして見れません。ソフィアローレンの、夫は絶対に生きていると信じて探しに行く姿に、女性として母としての強さを感じました。最後のシーンで、一面のひまわりの映像が素敵です。