海の上のピアニストの紹介:1998年イタリア,アメリカ映画。大西洋を横断する豪華客船で生まれ、生涯船を降りることのなかったあるピアニストの物語。音楽をエンニオ・モリコーネが担当し、ゴールデン・グローブ賞最優秀作曲賞の他、数多くの映画賞を受賞した。ピアニストが船を降りようとしない理由を話すシーンは涙なしでは観られないと話題である。
監督:ジュゼッペトルナトーレ 音楽:エンニオモリコーネ 出演:ティム・ロス(1900)、プルイット・テイラー・ヴィンス(マックス)、メラニー・ティエリー(少女)、ビル・ナン(ダニー)、クラレンス・ウィリアムズ3世(ジェリー・ロール・モートン)、ピーター・ヴォーン(店主)、ニール・オブライエン(港長)、アルベルト・ヴァスケス(機械工のメキシコ人)、ガブリエレ・ラヴィア(農夫)、ほか
映画「海の上のピアニスト」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「海の上のピアニスト」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「海の上のピアニスト」解説
この解説記事には映画「海の上のピアニスト」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
海の上のピアニストのネタバレあらすじ:起
1900年。豪華客船ヴァージニア号にT.Dレモン社の箱に入った赤ん坊が残されているのを、船で働く石炭焚きのダニー・ブートマン(ビル・ナン)が見つけ、彼は自分の子として育てることにします。ダニーは、赤ん坊にダニー・ブートマン・T.Dレモン・1900と名付けるのでした。1900は船底で育ち、彼が8歳の時にダニーが仕事中の事故により帰らぬ人となってしまいます。1900は法的には存在しない子供だったので、下船することは出来ませんでした。ある日、立入禁止とされていた客間に入った1900はそこで流れている音楽、特にピアノの演奏に心奪われます。その晩、1900はピアノを弾きますが、その演奏は天才的なもので、艦長や客は驚きます。
海の上のピアニストのネタバレあらすじ:承
トランペット奏者として船に雇われたマックス・トゥーニー(プルイット・テイラー・ヴィンス)は、青年になった1900(ティム・ロス)と出会います。客のためにピアノを弾く1900は、等級を気にせず乗る人全員を魅了し続けていました。マックスは1900に船を降りるよう勧めますが、彼は頑なに拒みます。どんなに素晴らしい演奏をしても、家族のいない1900は天涯孤独の身でした。ある日、1900の噂を聞き付けたジャズピアニストのジェリー・ロール・モートン(クラレンス・ウィリアムズ三世)から一方的にピアノによる決闘を申し込まれた1900は鬼気迫る見事な演奏で彼を打ち負かします。レコード会社が1900に契約を持ち込み、船内でレコードを吹き込みますが、彼はその時に見た美しい少女(メラニー・ティエリー)に一目惚れし、そのインスピレーションによって旋律を奏でます。しかし、1900は「これは自分の音楽だ。」と原盤を持ち去り、会社との契約も破棄するのでした。
海の上のピアニストのネタバレあらすじ:転
ある夜、少女のいる船室に忍び込んだ1900は、少女を見つけてキスしようとしますが、失敗に終わります。そして彼女が下船する翌朝、とうとう1900はその少女に話しかけます。実は、彼女はかつて1900が船で出会った男の娘だったのです。1900は彼女にレコードの原盤を渡そうとしますが、結局それは叶わず、彼は原盤を割って捨ててしまうのでした。1900は、彼女の父が言っていた海の声が聴きたいと願い、下船を決意します。仲間に見送られてタラップの途中まで行きましたが、結局彼は引き返して下船を取りやめるのでした。やがてマックスは船を下り、1900とも別れます。
海の上のピアニストの結末
時がたち、マックスは質屋にトランペットを売りにやって来ますが、そこで船で1900が弾いていたピアノと、そこにかつて自分が隠したレコードの原盤が修復されて残っていることを知ります。更に、マックスはもうすぐヴァージニア号が爆破されることを知り、まだ船内にいるであろう1900を心配し、彼を探し出そうとレコードを持って古びた船に乗り込み、そのレコードを流し続けます。そして人影を見つけたマックスはとうとう1900と再会を果たします。共に船を降りてバンドを始めようと誘うマックスに、1900は自分の生き方と考えを説き、船を降りずに自分の人生を終えることを選びます。マックスと別れた1900は船内に居続け、そして船はダイナマイトによって爆破されてしまうのでした。
この珠玉の名作「海の上のピアニスト」は、「ニュー・シネマ・パラダイス」のジュゼッペ・トルナトーレ監督が、一人芝居として有名なアレッサンドロ・バリッコの原作をもとに映画化し、私のように心から映画を愛する者に、また一つ忘れ難い感動を与えてくれた作品です。
船上で生まれ育ち、生涯一度も船を降りなかった天才ピアニストの数奇な運命が、唯一の親友の回顧録として語られる一大叙事詩となっています。
この映画の冒頭の客船に迫る自由の女神を目前にして、移民たちが、「アメリカだ!」と叫び、狂喜するシーンを観た時、「この映画は絶対好きになるに違いない」と確信しました。
このシーンこそが、このように”素晴らしい寓話”への入り口なんだと——-。
そして、今は落ちぶれたトランペット奏者のマックス(プルート・テイラー・ヴィンス)が、楽器屋の主人に話して聞かせるという構成で、この感動の物語は展開していきます。
生年に因んで1900(ナインティーン・ハンドレッド)と名付けられた子供は、船倉で育つ事になります。
ピアノとの出会いは、8歳の時で、一等客室に忍び込んで、ダンスホールのグランドピアノを弾きこなし、船の人々を驚かせたりします。
そして、成長したナインティーン・ハンドレッド(ティム・ロス)は、船に乗り合わせた人々が語る、陸の世界の風景や彼らの表情に浮かぶ生き様といったものに、インスピレーションを得て、その”夢や憧憬”を鍵盤に託していくのです——-。
その余りにピュアで、美しい音楽は、無垢なナインティーン・ハンドレッド自身の姿そのものなのだと思うのです。
ジャズの創始者であるジェリー・ロール・モートンの挑戦を受けて弾く、ピアノの力強さも実に聞き応えがあり、ユーモラスな雰囲気も手伝って、忘れられない名場面になったと心から思います。
陸から見える海の美しさを語り、人生をやり直すべくアメリカへと旅立った男との出会い、最初で最後の録音演奏中に、窓越しに見かけた美しい少女へのほのかな恋心。
そして、彼は船を降りる決意を固めていくのです。
しかし、果てしなく広がる摩天楼を前にして、彼は船へと引き返していくのです——-。
果たして、自分の世界に閉じこもる事を選んだ彼は、我々が共感すべくもない臆病な、人生の敗北者なのか?
いや、それは違うと思うのです。我々は彼が現代の外界が抱える”不安や毒”に触れてしまう事を望まないのです。
寓話は寓話として、美しいまま幕を閉じる事を切に臨むのです。
私は、マックスとナインティーン・ハンドレッドとの出会い、そして別れのシーンが大好きで、嵐の夜、激しく揺れる船内で、ストッパーを外したピアノの前にマックスと並んで座り、くるりくるりと回るピアノを奏でるナインティーン・ハンドレッド——-。
何ともファンタジックで、夢のような時間に酔いしれてしまいました。
そして、爆発前の船を降りて行く、マックスを見送る最後の瞬間、名残惜しそうに一度、二度と声を掛けるナインティーン・ハンドレッド。
彼のどこか弱い人間臭さを感じて、目頭が熱くなるのを禁じ得ませんでした。
とにかく、伝説のピアニスト、ナインティーン・ハンドレッドを演じたティム・ロスが、一世一代の名演技だったと思います。
穏かな表情の奥に、”先行きの見えない人生への不安”を見え隠れさせて、見事というしかありません。
そして、そんなナインティーン・ハンドレッドの切ない心情を映し出す、エンニオ・モリコーネのオリジナル・スコアの素晴らしさ。
一度きりの瞬間、瞬間を捉え、二度目はないという音楽は、様々な表情を見せ、たっぷりと感動の余韻に私を浸らせてくれました。
そして、「いい物語があって、それを語る人がいるかぎり、人生は捨てたもんじゃない」というナレーションは、そっくりそのままジュゼッペ・トルナトーレ監督の映画に対する取り組み方を表していると思います。
感動のツボを押さえた語り口のうまさは、もはや名人芸に達していて、いい物語を聞かせてあげたいというトルナーレ監督の、”温かく優しい思い”で溢れていて、楽器屋の店主が、マックスに大事なトランペットを返してやるラストの人情劇も、とても心が温まる思いで、名画を観終えた後の感動が、私の心の中でいつまでも爽やかな余韻として残り続けたのです。