ぜんぶ、フィデルのせいの紹介:2006年イタリア,フランス映画。共産主義にかぶれてしまった父親と革新的な母、今までの生活に戻りたいアンナだったが、やがて自分で考え始める。そして行き着いた答えは?
監督:ジュリー・ガヴラス 出演:ニナ・ケルヴェル(アンナ)、ジュリー・ドパルデュー(マリー)、ステファノ・アコルシ(フェルナンド)、バンジャマン・フイエ(フランソワ)、ほか
映画「ぜんぶ、フィデルのせい」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ぜんぶ、フィデルのせい」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「ぜんぶ、フィデルのせい」解説
この解説記事には映画「ぜんぶ、フィデルのせい」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ぜんぶ、フィデルのせいのネタバレあらすじ:共産主義に目覚めた両親
親戚のイザベルの結婚パーティーの席で果物の食べ方を教えているアンナ。しかし彼女のようにきれいに食べてくれる子は誰もいない。その中には父方の親戚のピラルは母親とフランコ政権下スペインに帰るかどうかの瀬戸際、アンナは弁護士の父親にピラル親子を助けてあげてと頼んだ。カトリックのお嬢様学校に通うアンナは作文で、ボルドーでのイザベルとマシューの結婚式について書き90点を取ったと話した両親に話した。もちろんそこには結婚式の場で語られた共産主義者云々は書いていない。キューバで核戦争を起こしかけた共産主義者のことは書かなくていいと釘を刺されたアンナは、フランス語を習っているピラルのその母親が共産主義ゆえにスペインに帰れないのだと知る。夜中に起きたアンナは、両親が言い争っているのを聞いてしまった。その後長期で出張に出た父親の帰りが二度三度と伸びてしまう。父親は、考え事が終わったら元の生活に戻ると電話で話した。その間祖父母の所でお世話になっていたアンナは、日曜日は家族みんなでお風呂に入るのだと言うと、もう一人で入るのよと祖母にたしなめられてしまった。数日後、ド・ゴール大統領の訃報に、フランスは未亡人になったと項垂れる祖父がリビングにいた。アンナの父親は帰国するとチリ文化(南米文化)に染まっていた。そして、生活を変えようと提案した父親は、狭い家へ引っ越し、ピラルとその母を住まわせ、共産主義を嫌う祖父母はアンナの家には来なくなってしまった。全部フィデル(フィデル・カストロ)が悪いのだと言う。夜になると、家には共産主義者の青年たちが集まった。カトリックの学校をやめようとしないアンナは、ミッキーはファシストだから見るなとからかわれた。そしてそれまでメイドをしていたキューバの共産主義から逃げてきたフェロメナを辞めさせ、ギリシアで夫を投獄されているバナヨタを雇った。
ぜんぶ、フィデルのせいのネタバレあらすじ:変わってしまった生活
学校では宗教に関する授業は親の方針により免除された。アンナは新しいメイドの作るご飯を、弟に勧められても食べる気になれず、宗教の歴史は嘘だからと言って受けさせてもらえない今の状況に不満で、前の生活に戻りたいと思った。水泳教室でお金を盗んだアンナ、なんでのこんなことをしたのか母親に怒られると、電気料金を払うためだと答える。今は髪をとかしても得ないし、両親が電気を節約すると言いながら、実際には不要な電気やボイラーをつけているのも気に入らなかった。ある日、イザベルが泣きながらアンナの家を訪れると、公園へ行ってくるようにとお菓子を渡された。子守のバナヨタとはアンナと弟に、ギリシアの神話を教え、カトリックの教育を受けていたアンナは神話に興味を持った。雑誌記者の母親は、アンナを女性同士の集まりに連れて行来た。そこで、中絶に関する女性の自由について書いてくれるように頼まれていた。いつもみんなで過ごしていた日曜日も、団結の精神を学ぶ日になり、死刑反対、フランコ政権反対のデモに参加させられた。機動隊が来てもデモを辞めない両親はアンナのためなのだと言って、帰られた生活に文句を言う彼女を締め出した。アンナはボルドーの祖母の家を訪ねた。祖父はブドウ畑を持つ富豪で、贅沢な暮らしをしていた。祖母はもう着ない服を司祭館に寄付していた。祖父母にとって共産主義とは自分たちの富を奪い取られることと同義だった。
ぜんぶ、フィデルのせいのネタバレあらすじ:思想に翻弄されるアンナ
学校の友達が泊まりに来るので楽しみにしているアンナの所に迎えに来たのは新しいベトナム人のメイドで、彼女からも天地創造の神話を聞いた。ある日学校の授業で、ローマとギリシアはどちらが古いかという問題で、みんながローマの方に手を上げる中、バナヨタの話を聞いてギリシアの方が古いと知っていたアンナも、ローマの方に手を上げてしまった。答えはもちろんギリシアで、アンナは団結にうんざりした。しかし、それはまだ団結と人のマネの区別がついていないからだと逆にたしなめられてしまった。泊まりに来た友達はベトナムの料理が気に入らず、たくさんの人が出入りすることも、弟と同じ部屋だという事も、気に入らなかった。アンナは出入りする髭の若者たちに共産主義者なのか、それはどういうことなのかと、富の公平配分について説明してもらおうとしたが、根を上げたのは若者たちの方だった。学校ではキリストの生涯の授業も受けさせてもらえず、自習室に入れられてしまった。そして、チリ大使館に向かう車の中で、アンナは、五月革命の時、たくさんの学生が物事を変えようとしたけれど、父は参加しなかったことを知った。やがて、クラスの他の生徒から宗教の授業の時、一人で何をしているのかと聞かれたアンナ。泊まりに来た友達は、アンナの両親はヒッピーで、今は狭い家に住んでいると言い、もう遊ばないとアンナを突き放した。そして、子供の作り方をしっているか否かで喧嘩が始まってしまった。結局両親が呼び出される羽目になってしまい、廊下で待っているアンナは、友達から本当は子供の作り方を知らないと打ち明けられ、こっそり耳打ちをして教えた。いつもなら家族で出かけるバカンスも、今では人が集まり、チリの大統領選挙の行方を見守っていた。そして、子供たちが寝た頃、国際電話で勝った事を知り、みなで起きてしまったアンナ囲んで歌った。
ぜんぶ、フィデルのせいの結末:そして、アンナの答えは?
翌日。母親が中絶の証言を著名記事で書いたことを、父親は宣伝は違法行為だと怒った。二人は夫婦喧嘩の中で、女性解放を唱えながら娘をミッションスクールに通わせている事や、隣国のスペインに里帰りもしないのに遠いチリの選挙に関心を持っている事を互いに罵り合った。そして、間に入ろうとしたアンナは怒鳴られ、弟を連れ、家を飛び出した。二人は図書館に行き、チリの本を読んだり、絵本を一緒に読んだりしながらやがておなかがすいたので家に帰った。そこには迎えてくれる母親と、二人を探し回っていた父親がいた。父はアンナをスペインの実家に連れて行った。そこは礼拝堂と霊廟があるほどの豪邸で代々軍人だった事を知った。その後、学校の授業でヤギのたとえ話で、ヤギは自然へ帰ったと言う自分の意見を曲げなかったアンナは、公立の学校に転校したいと告げ、最初は寂しいだろうけど新しい友達ができると言って、ベッドで日曜日のように家族全員ご飯を食べた。しばらくして、チリの大統領がクーデターで死んだと言うニュースにさみしそうにする父をアンナは窓辺で慰めた。そして、初めて公立の学校に足を踏み入れた彼女が茫然とするも女の子達の輪に入っていった。
以上、映画『ぜんぶ、フィデルのせい』のあらすじ、結末でした。
ぜんぶ、フィデルのレビュー・感想:子供が自分の意見を持つまで
この作品の中で注目したいのは主人公アンナの成長の仕方。ミッションスクールに通うほど、テーブルマナーも完璧などちらかと言えば保守的な良家の子女。そのアンナがまだ自分のアイデンティティの確立もされない頃から共産主義や保守的な考え、ギリシア神話やアジアの神話に触れることで、自分の考えというのを見出していく過程が如述にわかる。そして、それは旧来ある思想を否定するわけではなく、一つの可能性として示される。制服ない学校で様々な人種の入り混じる公立の学校に飛び込むカットは様々な主義や思想の存在する社会の縮図に見える。
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