異邦人の紹介:1968年イタリア,フランス映画。1938年、アルジェリア。事務員ムルソーは恋人や友人と過ごす休日、ひょんなことからアラブ人を射殺してしまう。それは太陽のせい?――ノーベル賞作家アルベール・カミュの代表作を、『山猫』等のヴィスコンティ監督が映画化。主演は『白夜』以来のヴィスコンティ作品出演になるマストロヤンニ。1968年9月の英語版による日本初公開以来ほとんど鑑賞される機会がなかったが、2021年、イタリア語版で再公開された。
監督:ルキノ・ヴィスコンティ 出演:マルチェロ・マストロヤンニ(アルチュール・ムルソー)、アンナ・カリーナ(マリー)、ベルナール・ブリエ(弁護士)、ブルーノ・クレメル(司祭)、ジョルジュ・ジェレ(レイモン)、ほか
映画「異邦人」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「異邦人」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「異邦人」解説
この解説記事には映画「異邦人」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
異邦人のネタバレあらすじ:母の死
手錠をはめられたアルチュール・ムルソーが、人であふれる廊下を引っ立てられていく。取調室で手錠を外されたムルソーは弁護士について問われるが、弁護士はいらないと答える。自分の事件は簡単だからと。
1938年のアルジェ。船会社の事務員のムルソーは会社には昼食を一緒に食べに行く友だちもいるし、仕事ぶりも、パリ支店を出すのでパリに行かないかと社長から打診されるほどだ。だが、学生時代には私にも野心があったが今はそんなものはないと転勤を断る男だ。
母を養うお金がないために3年前に養老院に入れた母の訃報に接し、ムルソーは葬儀に出るためバスに飛び乗る。養老院はマレンゴという町にある。養老院に着くと院長の部屋に通されてから、大きな天窓のある霊安室に連れていかれる。だが、母の顔を見せようと言う職員にそれを断った。老人たちと通夜をして、翌日葬儀に出て埋葬に立ち会った。
その翌日の土曜日、海水浴に行ったムルソーは会社の元同僚マリーに出会う。二人は一緒に泳いで太陽の光を浴び、フェルナンデル出演のコメディ映画を観に行く。
異邦人のネタバレあらすじ:レイモン
後日の夜、ムルソーは同じアパートに住むレイモンの部屋に招かれる。自分では倉庫係だと言うレイモンだが、アパートの住人たちは彼をアラブ人の女のヒモだと言っている。レイモンはそのアラブ人の愛人が彼を裏切って別に男を作っていたので懲らしめたいと言う。そのために文才のあるムルソーが手紙を書いてくれと頼み、ムルソーは承知する。
数日後、再びマリーと会ったムルソーは、彼の部屋で彼女とセックスをする。「私を愛している?」と尋ねるマリーに、「愛していないが君が望むなら結婚する」と答えるムルソー。だが二人の静かな朝はレイモンの部屋からの叫び声で乱される。アラブ人の女と彼女に仕返しを果たしたレイモンの声だ。
二人のもめごとに、アパートの住人が警察を呼び、レイモンは警察に連れいかれる。後でムルソーがレイモンの身元を引き受けて彼に感謝される。
異邦人のネタバレあらすじ:アラブ人
ムルソーとマリーはレイモンに誘われて、レイモンの友人マソン夫婦の海辺の別荘にて遊ぶ。だが、マソンの散歩にレイモンとムルソーがつき合うと、アルジェからレイモンをつけてきたレイモンの愛人の兄とその仲間が彼らを襲撃する。レイモンが腕にナイフで切りつけられて逃げる。
応急処置をしたレイモンは仕返しをしようと、ムルソーを連れてアラブ人たちのいる小さな泉の前に行くが、ムルソーがレイモンの所持する拳銃を預かったことにより、大事にならずに二人は引き返す。だが、暑さによる疲労でマソンの別荘の階段を上る気になれないムルソーは、浜辺を引き返す。
再び小さな泉の前に来る。アラブ人がナイフを取り出すのを見て拳銃の引き金を引いてしまう。ためらい、太陽を見つめた後、残りの銃弾を倒れているアラブ人に向けて撃ってしまった。なぜ2発目以降を撃ったのはムルソーにもわからなかった。
異邦人のネタバレあらすじ:冷淡な男
独房でムルソーの弁護士は、「予審判事が養老院で取り調べを済ませた、母の葬儀での冷淡な態度は裁判で不利になる」と心配する。取り調べで予審判事は、反省のそぶりを見せないムルソーの前に十字架を出し、神を信じるのかと問い詰める。信じないと答えたムルソーは心象を悪くしてしまう。
面会日が来る。面会所では檻の中の男たちに、反対側の鉄格子の向こうにいるマリーを含む面会人たちが声をかける。レイモンがよろしくと言っていたと言うマリーに、ムルソーはこちらからもよろしくと答える。釈放されたら結婚しようと言うマリーの言葉には無言。親族ではないのでもう面会することができないと言うマリーの言葉にも無言をムルソーは通した。
異邦人のネタバレあらすじ:判決
裁判が始まる。ムルソーも判事も陪審員も傍聴人も暑さをこらえながらの裁判になる。養老院の人たちが証人として呼ばれ、検事はムルソーが母を養老院送りにし、その母の死にも心が動かない不道徳な人間であると証明しようとする。
ムルソーの行きつけの食堂の主人は、ムルソーが善人であることを言い、アパートの住人の老人は行方不明になってしまった彼の犬にムルソーが優しかったことを証言するものの、ムルソーの恋人と名乗って証言に立ったマリーから検事は、母の葬儀のまだ翌日だというのにムルソーが彼女とコメディ映画を見て情事にふけったという証言を引き出し、マリーは泣いてしまう。
そして、証言台でムルソーを無罪だと言うレイモンについて検事は、彼がヒモであり、ムルソーはレイモンのためにレイモンの愛人をだます手紙を書いたと言う。
検事が陪審員に向けてムルソーの不道徳を強調した後、判事はムルソーに殺人の動機をたずねるが、ムルソーは「太陽のせい」だと言う。弁護士がムルソーが善良な市民であったことを論じて結審し、判決が言い渡される。有罪で斬首刑であった。
異邦人のネタバレあらすじ:処刑の朝
死刑囚は早朝に刑場へと呼び出される。不意打ちされて刑場へ連れていかれるのを恐れて、ムルソーは昼間眠って夜起きている生活を独房でする。
ある夜、司祭が突然やってくる。教誨師を断り続けてきたムルソーは驚く。司祭は、無神論者だというムルソーに、本心は違うのではないかと言って対話を試みようとする。しかし、「人は必ず死ぬ、その時神に直面するはずだ」と一方的に主張する司祭に対して、ムルソーはとうとう怒りを爆発させ、ついに司祭も独房を出ていく。
一人になり、怒りを鎮めたムルソーは静けさの中で母親のことを思い、自分が幸福であったことを実感する。間もなくムルソーを刑場へと連れていくために刑吏がやってくる。ムルソーの残る希望は、人々から刑場で罵声を浴びせられることだけだった。
以上、映画「異邦人」のあらすじと結末でした。
「異邦人」感想・レビュー
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主人公のムルソー(マルチェロ・マストロヤンニ)は、平凡な男だ。
それなのに、彼はいつの間にか、彼をめぐる社会からはみ出した”異邦人”になってしまっていることに気づく。平凡な男が、いつの間にか平凡でない存在になってしまうのはなぜだろうか?
養老院で母が死んだので、彼は町から60キロほど離れた田舎の養老院へ行く。
汚いバスの中で、彼は暑さにぐったりしている。暑い時に暑いと感じるのは当たり前だ。
そんな風に、彼の気持ちは、常に当たり前に動いて行く。母の遺骸の傍らで通夜をしながら、彼は煙草を吸う。そして、コーヒーを飲んだ。
そのことが、後で彼が裁判にかけられた時、不利な状況証拠となってしまう。
母の遺骸に涙も流さず、不謹慎にも煙草を吸い、コーヒーを飲んだと受け取られるのだ。それでは、ムルソーにとって、母の遺骸の前で泣き、煙草もコーヒーも断つことが、彼の本当の気持ちに忠実だったのかといえば、それはもちろん違う。
そんなことは、悲しみのまやかし的表現であり、嘘である。
ムルソーは、自分の気持ちを偽ることができなかったのだ。暑い葬式の後で、泳ぎに行き、女友達のマリー(アンナ・カリーナ)に会い、フェルナンデルの喜劇映画を観に行った。
それは、果たして、法廷で非難されたように不謹慎な行為なのだろうか?ムルソーは、ごく当たり前に生活する。
それが、世の中を支配しているまやかしの道徳にそぐわなかったのだ。ムルソーは、”異邦人”のごとく見られ、断罪される。
だが、真に断罪されなければならないのは、彼を有罪とした社会なのだ。“太陽のせいで”アラブ人を射殺する有名な事件は、原作者アルベール・カミュの”不条理”の哲学を直截に、しかも余すところなく具現化したものと言えるだろう。
ムルソーの人生は、不条理だ。だが、それでは条理とはなにか?
ムルソーの生き方を見ていると、不条理に生きる人生こそが、最も平凡な、というよりは人間として当然の人生ではないかとさえ思われる。それに比べて、条理の側に立ってムルソーを断罪する人たちの道徳や倫理観の、なんと非人間的なことか。
ムルソーの不条理とは、最も人間的に生きることなのであった。かくて、最も人間的に生きた人間が断罪される不条理こそが問われなければならなくなってくるのだ。
戦後のノーベル文学賞最年少受賞作家アルベール・カミュの原作を、ルキノ・ビスコンティが映画化した。
原作は、「きのうママンが死んだ」という印象的な一文で始まる、20世紀文学の代表作とさえ言われた小説で、不条理の文学として一世を風靡した。
主人公の名はムルソーといい、一説によるとmourir(死ぬ)のムルと、soleil(太陽)のソーをくっつけた、と言われている。
このムルソーは一見何に対しても無気力で執着がなく、母の死に際しても涙を流さない、恋人マリーにわたしを愛しているか、と聞かれても、良くわからないが、たぶん愛していない、でも君が望むなら結婚しよう、というような受け答えをする、ちょっと理解に苦しむ男なのだ。
友人たちと、ある日海に行ったムルソーは、1人になった時、いざこざのあったアラブ人を銃で撃ち殺してしまう。
しかし、これだけだったら小説でも映画でもよくあることなのだが、彼はさらにその息絶えたアラブ人に4発(だったと思う)の弾丸を打ち込む。
やがて裁判になった時、彼が、母の葬式で涙を流さなかったこと、アラブ人に何発もの弾丸を打ち込んだことが問題視される。
そしてアラブ人を撃ち殺した動機について、ムルソーは「太陽のせい」と答える。
この、普通の人間的な情緒の一貫性に欠けたムルソーは死刑の宣告を受けるが、牢獄でも司祭の話を聞かされても神に救いを求める事は決してない。
そして死に際して、自分は幸福だったと思い、残る希望は刑場で人々から罵声を浴びせられることだけだった。
実は私は高校生の頃、この作品が大好きな大学院生がいて、勧められて精読したが、どうもよく理解できない気がした。
映画も、ムルソーを、マルチェロ・マストロヤンニが演じたが、この有名な俳優はチョットミスキャストのように思えた。
ちなみにあのアラン・ドロンがムルソー役を強く望んでいたと聞いて、ますますこの小説は哲学的でありながら、何とミーハー的なのだろうと思ってしまった。
付け加えると、アルベール・カミュは若くして自動車事故で亡くなったが、暗殺されたという説まであって、何だか作品もよう分からんが、人もよう分からんのであった。