オードリー・ヘプバーンの紹介:2020年イギリス映画。オードリー・ヘプバーンは『ローマの休日』で、24歳にしてアカデミー賞を受賞し、世界で最も偉大なミューズのひとりとなった。圧倒的な美貌を持ち、ハリウッド黄金期の伝説的スターと称されたオードリー。しかしその幼少期は戦争による栄養失調、父親による裏切りなど過酷な環境で、彼女は過去のトラウマと一生向き合わねばならなかった。映画女優として輝かしい活躍をする一方で、幾度の離婚を繰り返し傷つきながらも子供たちへの深い愛情を注ぎ、後年はユニセフ国際親善大使として世界中の子供たちのために名声を捧げていく。近親者たちのインタビューと貴重なアーカイブ映像によってオードリー・ヘプバーンを鮮やかによみがえらせたドキュメンタリー作品。
監督:ヘレナ・コーン 出演:オードリー・ヘプバーン、ショーン・ヘプバーン・ファーラー(オードリーの長男)、エマ・キャサリン・ヘプバーン・ファーラー(オードリーの孫)、クレア・ワイト・ケラー(ジバンシィの元アーティスティック・ディレクター)、ピーター・ボグダノヴィッチ、リチャード・ドレイファス、ほか
映画「オードリー・ヘプバーン」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「オードリー・ヘプバーン」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「オードリー・ヘプバーン」解説
この解説記事には映画「オードリー・ヘプバーン」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
オードリー・ヘプバーンのネタバレあらすじ:起
1929年5月4日。ベルギーのブリュッセルで3人兄弟の末っ子としてオードリーは生まれました。父ジョセフはオーストリア系イギリス人の実業家、母エラはオランダ貴族の家柄でした。幼少期のオードリーは、父の仕事でベルギー、オランダ、イギリスと各国を転々とし孤独でした。
両親は不仲で1935年に父が出ていき、このことがオードリーの人生にトラウマとなって暗い影を落とすことになります。1938年、両親は正式に離婚しました。
その後、母エラは子供たちを連れてオランダに帰国しました。10歳になったオードリーはアルンヘムバレエ学院でバレエを習い始め、バレリーナを夢見るようになります。
しかし、1940年5月。ナチスがアルンヘムを占領し、レジスタンス運動に関係していた伯父が処刑されてしまいます。異父兄弟たちも強制労働収容所へ収監されました。
近郊の町に身を潜めて生活しなくてはいけなくなったオードリーは、レジスタンスのメッセンジャーとして協力したり、資金援助のためにバレエ公演に出演したり、幼くして人のために働く日々を送りました。
オードリー・ヘプバーンのネタバレあらすじ:承
戦火が激しくなり、物資の調達が難しくなると、オードリーは他の多くの子供同様、栄養失調になります。終戦後、弱ったオードリーを救ったのが、ユニセフの全身「アンラ」でした。この体験がのちにユニセフに協力するきっかけとなります。
オードリーは家族でアムステルダムへ移り住み、ダンサーのソニア・ガスケルに師事し、バレエを再開しました。
バレエがきっかっけとなり、映画や舞台に出演し、モデルなどのオファーも舞い込むようになったオードリー。しかし、170cmというバレリーナにしては高い身長と、栄養失調を経験し筋力が衰えているなどの理由でバレリーナの夢を諦めざるをえず、本格的に女優業へ進むことを決意します。
そして彼女はウィリアム・ワイラー監督はじめ、パラマウントのプロデューサー陣を魅了し『ローマの休日』のアン王女役に見事抜擢されました。この作品でオードリーは史上初のハリウッドデビュー作でアカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞し、一躍スターの仲間入りを果たしたのでした。
オードリー・ヘプバーンのネタバレあらすじ:転
私生活では1954年、舞台『オンディーヌ』で共演した俳優メル・ファーラーと結婚。1960年には長男ショーンを授かりました。
オードリーは出産後初の作品『ティファニーで朝食を』に出演。その演技は高く評価され、これまでの彼女の印象を変える作品となりました。しかし、『マイ・フェア・レディ』ではオードリーの歌の部分が吹き替えになるなど、徐々に女優としての責任を感じ始めるようになっていきます。
さらに、幼くして別れた父と再会することができたものの、父の反応は冷たいものでした。そして1967年、彼女は家族との時間を優先するために表舞台から身を引く決意をしました。
その翌年にはメル・ファーラーと離婚。その後、イタリア人医師アンドレア・ドッティと再婚し、次男ルカを授かるなど人生が好転するかのように思えましたが、その結婚も10年で終わってしまいます。オードリーは愛を求めて苦しんでいました。
オードリー・ヘプバーンの結末
しかし、そんなオードリーに転機が訪れます。
友人の紹介でオランダ人の俳優ロバート・ウォルダースと出会い、生涯のパートナーとなりました。最後には心から愛し、安心できる人と過ごすことができたのです。
1988年、ユニセフの親善大使になり、エチオピア、トルコ、南アフリカ、スーダン、バングラディッシュ、ソマリアなどを訪れました。女優時代は目立つことを避けていたオードリーでしたが、ユニセフ親善大使になると、自ら広告塔となって世界を飛び回り積極的にテレビで伝えて寄付を呼びかけました。彼女は世界中の子供を愛し救うことに尽力しました。
1992年、スイスの自宅に戻ったオードリーは胃痛に悩まされるようになります。末期の癌でした。家族と最後のクリスマスを過ごし、1993年1月20日、家族に見守られながら自宅で死去しました。
オードリーの孫であるエマ・キャサリン・ヘプバーン・ファーラーは言います。
「時を越えた魅力を持ち、決して色あせない」
その言葉通り、オードリーは今でも世界中の人から愛されています。
以上、映画「オードリー・ヘプバーン」のあらすじと結末でした。
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