アメリカン・ビューティーの紹介:1999年アメリカ映画。アメリカの一家族の崩壊をイギリス人監督であるサムメンデスが描いた映画で、ケヴィンスペイシーが父親役として熱演しています。平凡で冴えない男が娘の同級生に憧れを抱いたことからはじまる、加速していく日常。破滅に近づくにつれあがっていく物語のテンションに引っ張られること間違いなし!
監督:サム・メンデス 出演者:ケヴィン・スペイシー(レスター)、アネット・ベニング(キャロリン)、ゾーラ・バーチ(ジェーン)、ウェス・ベントリー(リッキー)、ミーナ・スヴァーリ(アンジェラ)、ピーター・ギャラガー(バディ)、クリス・クーパー(フィッツ大佐)、ほか
映画「アメリカン・ビューティー」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「アメリカン・ビューティー」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「アメリカン・ビューティー」解説
この解説記事には映画「アメリカン・ビューティー」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
アメリカン・ビューティーのネタバレあらすじ:起
ビデオカメラに映った少女が話しています。「私の友達に欲情するなんて最低。あんなパパ死んだ方がまし。」それに男性の声が「僕が殺そうか?」と返します。少女は静かに答えます。「ええ。殺してくれるの?」レスターはどこにでもあるような街に住む、どこにでもいるような中年男性です。上昇志向が強く不動産関係の仕事をする妻のキャロラインと、典型的なティーンエイジャーである娘のジェーンと住んでいます。毎日を妻と娘からは冴えない男として見られ、長年勤めた会社からは人員整理の話をされます。普段から親子の会話もなく、会社の愚痴をこぼしても家族の誰も相手にはしてはくれません。そんなレスターの一家の様子を、隣に引っ越してきたフィッツ大佐の息子リッキーが盗撮しています。ある日、ジェーンとの距離をつめようと、レスターはチアリーディングの様子を見にいきます。そこでレスターは娘の友達アンジェラに会い、一目で魅了されてしまうのです。
アメリカン・ビューティーのネタバレあらすじ:承
レスターの隣に住むリッキーがジェーンとアンジェラと同じ学校に転校してきました。リッキーの家は厳格な父親に支配されており、家族全員が父親の言うことに従っている状態です。アンジェラは中学時代の彼を知っているらしく“変人”だとジェーンにいいます。しかし、リッキーがジェーンに興味をもってことに対して、ジェーンは悪い気はしていないようです。その夜、レスターはキャロラインの不動産のパーティーに付き添います。そこでキャロラインはライバル会社のやり手不動産セールスマンのバディと親しくなります。偶然、リッキーがその会場でウェイターのバイトをしており、レスターはリッキーがマリファナの売人であることを知るのです。レスターが帰ってくると家にはアンジェラが遊びに来ていました。こっそりとジェーンとアンジェラの会話を盗み聞きし、筋肉をつければいいといわれたレスターは早速筋トレを始めます。夜、物音がして庭をみるとリッキーからジェーンへのメッセージが残されています。嬉しそうに微笑むジェーンの姿をリッキーはビデオカメラに収め、ついでに、裸で筋トレをするレスターの様子も録画します。アンジェラへ恋心を抱いてから自信を取り戻し始めたレスターは妻のキャロラインにも自分の主張をぶつけます。会社もクビになりますが、上層部の不祥事を漏らすといいお金を得ます。レスターの態度がイカれているという上司に対しレスターはこう言い放つのです。「僕は何も失うものがない平凡な男さ。」レスターは会社を辞めたその足でハンバーガーショップに就職します。
アメリカン・ビューティーのネタバレあらすじ:転
妻のキャロラインはバディと意気投合し不倫関係となります。一方、ジェーンもリッキーと下校を共にし、リッキーの家に招かれ父親のコレクションやリッキーの撮った映像を一緒に見ます。ジェーンは“美”について語るリッキーに惹かれ、その手をそっと握ってからキスをします。夕食時、キャロラインとレスターはジェーンの前で夫婦喧嘩をしてしまいます。キャロラインに感情をぶつけられたジェーンは、窓越しに自分を撮っているリッキーに向かって自ら服を脱いでいきます。そこでフィッツが部屋に乱入しジェーンにコレクションを見せたことに怒りリッキーを殴りつけます。レスターとキャロラインも距離をつめようとしますが、やはり口喧嘩になってしまいます。ジェーンとリッキーの中は深まり、ジェーンはリッキーの部屋を訪れるようになっています。リッキーはマリファナを見つかり15歳で陸軍学校へいき、そこで暴力事件をおこした為、精神病院に入れられたとジェーンに語ります。しかし、父親が憎いわけではないと言います。悪い人ではないからと。一方のジェーンは「父親が好きではない」と言い切り、それは冒頭のやり取りへと続きます。「自分の父親を殺すなんて悪いことだよ。」「どうせ私は悪い娘よ。」
アメリカン・ビューティーの結末
レスターの人生最後の日がはじまります。鍛え上げられた姿でジョギングをするレスターは以前とは別人のようです。ジョギングから帰る際にリッキーとあい、後でマリファナを買う為に連絡をすると示します。その様子をフィッツが見ており、リッキーとレスターの親密な様子に疑問を抱きます。そして、リッキーの部屋を捜索したフィッツがみたものは、裸で筋トレをするレスターの姿を録画した映像でした。その昼、キャロラインとバディがレスターの働くバーガーショップに車でやってきます。レスターに不倫がばれてしまったキャロラインとバディはもう会わないことを決めます。夕方になり、リッキーは食事中にレスターに呼び出されます。裸でリラックスするレスターとしゃがみ込むリッキーの姿を窓から見たフィッツは、リッキーが男性相手に体で稼いでいると勘違いしています。そんな父親の態度に失望し、リッキーはそれを肯定した上で、家を出ていきます。夜、ジェーンが遊びに来たアンジェラと家にいると、リッキーがジェーンに一緒に家を出よう、と迎えにきます。反対するアンジェラを相手にせずにリッキーとジェーンは二人で家をでることにします。一方、ガレージで筋トレをするレスターの元には、フィッツがきます。レスターと会話するほどに、勘違いが確信へとすり替わり、フィッツは涙ながらにレスターにキスをします。しかし、レスターは「悪いが何か勘違いをしている」とフィッツを引き離します。その頃、キャロラインは銃を持ち「私は犠牲者にはならない」と何かを決意した表情で車を飛ばし帰路につきます。ガレージからキッチンに戻ったレスターは泣いているアンジェラを見つけます。レスターはアンジェラをなぐさめ、「君が欲しい」と告白し二人はベッドに向かいます。しかし、アンジェラが初めてだとわかり、行為をやめ、レスターはアンジェラを優しく落ち着かせます。アンジェラからジェーンが幸せだと聞き微笑み、レスター自身も幸せだといいます。家族の写真を見つめ、幸せを感じたその時———-銃声が響きます。血の海の中には頭を打たれたレスターが倒れています。アンジェラはその銃声をトイレで聞き、リッキーとジェーンは撃たれたレスターを発見し、フィッツは返り血を浴びたままの体で家に帰り、レスターの死体を見たキャロラインは泣き崩れます。そして自分の最期に対してレスターはこう言葉を残します。
“こんなことになって怒っているかって?美の溢れる世界では怒りは長続きしないんだ。だから、最期に残るのは感謝の念だけだ。大丈夫。君にもいつか理解できるよ。“
「アメリカン・ビューティー」感想・レビュー
-
光と陰、建前と現実 アメリカの一見幸せの象徴のような住宅街、平凡なアメリカの美徳?実は一皮剥けばの、アメリカの病巣をブラックジョークでこれでもか!と。
-
アメリカの何処にもあるような郊外の住宅地に住む、冴えない中年広告マン、レスター。不動産業でバリバリ働く妻キャロラインとの関係は冷え切っており、車さえもロクに運転させて貰えない。ティーンエイジャーの娘ジェーンとも話が噛み合わず、疎まれている。そんな中年のクライシスの中、レスターは娘ジェーンのチアの大会を応援しに行った際に、彼女の友達アンジェラに心惹かれてしまう。ジェーンには気味悪がられるが、そんな事は全く意に介さず、アンジェラとお近づきになりたい余りに肉体改造まで始めてしまう。一方、ジェーンも可愛くて人気者のアンジェラと比べ、自分には魅力が無いと思っており、豊胸手術まで考えていたりする。そんなある日、隣に元軍人ファミリーが引っ越してくる。元軍人らしく厳格な父親、そんな父親に口ごたえの出来ぬ気弱な息子リッキー、そして心が病んでいるのか常に虚ろな表情を浮かべる母親。リッキーには盗撮癖があり、ジェーンも自分がその対象となっている事に気付くが、普段のコンプレックスか逆に自分を理解してくれると思ってしまい、リッキーに恋してしまう。レスターの妻キャロラインもエキセントリックさが日々増してゆき、仕事の流れで地元の不動産王と関係を持ってしまうようになる。このように、この作品の登場人物は一見、何処にでもいる中流階級の「普通」の人々に見えながらも、それぞれかなりダークな闇と秘密を抱えており、普段は「普通」の仮面を被りつつも、実はメンタル的に際どい綱渡りの日々を送っている。真紅のゴージャスな薔薇で敷き詰められたバスタブ、そして透き通ったような少女の白い肌。最高にエロティックで美しい映像と、それぞれの救いの無い心の闇との色合いの対比に、観ている者は思わず心が揺さぶられ、背筋がぞくっとさせられる。そしてこれは決してアメリカだから、あるいは郊外の生活だから、という訳ではなく、平凡な日々とは何だろう、普通とは、大人である事とは、、などと様々な疑問がじわじわと心にわいてくる、全ての人に贈る現代社会への問いを描いた作品だと思う。
-
この映画「アメリカン・ビューティ」は、壊れゆくアメリカの家庭を通して、現代社会の閉塞感と悲劇性をシニカルなブラック・ユーモアで描いたサム・メンデス監督の秀作だと思います。
この映画は、20世紀が終わろうとしていた時に製作された、アメリカ社会やアメリカの家庭が抱えている闇や閉塞感、アメリカン・ドリームというものの終焉をシニカルに、なおかつ喜劇的に見つめたアイロニーに満ちた刺激的な作品です。
監督は演劇畑の舞台監督出身のサム・メンデスで、彼の映画監督としてのデビュー作で、撮影は今や「明日に向って撃て!」、「ロード・トゥ・パーディション」と本作で3度のアカデミー賞最優秀監督賞に輝く、伝説のカメラマンのコンラッド・L・ホール。
ごく普通の平凡なアメリカ市民として、ありきたりの普通の生活を送る事が、いかにストレスに満ち溢れているのかを、中産階級の家庭を中心に描いていて、リストラという厳しい現実にさらされる中年サラリーマンのレスター(ケヴィン・スペイシー)、何の取柄もない夫にうんざりしながら、自分の理想とするお洒落な生活を夢見て躍起になる妻キャロリン(アネット・ベニング)、カッコ悪くダサイ父親を嫌って、まともに口も聞かない娘ジェーン(ソーラ・バーチ)。
レスターは娘の親友の美少女に、キャロリンは人生の成功に、ジェーンは胸の豊かな美人にと、それぞれの”ビューティ”を求めてもがいています。
この映画は人間の果てしない欲望や挫折を垣間見せながら、最も醜悪な部分を暴き出し、日常生活の中で抱える様々な歪みに容赦のない光を当てていきます。
果たして、現代に生きる人間は真の幸福をつかむ事が出来るのであろうか? と—-。この映画の題名の”アメリカン・ビューティ”は、赤い薔薇の品種の一つで、”現代人の美意識や幸福感の象徴”として、ファンタジックに暗示して付けられています。
そしてこの映画は、物欲にまみれ、世間的な体裁だけを繕う哀れな現代人の生態をシニカルでブラックなユーモアで笑い飛ばしています。そしてドラマの背後から、表面的な生態とはうらはらに、”どこまでも孤独な現代人の心の闇”が浮かび上がって来ます。
この映画は喜劇であると同時に悲劇であるという側面も持っています。
ビデオカメラに凝っている、この主人公一家の隣人のビデオカメラに凝る青年がとらえた、”風に舞うビニール袋”という印象的な映像があります。青年はこの不可思議な映像に”美”を感じています。
つまり、青年は周囲に振り回されない独自の”美意識”を持っています。そして、このビニール袋というのは、周囲に振り回されるだけの”空虚な現代人の心そのもの”を象徴的に暗示しているのだと思います。
やがて、世間的な体裁という殻を破って、ありのままの自分を曝け出す事こそが真の幸福であるというテーマが浮かび上がって来るという演出上の仕掛けになっています。ジェーンは窓越しに裸になり、青年はビデオカメラを通して裸の彼女を見つめます。
また、レスターはジェーンの親友の前で裸になり、彼女も裸になってレスターを見つめます。
このような行為を通して、初めて人間同士の空虚な心が満たされていくという、深いテーマに根差したショットが映し出されていきます。“アメリカン・ドリームの崩壊”を描いたこの映画は、”夢というものを見失ったレスターという男の再生のドラマ”でもあると思います。
映画のラストで銃に倒れたレスターの表情には、どこか穏やかで静かな微笑みがたたえられていて、この主人公の死は、”人間としての真の再生”を象徴的に暗示しているのだと思います。このありふれた”中年の危機”を、喜劇的なアンチ・ヒーロー像を通して、”中年の再生”に変えたケヴィン・スペイシーのユーモアとペーソスを滲ませた絶妙の演技は、彼の役者人生の中で新境地を開いたと思います。
妻キャロリン役のアネット・ベニングのどちらかというと少々過激なオーバーアクトも、この映画の中ではケヴィン・スペイシーの抑制された演技と良いコントラストになっていたと思います。
登場人物の全てが演劇的にデフォルメされて描かれているのは、やはりサム・メンデス監督が舞台出身のせいで、計算された思惑通りの見事な演出効果を上げていたと思います。
なお、死者の回想形式で語られるこの映画は、私の大好きな名匠・ビリー・ワイルダー監督の「サンセット大通り」をどうしても思い出します。
サム・メンデス監督はアカデミー賞の授賞式での受賞スピーチで、ビリー・ワイルダー監督への感謝の気持ちを述べていた事からも、この映画はビリー・ワイルダー監督へのリスペクトとオマージュを捧げたものだと思います。イギリス人であるサム・メンデス監督は、現代のアメリカ人が迷走している様を、”冷徹で容赦のない客観的な視線”で描き切っています。
アメリカにとって異国人ならではの距離感の保ち方は、同じく異国人であるビリー・ワイルダー監督のスタンスに良く似ていると思います。
そして、そこから生まれるシニカルな笑いというものは、正しくビリー・ワイルダー監督の描く映画の魅力と一致します。また、”アメリカン・ドリームの閉塞感と悲劇性”という、この映画の重要なテーマは古くから何度となく取り上げられてきた題材ですが、この映画はそこに、”ロリータ”や”ストーカー”や”ゲイ”といった、より現代的でアクチュアルな要素を散りばめるという、こうしたアレンジの巧妙さがこの”映画としての完成度の高さ”に繋がったのだと思います。
なお、この映画は1999年度の第72回アカデミー賞で最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀主演男優賞、最優秀オリジナル脚本賞、最優秀撮影賞を受賞し、同年のゴールデン・グローブ賞で最優秀作品賞(ドラマ部門)、最優秀監督賞、最優秀脚本賞を受賞し、英国アカデミー賞で最優秀作品賞、最優秀主演男優賞、最優秀主演女優賞、最優秀撮影賞、最優秀編集賞、最優秀作曲賞をそれぞれ受賞しています。
アカデミー賞の作品賞を受賞しているだけあって、エンドロールでしばらくの間浸ってしまうような深く心に残る素晴らしい作品です。サム・メンデス監督は大好きな監督の一人ですが、「ロード・トゥ・パーディション」のような雰囲気でラストは衝撃的な結末を迎えます。ケビン・スペイシー最高ですね。そんなケビン・スペイシーが演じるおじさんが女子高生に恋をするところからどんどん歯車が狂っていくのですが、周りの人間もそれと同時に歯車が狂っていきます。家族愛をテーマにしているようですが、サスペンス要素満載なので観ていて全く飽きません。使用されている音楽も派手ではありませんが、シーン毎に見事にマッチしています。おすすめの作品です。