カマロン・ザ・ムービーの紹介:2018年スペイン映画。フラメンコ歌手として世界に名を馳せたカマロンの棺に集まる民衆。彼の歌はなぜ人々の心を掴み、音楽は世界規模へ発展したのか。その歩みを追う。
監督:アレクシス・モランテ 出演者
:カマロン・デ・ラ・イスラ、パコ・デ・ルシア、フアン・ディエゴ
映画「カマロン・ザ・ムービー」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「カマロン・ザ・ムービー」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
カマロン・ザ・ムービーの予告編 動画
映画「カマロン・ザ・ムービー」解説
この解説記事には映画「カマロン・ザ・ムービー」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
カマロン・ザ・ムービーのネタバレあらすじ:起・島から世界へ
1950年、フランコ政権下の高度経済成長期、カマロンはスペインの小さな島で生まれた。島の半分は富裕層が占め、もう半分にカマロン一家を含む貧民層が住んでいた。
幼い頃から母の歌を聞いて育ったカマロンは、パーティーなどで歌い手として名を馳せるようになり、アントニオ・マイレーナに見いだされ、音楽会社と契約するようになった。しかし、それまで歌っていたパーティとコンサートは違った。
やがて拠点をマドリードに移したカマロンは、ギタリストのパコ・デ・ルシアと出会い、レコードを出した。売れ出したカマロンはアメリカ映画に出演するようになったが、声を吹き替えられてしまった事で、彼の評判は落ちてしまった。
カマロン・ザ・ムービーのネタバレあらすじ:承・ロマとして
新しい土地で、ロマではない人と交流するようになり影響を受けたカマロンだったが、自分のルーツである母の事や、生まれた土地の事は忘れなかった。そして、彼は常にロマであること、中世から現代まで続いているロマへの迫害の歴史に目を向けて歌に託した。
25歳で結婚すると、スペインではフランコ政権から民主化への動きが盛んになった。セビリアにはベトナム戦争帰りの米軍が立ち寄り、彼らの聴くレコードが入って来た。そこからエレキギターを使うフラメンコが生まれ、はじめは冒涜と言われるも、フラメンコとロックの融合はスペインの音楽史を変えていった。
カマロン・ザ・ムービーのネタバレあらすじ:転・不遇の時代から世界へ
カマロンの名義で出した新しいスタイルの音楽はフラメンコではないと、モダンを嫌う人々には受け入れられなかった。そこへ、パコ・デ・ルシアが訪ね、二人でまたアルバムを作った。
80年代はヘロインなどドラッグが蔓延し、カマロンもヘロイン中毒になり収録が困難なほどだった。しかしやめることができず、死亡者が出る自動車事故を起こし懲役刑となった。その後、薬物依存から脱しようとプロの治療を受けた。
そして画家のミゲル・バレシッリョの伝手でパリでコンサートを開き、そこからロンドン、ニューヨークで成功を収めた。
カマロン・ザ・ムービーの結末:早すぎる晩年
1991年、バルセロナオリンピックでスペインは世界中から注目された。カマロンもモントルージャズフェスに呼ばれ、国際的スターなった。しかし、41歳を迎えると肺がんが発覚し、収録は一時中止となった。
パコが駆けつけ、新しいアルバムを作り始めるが、テレビのインタビューで話した「曲の権利」についての話が世間に誤解を生んでしまった。パコはカマロンに会おうとしたが間に合わなかった。
余命は後数ヶ月との事だったが、マドリッドにある大学でのコンサート、万博のPVで予定していたソイヒターノではない曲を歌い、1992年の7月に没した。
病院にはたくさんの人が押し寄せ、カマロンの棺が出てくるのを待っていた。
以上、映画「カマロン・ザ・ムービー」のあらすじと結末でした。
カマロン・ザ・ムービーのレビュー・考察:ルーツを見失わない音楽
時代が変わるごとに新しい手法や、楽器が生まれるのは必然で、二次大戦後を挟み目まぐるしく変わる世界情勢の中で、関わる国と文化も当然変化している。フラメンコは元々セビリアのロマ達の間で歌い継がれ踊り継がれて来た伝統文化の一つである。それがカマロンや、パコ・デ・ルシアによって一つの音楽ジャンルとして確立され広まっていった。そこには、グローバル化されていく中でも変わらない芯のある、ロマ達の唯一無二のアイデンティティへの「憧れ」があるように思えてならない。
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