影の車の紹介:1970年日本映画。松本清張原作の短編小説「潜在光景」を映画化した作品。平凡な中年男が不倫相手の息子から向けられる殺意に恐怖を抱いていく様がスリリングに描かれたサスペンス映画です。
監督:野村芳太郎 出演者:加藤剛(浜島幸雄)、岩下志麻(小磯泰子)、滝田裕介(浜島のおじさん)、岩崎加根子(浜島の母親)、芦田伸介(刑事)、ほか
映画「影の車」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「影の車」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
影の車の予告編 動画
映画「影の車」解説
この解説記事には映画「影の車」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
影の車のネタバレあらすじ:起
旅行代理店で働く浜島幸雄は、帰宅途中のバスの中で中学の同級生だった小磯泰子と再会します。浜島は家に帰ると妻の啓子にそのことを話しますが、自宅でフラワー教室を開いている啓子は付き合いで忙しく、話を親身に聞いてはくれません。浜島は今の夫婦生活に味気なさを感じているのでした。浜島は次の日の帰り道にもバスで泰子と一緒になります。夫に先立たれた泰子は、六歳の息子健一を女手ひとつで育てています。泰子の家に立ち寄った浜島は、彼女の好意に甘えて手料理をご馳走になるのでした。浜島は保険の外交員として働く泰子のために、集金の計算を手伝ったり、知人を紹介したりして世話を焼きはじめます。泰子もまた紳士的で頼りがいのある浜島に惹かれていくのでした。健一だけが仲睦まじい二人の様子に嫉妬し、孤独を深めていくのでした。
影の車のネタバレあらすじ:承
泰子の帰宅が夜遅くになれば、浜島は彼女の帰りを待っています。惹かれ合う二人は理性を押さえられなくなり、ついにある夜一線を越えてしまうのでした。啓子は休日も主婦達を招いて教室を開いているため、浜島には自宅にも居場所がありません。妻には散歩すると嘘をついて、昼間から泰子に会いに行くのでした。浜島は健一との距離を縮めたいと思うものの、健一はまったく懐く素振りを見せません。母子家庭で育ち、母の恋人であった男に心を許すことができなかった浜島には、健一の気持ちが痛いほど分かるのでした。日曜日、浜島は泰子と健一を連れて山にドライブに出掛けます。遊び疲れて眠ってしまった健一を置いて、浜島と泰子は情事にふけります。目が覚めると母の姿はなく、健一は強い疎外感を感じるのでした。母を奪われることを危惧した健一は、次第に浜島に反抗的な態度を見せるようになります。浜島もまた殺鼠剤入りの饅頭を食べさせそうになったことから、健一からの嫌がらせがエスカレートしていることを強く感じるのでした。
影の車のネタバレあらすじ:転
泰子は二人の間に不穏な空気が流れているとは知らず、浜島との恋愛にどっぷりのめり込んでいきます。健一は泰子を抱くと、恋人を水の事故で失った時の母の悲しい表情を思い出してしまうのでした。泰子の外出中に浜島がうたた寝していると、健一がヤカンを火にかけたまま外に遊びに行ってしまいます。ガス中毒になりかけた浜島は、健一が自分に強い殺意を抱いているのではないかと感じはじめます。浜島は母と男が家で抱き合う様子を目にするのが辛かったことを思い出し、いつしか幼き頃の自分と健一を重ね合わせているのでした。健一への後ろめたさを感じる浜島は、泰子を意識的に避けるようになります。しかし泰子は健一が浜島が父親になってもくれてもいいと言っていると話し、浜島は不安を払拭するのでした。そして土曜日、啓子に出張旅行だと嘘をつくと泰子の家に泊まりに行きます。家族のように三人で楽しい夜を過ごした後、浜島と泰子は激しく抱き合います。翌朝目覚めた浜島がトイレから出てくると、そこには健一が鉈を持って佇んでいました。鉈を振り上げて襲いかかろうとする健一を止めようともみ合いになるうちに、浜島は健一の首を絞めてしまうのでした。
影の車の結末
健一は短時間意識を失っただけで、命に別状はありませんでしたが、浜島は殺人未遂の容疑で逮捕されます。浜島は健一に鉈で殺されそうになったと刑事に話しますが、子供が邪魔で殺そうとしたのではないかと厳しく責められます。刑事からわずか六歳の子供が大人の男を殺そうと考えるわけがないと言われた浜島は、その言葉を強く否定します。そして浜島の脳裏に母の恋人の男とともに磯釣りに出かけた時のことがよみがえってきます。岩場で釣りをしている男から命綱を委ねられていた浜島は、鉈で命綱を切ってしまいます。バランスを失った男は岩に激しく頭をぶつけると、海へと転落してしまうのでした。浜島が男を殺したのは、奇しくも健一と同じ六歳の時でした。浜島が過去の過ちを思い出して絶望に打ちひしがれている頃、健一は無邪気に庭のブランコで遊んでいるのでした。
野村芳太郎監督、橋本忍脚本、川又昂撮影、芥川也寸志音楽という、松本清張の映画化の常連のベテランたちが結集して作った「影の車」(原作のタイトルは「潜在光景」)は、清張物の中では、「砂の器」と並んで最高傑作の映画だと思います。
開巻早々、サラリーマンたちがそわそわと退勤し、新興住宅地を走るバスで家路を急ぐシークエンスだけで、映画は昭和45年のムードを見事に描き出します。
昭和45年と言えば、大阪万博の年、戦後の高度経済成長期を虚心に駆け上がって来た人々が、慎ましくも衣食満ち足りて、郊外に新しい家を構え、精神的な踊り場にさしかかったような頃だったと言えると思います。
そして、そんな大多数の中の、普通の市民のひとりであったはずの、旅行案内所でこつこつ働く浜島(加藤剛)が、再会した幼馴染みの泰子(岩下志麻)とほんの出来心で関係を結んでしまうところから、彼の平穏な日常にひびが入ります。
松本清張の小説にしばしば登場する、小心なくせに利己的で、女や賭博に溺れてしまう小市民の男を、加藤剛が絶妙に演じているんですね。
俳優座所属の演技派の加藤剛は、日本のロバート・レッドフォードと言われるように、その端正な容貌から、「砂の器」の劇画チックで悲劇的な二枚目や、TVの「大岡越前」のような生硬なヒーローといった役柄を配されることが多いのですが、実はこういう精神的な脆弱さが表に出たような、”小物の悪人”といった役柄が凄く似合っていると思います。
恐らく、本人もいつにない役柄を面白がって熱演したのだと思いますが、この「影の車」の勤続12年の係長役は、本人があまり気にいらなかったという「砂の器」の天才作曲家役よりも、ずっと加藤剛という俳優の潜在的な才能を引き出していたと思います。
単調な会社勤めや社交好きのかまびすしい妻・啓子(小川真由美)との毎日にも、ややうんざり気味の浜島は、夫と死別して6歳の男児・健一を抱えながら、女の色香を持て余している泰子に、ずるずるとのめり込んでいきます。
この真面目に遊ばずにやってきた無趣味な男が、色欲にのめって、羽目を外したらどうなるか?
その歯止めの効かぬ危うさを加藤剛は、繊細な演技で表現しますが、一方の岩下志麻のこの頃の妖艶さもただならないものがありましたね。
この二人が、子供そっちのけになっていく薄情さも、それを埋め合わせようと、とってつけたようなサービスをする姑息さも、そのひとつひとつが、実にきめ細かく描かれており、健一が殺意を帯びる前提が周到に築かれるんですね。
そして、健一が浜島に仕掛ける毒饅頭やガス漏れといった、ちょっとした子供の殺意がリアリティを帯び、それが自らのトラウマと符号した浜島は、ノイローゼ気味に健一に恐怖を覚えるのですが、ここで開陳される浜島の幼児期の回想=「潜在光景」の描写は、実験的でありつつ、物語の求めるイメージと見事に合致していると思います。
撮影監督の川又昂は、カラーのマスターポジとモノクロのネガをずらして重ねるという着想をもって、まさに虚実の皮膜を映像として具現化して、我々に見せてくれるんですね。
この映像効果によって、幼い浜島が健一とまるで同じ理由で伯父(滝田裕介)を断崖から落として絶命させた記憶が、まがまがしさと美しさのないまぜになったイメージで、鮮烈に描かれて、この映画のピークをなしていると思います。
そして、この映像に加うるに、芥川也寸志のフランシス・レイ風のメランコリーを志向したようなメロディが全篇にさざめき、観終えた後も、いつまでも耳に残って離れません。
こうした一流のスタッフとキャスト、それぞれの意欲的な試みを、例によって鷹揚に、寛大にまとめあげた野村芳太郎監督の手腕も、実に見事だったと思います。