斬るの紹介:1962年日本映画。柴田錬三郎の長編を新藤兼人が脚色した、勧善懲悪ではない異色の時代劇。同じ監督主演コンビの「剣」「剣鬼」と並んで「剣三部作」と称されている。冒頭の暗殺場面が印象的。
監督:三隅研次 出演:市川雷蔵(高倉信吾)、浅野進治郎(高倉信右衛門)、藤村志保(山口藤子)、天知茂(多田草司)、稲葉義男(池辺義一郎)、柳永二郎(松平大炊頭)、ほか
映画「斬る」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「斬る」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
斬るの予告編 動画
映画「斬る」解説
この解説記事には映画「斬る」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
斬るのネタバレあらすじ:起
天保3年3月、ある赤ん坊が密かに高倉信右衛門の養子となります。それから二十余年が経過し、信吾と名付けられたその男の子は立派に成長。藩内の狭い世界に閉じこもらず、他の国を歩いて見聞を広めたいと旅に出ます。
そして3年が経ち、ようやく家に帰還。彼はすっかり人間的に成熟していました。やがて、武道奨励のために水戸の名剣士庄司嘉兵衛との試合がおこなわれ、剣術が不得手のはずの信吾だけが庄司を倒します。どうやら、彼には隠れた剣の才能があるようでした。
斬るのネタバレあらすじ:承
以後も高倉家にとって平穏な日々が続いていましたが、突然事件が起こります。隣家の池辺義一郎が息子の義十郎の嫁に信吾の妹である芳尾を望んだものの、信右衛門に断られました。そのことを恨みに思って信吾の出生の秘密を藩内で喋ったところ、かえって藩主からお咎めを被ったのです。
このことで逆上した義一郎は義十郎とともに信右衛門と芳尾を襲撃。知らせを受けて信吾は家に駆けつけますが、芳尾は死んでおり、信右衛門も虫の息でした。
斬るのネタバレあらすじ:転
そして信吾は信右衛門から、自分の実の母が飯田藩江戸屋敷の侍女山口藤子、父親が長岡藩の多田草司だということを知らされます。藤子は藩命を受けて殿様の愛妾を殺したあと、彼女を救った草司と暮らして信吾を産みました。
結局、藤子は打首となりましたが、その処刑をおこなったのが何と草司でした。信吾はそんな運命的な男女から生まれた子供だったのです。信吾は義一郎と義十郎の跡を追い、2人を殺して仇討ちを果たします。
斬るの結末
そして、そのまま信吾は脱藩し、諸国を流浪する身に。長岡で実の父である多田草司と会い、母の墓に詣でた後、信吾は江戸へ。そこで千葉道場主の栄次郎に目をかけられ、彼は幕府大目付松平大炊頭の警備役となります。時代が風雲急を告げる中、松平は尊王の志士たちから次々と狙われますが、それらのことごとくを信吾は倒します。しかしその生命も尽きるときがきました。
水戸城内において志士たちの計略にかかり、松平が暗殺されてしまうのです。責任を感じた信吾はそのままそこで切腹。その数奇な短い生涯を終えます。
以上、映画「斬る」のあらすじと結末でした。
「斬る」とは読んで字の如く一刀両断に斬り捨てることである。それは至ってシンプルな行為であり、そこには哀れみや惻隠の情などが入り込む余地はない。何のためらいも躊躇もなく、ただ斬って捨てるのみ。これは同じく三隈研次と市川雷蔵のコンビによる、「大菩薩峠」にも共通する究極の武士道の姿なのである。「武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり」とは「葉隠」による極意の一つである。生と死はセットになっているので両者を分ける事も切り離す事も出来ない。よりよく生きる為に敢えて死を身近に置くこともある。賢者は無暗に死を恐れたり厭わない。映画の冒頭で藤村志保(藤子)が殿様の愛妾を切りつけるシーンが画面に広がる。そして打ち首・斬首刑へと続いてゆくのである。この作品は概して痛快な娯楽時代劇と言うわけにはいかない。処刑の際に笑みを浮かべて夫(多田草司)の剣の先に死を見据える藤子の潔さ。大勢の追っ手から弟を逃がす為に全裸の身を晒して斬殺される姉(佐代)の白肌と赤い血潮。松平を急襲した剣客嘉兵衛を一刀(ひと太刀)で真っ二つに斬り捨てる信吾の凄味。修羅場の連続だが決して残虐凄惨と言う訳でもない。何故なら剣の切れ味とカメラの切れ味が冴えわたり共にシンクロしているからだ。三隅は極力無駄を排してシンプルな構成で引っ張ってゆく。チャンバラもスピーディーで短くまとめている。画面構成の美・カメラワークの美・色彩の美、など三隈研次の美学が見事に行き渡り結晶化している。まるで浮世絵の美人画から抜け出たような藤村志保の美貌。白肌を見せ、歯を食いしばって睨み付ける万里昌代のあだっぽい色香。私は志保と昌代に美しい女の情念の朱い火柱を見る思いがした。そして信吾が殉死して主君・松平に身を重ねるシーンでこの映画は幕を閉じる。この作品を貫いているのは「生と死とエロスと美学」である。武士道と言う生き方は諦観とニヒリズムの美学でもある。そのニヒリズムと諦観に支えられた「生」にこそ、正真正銘の生々しい「エロス」が宿るのである。このユニークな作品もまた、この先何度か観返して更に熟成をさせてゆこうと思う。「斬る」は三隈研次と市川雷蔵が打ち立てた、まごうことなき傑作時代劇である。