震える舌の紹介:1980年日本映画。原作者三木卓の体験を基にした同名小説を映画化した作品。破傷風に感染した幼き娘。過酷な現実を突きつけられた両親が我が子とともに病魔に立ち向かっていく姿を描いた人間ドラマです。
監督:野村芳太郎 出演者:渡瀬恒彦(三好昭)、十朱幸代(三好邦江)、中野良子(能勢医師)、宇野重吉(小児科医長)、若命真裕子(三好昌子)、ほか
映画「震える舌」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「震える舌」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
震える舌の予告編 動画
映画「震える舌」解説
この解説記事には映画「震える舌」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
震える舌のネタバレあらすじ:起
団地の前に広がる埋め立て地。幼女の昌子が蝶を追って遊んでいます。泥んこ遊びを始めた昌子は指先をケガしてしまいます。それから数日後、昌子は食欲がなく、元気もありません。母の邦江は昌子を病院に連れていきましたが、医師は口を開こうとしない昌子を診察することも難しく、昌子は風邪だと診断されます。両親は娘の歩き方がおかしいことに気づきますが、昌子は体調の変化を訴えることはありません。父の昭は再度病院に連れていくことにしますが、その夜昌子の容態が悪化します。身体を震わせたかと思うと、激しい痙攣をおこし、舌を噛んだ昌子の口の中は血で真っ赤に染まっているのでした。昭は昌子が舌を噛みちぎらないように口をこじ開けると、自分の指を押し込んで、応急処置するのでした。病院に運び込まれた昌子でしたが、掛かりつけの病院では診断が難しく、大学病院で診察を受けることになります。
震える舌のネタバレあらすじ:承
小児科の医長は昌子が口を開けられないことや脚気の症状があることから、重い病を疑います。そして様々な検査を受けた結果、昌子の身体は破傷風菌に侵されていることが判明するのでした。小児科医長から症例が少なく、致死率の高い感染症であることを聞かされた昭は、昌子の病状が決して楽観視できない状態であることを痛感します。音と光を遮断された暗い隔離病室で、昌子の入院生活が始まります。血清療法によって昌子の病状は落ち着くかと思われましたが、再び激しい痙攣を起こします。女医の能勢からはこの数日間がヤマだと告げられます。入院2日目。昌子は小さな音にも過敏に反応し、痙攣を繰り返すようになります。発作を起こすたびに、昌子はベッドに押さえつけられ、注射を打たれ続けます。夜になりようやく痙攣は治まりますが、能勢から病状がさらに悪化していることを告げられるのでした。邦江は祈るような気持ちで昌子の病状の記録をつけるようになります。
震える舌のネタバレあらすじ:転
入院3日目、筋肉の痙攣から窒息や肺炎を起こしやすい昌子は、酸素テントを被されて、動けないように手足も拘束されてしまいます。痙攣に苦しむ我が子に何もしてあげられない虚しさから、邦江は次第に自暴自棄になり始めます。邦江は昌子の処置にやってきた能勢にも敵意をあらわにし、平静を失っていくのでした。昭は病室で刃物を振り回して暴れる邦江をきつく叱りますが、昭もまた娘に噛まれて負傷した指先から破傷風菌に感染するのではないかと内心怯えているのでした。その後激しい痙攣を起こした昌子は、呼吸が止まり危険な状態に陥ってしまいます。医師達の懸命な処置により昌子は一命を取り留めますが、昭は我が子の死を覚悟するのでした。昭は邦江を一時帰宅させますが、極度のストレスから心身を病み始めている邦江は、昌子の病室に入るのさえ怖がるようになります。夫婦は互いの身体への負担を考え、朝晩交代で昌子の看護にあたるようにします。久しぶりに家に帰ってきた昭は、昌子が元気だった頃の姿を思い出しては涙が止まらなくなってしまうのでした。
震える舌の結末
入院から2週間、昌子の身体は快方に向かっていました。酸素テントを外された昌子は、無邪気にもチョコパンが食べたいと母に訴えかけます。昌子はその小さな身体で、恐ろしい病に立ち向かい、打ち勝ったのでした。昭は昌子のためにジュースを買おうと病室を飛び出すと、張りつめていた緊張感から解放され、一人安堵の涙を流すのでした。入院から一ヶ月。昌子が大部屋に移される日が来ました。順調に回復している昌子を病院に任せ、久しぶりに二人で家へ帰った昭と邦江は、その夜ようやく落ち着いて眠りにつくことができるのでした。
「震える舌」感想・レビュー
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最後、お父さんが転んだのは感染したからという人がいますが、安心してください
少なくとも映画内での行動では感染はありえません -
父母の3年半に渡る「介護の経験」などを含め、私はこれまで複数の病院で数多くの医師や看護婦さんと関わってきた。 具体的には「膵癌の母を1年半」と「誤嚥性肺炎の父を2年間」それぞれの寝たきり介護をしてきたのだ。 私は独り身であり親戚も死絶え、兄弟は遠方なので誰一人として頼る者がなく大変苦労して来た。 その間に救急車には6~7回ほど同乗し、自宅ではマッサージと洗濯と食事の世話をし、入院すれば着替えやら何やらを持って病院を慌ただしく行き来した。 病院ではサイコパスっぽい「頑迷な医師」を相手に「激論を交わす」こともしばしばあった。 先のこと:将来(穏やかな臨終の為の準備)を見据えた今後の治療の方向性や、まさに今:現在の「患者の負担/苦痛」を軽減するためのケアについて腹を据えて話し合ったのである。 「だからこそ」この映画「震える舌」の意図する所はよくわかる!「痛いほど良く解る」のだ。 だからこそ「他人事ではない」のである。 実際に病人の幻覚を伴う「せん妄」などの意識障害/意識混濁が出た場合は「家族はみな」苦労する。 この映画では5歳の女児が重篤な症状で「死線を彷徨う」という「究極の災厄」が牙をむいて若夫婦に襲い掛かる。 まるで「まな板の鯉」のようになっている痛々しい娘の姿。 どんどんとエスカレートする重篤な病状。 音と光を遮断して気配りと全神経を集中させてエンドレスで観察を続ける。 「生真面目で繊細」な母の邦江(十朱幸代)がどんどん壊れてゆく。 「実直 愚直」で不器用な父の昭(渡瀬恒彦)は途方に暮れる。 明朗だった若夫婦がとことん追い込まれてボロボロになる。 だからこの映画は一筋縄ではいかない。 シリアスな「人間ドラマ」であり、上質の「医療サスペンス」であり、同時に最恐の「ホラー映画」でもあるのだ。 全盛期の十朱幸代の艶めかしい「美貌とその演技力」 そして若く逞しい渡瀬恒彦のその「ナイスガイ」っぷりも清々しくて輝いていた。 しかしそれらは「見終えた後の感想」(結果論)なのであって、映画を見ている間は気が気ではなかった。 見ているこちらの方も気が滅入り気持ちが悪くなるほどの「インパクト」を受けた。 世の中には「奇病難病」に苦しまれている方々や、「不治の病」に悩み絶望する人々も沢山おられる。 そして「小児病棟と聞く」だけで胸が痛むし目頭が熱くなる。 高齢者・障害者・重病人なども全てが「人間のバリエーションの一つ」である。 人生は良くも悪くも多彩だ。 色々あるし何にでも遭遇する。 大切なのは他人を思いやる優しい心と、具体的な行動/アクションである。 ちょっとした善行であっても、大掛かりなボランティア活動でもよい。 私は「震える舌」を見てこれは決して「他人事や絵空事ではない」と改めて自分に言い聞かせたのである。 社会派サスペンスの名手で重鎮の野村芳太郎のこの「問題作にして独創的な傑作映画」に乾杯。
この映画が上映された当時「破傷風」という病気がとてつもなく恐ろしく、昌子ちゃんの闘病がめっちゃ怖かった覚えがあります。しかし何より感慨深いのは、昔の日本映画って真面目に作っているというところ。今で言うなら2時間ドラマを観ている感じでしょうか。ハッピーエンドでホッとしました。