素敵な歌と舟はゆくの紹介:1999年フランス,スイス,イタリア映画。パリとその郊外に住まう人々。セレブから物乞いまで、彼らの人間模様は交差し、やがて物語が積みあがって行く。
監督:オタール・イオセリアーニ 出演:ニコ・タリエラシュヴィリ(息子・ニコラ)、リリ・ラヴィーナ(母)、フィリップ・バス(バイク乗り)、ステファニー・アンク(カフェの娘・ポーレット)、ミラベル・カークランド(金髪のメイド)、アミラン・アミラナシヴィリ(ひげの浮浪者)、ジョアサン・サランジェ(物乞いの青年)、ほか
映画「素敵な歌と舟はゆく」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「素敵な歌と舟はゆく」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「素敵な歌と舟はゆく」解説
この解説記事には映画「素敵な歌と舟はゆく」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
素敵な歌と舟はゆくのネタバレあらすじ:起・郊外の富豪とパリの市民
パリ郊外に住むとある富豪一家、サロンでは社交的な夫人にによるパーティーが毎晩のように行われ、幼い娘はもっぱら一人遊び、息子のニコラは母の社交には無関心、主人は若いメイドにちょっかいを出しては怒られていた。
パリの鉄道の清掃員として働く青年は、昼間はスーツに着替え不良仲間から良いバイクを借り、女の子とのデートに余念がなかった。
富豪の夫人は自家用ヘリでパリの実業家と打ち合わせなど、バリバリと働く一方、趣味人の主人は鉄道模型の他は射的が趣味で、使用人と森へ行っては、的になる物を投げてもらい打っていた。
二コラは自宅のすぐ横を流れる水路からボートでパリへ向かった。つく頃にはいい服は着替えていかにも労働者の風体だった。
素敵な歌と舟はゆくのネタバレあらすじ:承・二コラの淡い恋
二コラは教会用品を売る店の清掃のアルバイトと、カフェのアルバイトを掛け持ちしていた。彼は向かいのカフェの看板娘が気になっていたものの、自分の働くカフェに行ってしまうと、階下の厨房で皿洗い。しかも、ろくに洗えていないと店長からは不況を買っていた。
向かいのカフェの看板娘は、ニコラが知らない隙に、電車の清掃員の青年にデートの約束を取り付けられていた
そしてニコラが仕事を終えると、不良グループに友人が襲われ、空を横切るヘリを見て、母親の呟いた。
母親は波止場に降り立つと、早速、実業家と契約を取り交わした。その実業家の秘書をしている黒人の男性はへまばかり。そして怒られたうっぷんを、ニコラの洗う皿に文句をつけることで晴らしていた。
カフェの看板娘は、デート先に船へ誘われ、あからさまに嫌がり、バイクでドライブだけを承知し、二コラが友人とジョゼとカフェで歌っている頃、教会用品を売る夫婦の家は夫がガスを出しっぱなしにしたせいで爆発した。
素敵な歌と舟はゆくのネタバレあらすじ:転・交錯していく人間模様
カフェの看板娘はドライブに連れて行かれた郊外の森で、清掃員に襲われかけた所を抵抗すると、あっさり森に置き去りにされた。雨の中ヒッチハイクで町に戻ろうとするけれど、唯一止まってくれたのは、ニコラのメイドのオートバイで、彼女は看板娘を屋敷の部屋に一晩泊めることにした。
同じ頃、ニコラは、物乞い達を船に乗せ、歌いながら帰り家のワインカーブへ入れた。
翌朝、夫人が出掛けるのを待って、メイドは看板娘を近くのバス停へ送って行った。物乞いはの一人は主人に招かれ、馬が合ったのか楽しそうに歌を歌い合った。二コラはそうとは知らずに、物乞いが一人足りないままバスに乗せ見送った。
素敵な歌と舟はゆくの結末:解けた縁とそれから。
電車の清掃員の青年は普段通りの仕事に戻り、黒人の秘書はへまばかり。二コラは皿洗いを首になった。清掃員は二股がバレ、振られてしまった。
銃に詳しい息子は、不良の所へ案内され、分解されていた銃を難なく直すと、スーパーを強盗する不良たちに巻き込まれ、警察に捕まった。
パリでは夫人が実業家と浮気。屋敷では主人が物乞いと森で酒盛りをしていたが、彼は追い出されてしまい、主人は心底悲しんだ。
夫人と社長は船で。
清掃員はいつの間にか看板娘の旦那の位置に収まり、メイドは主人との関係を疑われ解雇された。その頃釈放されたニコラが帰って来た。邸宅では再びパーティーが始まり、主人は袋を二つだけ担いで館を出て行った。二コラはいなくなった父親の部屋でぼんやりとするばかり。
その頃、再びあの物乞いと合流した主人は、小さな帆掛け船で歌いながら外洋へと出て行った。
以上、映画「素敵な歌と舟はゆく」のあらすじと結末でした。
素敵な歌と舟はゆくのレビュー・考察:それぞれの営みの重なる時
パリという街の華やかさ以外の部分に目を向けることはドキュメンタリーや社会派映画ではたまにお目にかかるけれども、日常を描くのと同じような感覚でこのように見る事はあまりない。華々しいパリの華々しくない一面が、ユーモアを交えて語られるのは、監督がジョージア出身の移民で、外からやって来た人間からの目としてパリを見たからではないだろうか。
そして最後の主人の出奔は、どこにいても、気の合う人と酒と歌があればどこだろうが人生は楽しいと言うようなメッセージのようにも思える。
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