パリの恋人の紹介:1957年アメリカ映画。“永遠の妖精”オードリー・ヘプバーンが初めてミュージカル作品に挑戦した意欲作です。パリを舞台に、ヘプバーン演じるインテリな古本屋の店員がニューヨークの老舗ファッション雑誌のトップモデルへ昇りつめていく過程を華やかに描きます。
監督:スタンリー・ドーネン 出演者:オードリー・ヘプバーン(ジョー・ストックトン)、フレッド・アステア(ディック・エイヴリー)、ケイ・トンプソン(マギー・プレスコット)、ミシェル・オークレール(エミール・フロストル)、ロバート・フレミング(ポール・デュヴァル)、アレックス・ゲリー(ドヴィッチ)、ルータ・リー(レティ)、イフィジェニー・カスティグリオニ(アルマンド)、ドビマ(マリオン)、バージニア・ギブソン(バブス)、ナンシー・キルガス(メリッサ)ほか
映画「パリの恋人」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「パリの恋人」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
パリの恋人の予告編 動画
映画「パリの恋人」解説
この解説記事には映画「パリの恋人」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
パリの恋人のネタバレあらすじ:起
創刊60年を誇るニューヨークの老舗ファッション雑誌「クォリティ・マガジン」の編集長マギー・プレスコット(ケイ・トンプソン)は「雑誌にはひらめきが必要」という考えの持ち主で、彼女が「次の流行色はピンク」と発言すればたちまちニューヨーク中がピンク一色に染まるという影響力の持ち主です。
マギーは次の展開として、ファッションに興味のなさそうなインテリ女性をファッションアイコンに仕立てようと思いつき、早速カメラマンのディック・エイヴリー(フレッド・アステア)は新しいモデルを探し始めました。グリニッジ・ヴィレッジに繰り出したディックとマギーは目論み通り堅苦しそうな古本屋を見つけ、留守の店主に代わって店番をしていた店員ジョー・ストックトン(オードリー・ヘプバーン)の制止も聞かずに、勝手に店内を散らかして撮影を開始してしまいました。
撮影後、ディックはジョーに店内を散らかしたことを謝りながら片づけを手伝いましたが、唐突にジョーにキスをしてしまいました。ディックが店を去った後、ジョーはこれまで味わったことのない胸の高鳴りに気が付いていました。
パリの恋人のネタバレあらすじ:承
ディックはジョーの写真をマギーに見せ、彼女をモデルに抜擢したいと提案しました。そこでマギーは本の配達という名目でジョーを呼び出し、無理矢理モデルにしようとしましたが、マギーの横暴さに腹を立てたジョーはその場から逃げ出しました。しかし、ジョーが逃げ着いた先はディックの暗室であり、ディックが自分をモデルに推薦したことを知ったジョーは自分の容姿への自信のなさから引け目を感じました。
しかし、ディックは個性的な顔だと言って引き続きジョーを説得、モデルになればパリに行けると言ってきました。かねてからパリ在住の哲学者エミール・フロストル教授(ミシェル・オークレール)が提唱する“共感主義”に傾倒しているジョーは、直接フロストルの講義が聞けるとあってモデルになることを決意しました。
ジョーはディックやマギーと共にパリへと飛び、思い思いに市内観光を楽しんだのちエッフェル塔で合流しました。一行はこれからデザイナーのポール・デュヴァル(ロバート・フレミング)と打ち合わせをする予定でしたが、なぜかジョーの姿が見当たりません。ジョーの行き先に心当たりがあるディックは、彼女が共感主義者たちが集うカフェで持論を展開し、踊りあかしている様を目の当たりにしました。
ジョーはディックからフロストルや共感主義を侮辱されたことに激怒しますが、ディックの謝罪を受け入れてからは互いに打ち解けあっていきました。
パリの恋人のネタバレあらすじ:転
翌日、ジョーはデュヴァルのアトリエで新作のドレスを身にまとい、その美しさはディックやマギーを大いに感激させました。やがてパリ市内で撮影が始まり、ジョーは次第にモデルとしての才能を発揮していきました。
しかし、ウエディングドレス姿での教会の撮影が終わったらパリともディックともお別れになってしまうことからジョーは感傷的になり、撮影を通じて互いに惹かれ合っていたジョーとディックは愛を誓いあいました。
撮影が終われば次は新作発表のショーと記者会見が開かれることになっており、ジョーはマギーから美しさを表現する心得を伝授されながら準備を進めていました。ところが、ショー当日の夜に、あのフロストルがカフェで講義を開くことを知ってしまったジョーは、5分間だけと言って会場を抜け出しました。ジョーはフロストルが思ったよりも若くハンサムなことに驚きながらも二人だけで話し合う機会を得ましたが、そこにディックがジョーを連れ戻しにやってきました。
フロストルに嫉妬したディックは、彼がただの女目当てだと忠告するもジョーは聞き入れず、二人はステージを壊すほどの大喧嘩となってしまいました。ショーは大失敗に終わり、マギーらはマスコミから笑いものにされてしまいました。
パリの恋人の結末
ジョーは再びディックたちの前から姿を消してしまいました。しかし、ジョーが共感主義者の集いに誘われたことを突き止めたディックとマギーは、共感主義者の夫婦に扮して会場に潜入しました。ところが、ジョーはディックとマギーの話を聞こうとせず、ファッション業界から身を引くとまで言い出してしまいます。
ディックはアメリカに帰ると言い出してしまい、二人を追い払ったジョーはフロストルと二人きりになりました。ところが、フロストルはジョーを誘惑して関係を迫り、その本性に気が付いたジョーはフロストルを殴り倒しその場を立ち去りました。
ジョーは空港に向かっていたディックを引き留めようとしましたが、マギーの説得を受けて新作発表のショーに出演しました。しかし、代わりに空港に向かったマギーはディックを見つけられず、ショーの最後にウエディングドレスを身にまとったジョーは思わず涙を流しました。
一方、ディックは飛行機に乗る直前でジョーに殴られて怪我を負ったフロストルと遭遇、ジョーの真意を知るとショーの会場へ急ぎました。しかし、既にショーは終わっており、会場にはジョーの姿はありませんでした。
ディックはマギーの助言を受けてウェディングドレスの撮影をした教会へ向かい、そこでウェディングドレス姿のジョーと対面を果たして、愛を確かめ合いました。
以上、映画「パリの恋人」のあらすじと結末でした。
「パリの恋人」感想・レビュー
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この映画の監督のスタンリー・ドーネンも、主役のオードリー・ヘプバーンも、そして助演のフレッド・アステアも、3人が3人共に「みなが揃って超一流のダンサー」なのである。 だから必然的に全編にわたる「華麗なるダンスシーン」が素晴らしいの当然の帰結だと言えよう。 何しろヘプバーンは女優になる前は「バレエダンサー/トップダンサー」として舞台に立っていたのだから。 その彼女のダンスの師匠が「ニジンスキーの助手」をしていたマリー・ランバート(有名なダンス教師/振付師)である。 そして、ニジンスキーと言えば「踊る神」と呼ばれた「伝説のバレエダンサー」であり、ストラヴィンスキーの「春の祭典」を手掛けた最初の振付師でもある。 ことほどさように「熱烈なる舞踊マニア」としては、もうこれ以上ない「最高のお膳立てが整った」というわけだ。 だからこの映画を見る前から期待に胸が膨らむのは寧ろ当然の事だと言えよう。 さて、「パリの恋人」( 57年度作品 原題:Funny Face)では「オープニングのタイトルシークエンス」と、ヘプバーンが登場する前の約9分間のシーンが「粋で最高にオシャレ」な仕上がりをみせている。 ここでの、ファッション雑誌「クオリティー」の編集長マギーと、その仲間たちやスタッフが繰り広げる「ドタバタ/寸劇」がメチャクチャ素晴らしい! 文字通りファッション誌の頁をめくる「夢のような感覚」に満ちている。 更にマギーの「鶴の一声」次号は「ピンクでいきましょう!」これは正に私にとっては「ご馳走さま」なのである。 偉大なるピンクこそは、ロールスロイスの「ゴーストの特別仕様車」や、サンダーバードの「レディペネロープ号」(これもロールスロイス)を彷彿させる。 ことほどさように「ピンクカラー」(ゴールドとも相性抜群)と言えば、オシャレで「セクシーでゴージャス」なのである。 この映画の原題は「Funny Face」であり、それは取りも直さずジョーを演じたヘプバーンを意味している。 つまりオードリー・ヘプバーンは「映画界/ファッション界の貴重なるアイコン」であり同時に「偉大なるブランド」なのである。 そして、ヘプバーンはただそこに立っているだけで既に「完成した芸術品」なのだ。 つまり彼女はセリフを言わず、演技をしなくとも「既に成立/完結」しているからである。彼女の立ち姿や その所作の一つ一つが美しくて「完璧」なのだ。 すなわち「華奢な肢体」のヘプバーンの中には、この「世界がまるごとすっぽり」と収まっているのである。 この映画でヘプバーンの顔がアップになると、その「コケティッシュでいたずらっぽい」表情と、その確信に満ちた「瞳の奥に思わず未来を予見」してしまう。 つまりそれは4年後の「ティファニーで朝食を」(61年度作品)と、6年後の「シャレード」(63年度作品)で確立された彼女の「ブランドイメージとしてのビジョン」のことである。 スタンリー・ドーネンは予めそのことを見越した上でこの映画を撮ったのかも知れない。 だからこそドーネンの「シャレード」と「パリの恋人」は必然的に繋がっていたのだ。 ヘプバーンはジバンシィのオートクチュールでも、カジュアルなジーンズスタイルでも、「さり気なく自己主張」できる稀有な存在だ。 このさり気ない自己主張の本質は「この世に生み落とされた小さな生命の魂の叫び」ではないかと考えている。 それが「ティファニーで朝食を」の土砂降りでのキャット(ノラ猫)との再会にも繋がっている。 この「名シーン」はノラ猫とヒロインの「孤独な魂が見事に繋がった瞬間」なのであった。 そして「パリの恋人」の中でもヘプバーンの自己主張は一貫している。 まるで未来のハリウッドを予見するかの如くに、フェミニズムだの多様性などの「過剰防衛」が目についた。 ヘプバーンが鼻っ柱の強い「気骨の女」を演じていた。 この映画では「軽妙洒脱」(粋でいなせ)なアステアと、最先端を行くアバンギャルドなヘプバーンのコンビネーションが面白かった。 天才的ダンサーでボードビリアンのアステアと、近代バレエで鍛え上げたヘプバーンの対峙が何とも小気味よかったのである。 それはつまり流麗かつ洗練された紳士 VS 先鋭的かつシャープな小娘ということ。 ボヘミアン(奔放なリベラリスト)の聖地であるマンハッタン(グリニッジビレッジ)から芸術の都パリへ! ミュージカルであると同時に、カウンターカルチャーやリベラリズムやフェミニズムなどの当時の先端を行くセンシティブなコンテンツを含む、見本市会場のような盛沢山の映画なのだ。 切り口を変えて工夫して観て見れば、そこにはきっと新たなる発見があるはずだ。 「パリの恋人」は私たちの期待を裏切らず、常に感性を刺激する「唯一無二の傑作ミュージカル」なのである。
「ス・ワンダフル」の歌が耳について離れない映画です。カルーゼル凱旋門前で風船を持つオードリー・ヘップバーンの、キュートでスタイリッシュな姿は必見。パリに行ったことがない方も、この映画を見たら行ってみたくなるかも。