激突!の紹介:1971年アメリカ映画。「E.T」や「ジュラシックパーク」等大ヒット作品を数々生み出した世界的にも有名なスピルバーグ監督が無名時代に手掛けた低予算作品です。激突!は、主人公がタンクローリーに執拗に追われる様が非常にスリリングに作られていて監督のセンスの良さを感じずにはいられない古き良き作品となっています。
監督:スティーヴン・スピルバーグ 出演:デニス・ウィーヴァー(デヴィッド・マン)、キャリー・ロフティン(トラックの運転手)、エディ・ファイアストーン(カフェの主人)、ルー・フリッゼル(バスの運転手)、ルシル・ベンソン(蛇屋の女性)、ジャクリーン・スコット(マン夫人)、アレクサンダー・ロックウッド(車の老人)、ほか
映画「激突!」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「激突!」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
激突!の予告編 動画
映画「激突!」解説
この解説記事には映画「激突!」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
激突!のネタバレあらすじ:起
ハイウェイを走っていたデヴィッド・マン(デニス・ウィーバー)は、妻との約束があるため少し急いでいました。しかし目の前にはタンクローリーがいます。タンクローリーの排気ガスが不快だったのでデヴィッドはタンクローリーを追い抜きます。するとタンクローリーが追い抜き返してきたので、デヴィッドはさらに抜き返し、タンクローリーを大きく突き放して行きました。
デヴィッドがガソリンスタンドに立ち寄ると、タンクローリーの運転手もここに立ち寄り、スタンドを出るとタンクローリーの運転手も同時に出発し、嫌がらせのようにノロノロ走ったり、対向車がいるのに追い越しの合図を送ったりしました。
激突!のネタバレあらすじ:承
完全に頭に来たデヴィッドは、再びタンクローリーを抜き返して突き放していきます。したり顔のデヴィッドでしたが喜びも束の間、タンクローリーが猛スピードで近づいてきてデヴィッドの車に追突してきました。状況は一転、やっとの思いで通り道のカフェに逃げ込みました。
逃げ込んでホッとしたデヴィッドでしたが、外を見ると例のタンクローリーが停車しているのです。焦ったデヴィッドは店内を見渡し、タンクローリーの運転手として少し記憶にあったカウボーイブーツの男を探し、見つけた男にこれ以上追い回すのは止めるよう注意すると、喧嘩になりカフェを追い出されてしまいます。後にそれが人違いだと分かり、タンクローリーの運転手は車内に座ったままでした。タンクローリーはデヴィッドを嘲笑うかのように去っていきます。
激突!のネタバレあらすじ:転
再び出発したデヴィッドでしたが、また待ち伏せしていたタンクローリーの嫌がらせは続きます。追突はもちろんのこと、走行中に後ろから押してきたり、電車が来る踏切で、線路内に車ごと押し入れようとしてきたりと運転手の行動は段々と狂気じみてきます。
デヴィッドはガソリンスタンドを見つけて通報しようと電話ボックスに駆け込みますが、デヴィッドを電話ボックスごと轢き殺そうとしてきたのです。このままだと命が危ないと思ったデヴィッドはタンクローリーの執拗な追走から逃げようと考えたのです。
激突!の結末
延々と続く追走劇、いくら逃げてもダメだと感じたデヴィッドは、やがてタンクローリーと真っ向勝負することを決意します。崖に挑む場所でタンクローリーの正面に向きなおしたデヴィッドに、真っ直ぐに猛スピードで向かって来るタンクローリー。デヴィッドは自分の車のアクセルにカバンを挟み、アクセルを固定、そのままタンクローリーに突き進んでぶつかる直前にドアを開けて飛び降りました。
デヴィッドの車はタンクローリーにぶつかり爆破、その勢いのままタンクローリーはデヴィッドの車ごと谷底に落ちていきました。命からがらの勝利に喜ぶデヴィッドでしたが、この場所は未だ人一人通らないような場所。車を大破したデヴィッドは果たしてどうするのでしょうか。
以上、映画「激突!」のあらすじと結末でした。
激突!レビュー・解説
スティーヴン・ スピルバーグ監督は日本人の多くが聞いた事のある名監督になります。名作からファンタジー、臨場感溢れる作品まで、アメリカ、日本だけではなく世界中で好まれて観られています。そんなスティーヴン・ スピルバーグが監督としてまだ無名だった時代に撮影した映画「激突!」は、1970年代に作られ、彼の知名度を上げる作品になりました。激突!は、シンプルなストーリーの中に、恐怖やカーアクションなどが盛り込まれています。
まず、ストーリーの最初は、アメリカの自然地帯の道路をのんびりと走行する主人公の姿から始まります。雄大なアメリカの道路をドライブする事は、気分良く、一度はチャレンジしてみたい気持ちになる映像になります。そんな主人公の車が、一台の大きなタンクローリーを追い抜いた所から思わぬ展開が始まっていきます。タンクローリーは、主人公の車の後ろを威圧、追突するような走行で追いかけてきます。
タンクローリーの運転手は、顔が分からないため不気味で、迫力を感じます。主人公は、逃げても追いかけてくるタンクローリーに不安や恐怖を感じていきます。ある喫茶店の駐車場にタンクローリーが停車しており、主人公は店に入って運転手を探そうとしますが、違う客と喧嘩になってしまいます。走っても走ってもタンクローリーは追いかけてきて、電車に押しやろうと追突されたりもします。
観客は、単純な内容の中にも面白さとホラー映画のような魅力を感じられる内容になっています。そんなストーリーの最後は、主人公の車はタンクローリーと共に崖下へ落ちていきます。崖に落ちる手前で脱出した主人公は、子どものようにはしゃぎ、喜んだ後、虚しいような気持ちで終わりを迎えます。激突は、日本で公開された後、数年後にテレビで放映されて注目されました。
「激突!」感想・レビュー
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スティーブン・スピルバーグの名を世に知らしめた、記念すべきスピルバーグの第1作である。
以前、名作は時にシンプルだと思うと書いたが、この映画もかなりシンプルな作品と言っていいと思う。
内容は、タンクローリーと自家用車の一騎打ちというより、タンクローリーが理不尽に自分の車を狙って戦いを挑んでくる。
登場人物は、最初から最後まで、ほとんどデニス・ウェーバー1人と言ってもいい。あとは巨大な(巨大でもないかもしれないが、恐怖のせいで巨大に見えてくる)タンクローリーが主役である。そしてタンクローリーの運転手は、最後まで誰か分からない。そして、まさに主人公を殺しにかかるのだ。
もしかしたら、この映画は何パターンか別の作品があるのかもしれない。たとえば「レオン」や「ニュー・シネマ・パラダイス」に、公開当時のものと、完全版などがあるように。
というのも、ネットなどで見ていると、私の記憶と大分違ったあらすじが書いてあるものもある。つまり、こんな場面は無かったと思うのだが、というような場面が書き込まれているのだ。
だから、私の記憶に基づいてあらすじを書こうと思ったが、そういう意味でも、また、どこをとってもネタバレになる、全編スリリングな話なので、あらすじは割愛させていただいた方がいい。
この一作で映画界に登場したスピルバーグは、ハリウッドの第一線で、次々と優れた作品を生み出した。
「ジョーズ」「未知との遭遇」「ET」「ジュラシック・パーク」「シンドラーのリスト」などなど、どれをとっても筆舌に尽くしがたい傑作ばかりだ。こうした事を、ここに今さら書き連ねる必要は、これ以上ないだろう。
ただ最後に1つだけ書き加えれば、スピルバーグは黒澤明から多大な影響を受けた映画監督の1人で、1990年には黒澤明の「夢」の製作にあたった。
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この映画はユダヤ系監督による、言われなきユダヤ人への差別を観客に疑似体験させる目的で制作した作品だと思って観ています。監督自身が幼少期から体験してきた自分への周りの人間からの理不尽な敵意。それにさらされた立場の人間の恐怖を告発していると思って観るとさらに作品鑑賞に深みが出ます。そして目立つ真っ赤なセダンで人を出し抜くような追い越し方をする主人公に設定しているところにユダヤ人が嫌われる要素を詰め込んでいて当時25歳という若い監督の人生を達観した様な恐ろしいほどの才能を垣間見る事ができます。
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「激突 !」を観ると、少し誇張して言えば、ここにスティーヴン・スピルバーグ監督の全てが、すでに顔をのぞかせているのがわかりますね。
デビュー作に表現者の生涯の全部が表れると言われますが、奇しくも日本での初登場となった「激突 !」の中に、スピルバーグの本質は、全て花開いていると思います。
普通車に乗って出張中の平凡なサラリーマンが、巨大なタンクローリーに執拗に追われる。
初めは気にもしていなかったのが、相手は「大」で、こちらは「小」、だんだん怖くなってくる。次第に生命の危機さえ感じて、逃げて逃げまくる。
タンクローリーが地獄の底までつけまわしてくる。
最後にサラリーマンは、必死の覚悟でタンクローリー車に戦いを挑む。「小」が「大」と戦う。そして、タンクローリーは谷底へ落ちていくのだった——–。
単純なストーリーだ。セリフはほとんどないし、だいいちセリフなんか必要がない。
映像が全てを語って余りある。追いかけられる理由が全くない。
だから、不安が増してきて、いつか恐怖におののいて逃げまどう。アメリカ西部の荒野を背景に繰り広げられるカーチェイス映画であり、延々と走り続けるという意味では、アメリカ映画お得意のロードムービーの伝統も引き継いでいるが、”不気味な不安と恐怖”が次第に高まっていくサスペンスが、実に見事だ。
私は、この映画を観ながら、フランツ・カフカの小説「変身」が脳裏をよぎった。
ある朝、主人公のザムザが目覚めると、大きな虫に変身していたという、有名な短篇小説だ。主人公がなぜ虫になってしまったのか、その他、全ての「なぜ」に説明がないまま、彼はよりによって家族に殺されてしまう。
現代人の存在の根源的な不安を先取りした不条理を描いていた小説だった。内容は違うが、この「激突 !」も何がなんだかわからないままに、追いかけられる。
これまた不条理。タンクローリーの運転手の顔は一度も映画に出てこない。この映画の成功の大きな要素は、実はここにあるのだが、アイディアはスピルバーグの天才性を示していると思います。
相手がいかなる魂胆を持って追いかけてくるのか、想像することさえ拒否している。
いや、あらゆる想像が可能だ。だから不安が増す。主人公の不安と恐怖は、現代という時代を象徴している。
現代は社会が肥大化し、機械文明が巨大化し、人間が機械を制御することが困難な時代だ。いや、機械に人間が振り回されていると言ってもいいと思う。
なんとも恐ろしい。そんな不安と恐怖は、例えてみれば、理由もわからずにタンクローリーに追いかけられているサラリーマンの男に似ている。現代に生きる人々は、いつ何どき同質の不安と恐怖に陥れられるかもしれない。
ある日、突然、虎になっていたという中島敦の「山月記」をも想起させますね。そんな時代に我々は生活しているのだと思います。
日常の隣に、底なしの暗闇が我々を飲み込もうと待ち構えているようでもある。
だからこそ、この「激突 !」にリアリティを感じてしまうんですね。とにかく、スピルバーグの不安と恐怖の雰囲気づくりが見事だ。
「第三の男」で見せたキャロル・リード監督の鮮やかなサスペンス描写に匹敵すると思います。スピルバーグの演出のうまさに舌を巻いて観ているうちに、すっかり私は画面の中に吸い込まれるが、スピルバーグ演出の基本はリアリズムだと私は考えています。
スピルバーグは、大冒険活劇が得意であり、科学的ファンタジーの世界やら、恐竜時代を豊かな想像力で再現するなど、誰もが到達できなかった映像世界を切り開いた映画作家には違いありません。
だが、スピルバーグの出発はリアリズムだ。
初め、気楽にタンクローリーを追い抜き、また追い抜かされる遊びをやっていたサラリーマンに恐怖が生まれる。
そこに至る描写には種も仕掛けもない。
つまり、ファンタスティックなものが入り込む余地がないリアリズムだ。ドライブインのシーンでの多少思わせぶりな演出を除くと、全編に嘘がない。
スタジオで撮ったテレビ・ドラマではなく、ほとんどが自動車の実写を含むロケで撮っているが、後にスピルバーグがSFXやCG技術を駆使して、いわば「作り物」の世界を、いかに本物らしくどのように大袈裟に作り上げて、観る者を喜ばすかに全知全能を傾けることになるのとは、全く違っている。これが、スピルバーグの出発なのだ。
「激突 !」が追われる者の不安と恐怖を描く、すなわち不条理を押し付けるだけの映画だったならば、この映画の価値はさほど大きくなかっただろう。原題がDuel=決闘とあるように、追い詰められたサラリーマンは、逃げまどいながらも、その不条理=悪と「決闘」する決意をし、土壇場で男気を出すのだ。
リアリズムから離れるとすれば、このラストだけだ。不条理なものに対しては、己は例え小の虫であっても、不退転の決意で敢然と戦う。
この正義の心をはっきりと打ち出したところに、アメリカ的な理想主義があり、ヒューマニストであるスピルバーグのスピルバーグたる所以があると思います。ヒューマニストとしてのスピルバーグは、早くもその第一歩の時点で、はっきりとその顔をのぞかせていて、この勇気と上昇的な気分がなければ、世界中でこれほどまでに支持される代表的な映画人にはなれなかったに違いありません。
スティーヴン・ スピルバーグの名前を広めることになった作品の一つですね!誰が運転しているのかわからないタンクローリーに執拗に追われる主人公。なんで追われているのかもわからず、相手の顔も見えず。。。そんなトコロに恐怖を感じますね。昔テレビ放送があった時に見たことがありますが、単純なストーリーと登場人物もそんなに出てこない中でも強烈な印象が残っている作品です。
ジョジョの奇妙な冒険でも、この映画の設定がオマージュとして使われていますね。