愛と哀しみのボレロの紹介:1981年フランス映画。モスクワ、パリ、ベルリン、ニューヨークで、それぞれの家族が歴史に翻弄されながらも懸命に生きようとする姿を描いたこの作品は、バレエダンサーであるジョルジュ・ドンによる「ボレロ」のパフォーマンスが強烈な印象を残し、彼の名が広く知れ渡るきっかけとなった。劇中の音楽は、フランスを代表する作曲家であるフランシス・レイとミシェル・ルグランが共同で担当している。
監督:クロード・ルルーシュ 出演者:リタ・ポールブールド(タチアナ)、ジョルジュ・ドン(ボリス/セルゲイ)、ニコール・ガルシア(アンヌ)、ダニエル・オルブリフスキ(カール)、ジェームズ・カーン(ジャック・グレン) ほか
映画「愛と哀しみのボレロ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「愛と哀しみのボレロ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
愛と哀しみのボレロの予告編 動画
映画「愛と哀しみのボレロ」解説
この解説記事には映画「愛と哀しみのボレロ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
愛と哀しみのボレロのネタバレあらすじ:起
1936年、モスクワでボリショイ劇場のプリマドンナを選ぶオーディションが開かれます。タチアナ(リタ・ポールブールド)は選考に落ちてしまいますが、審査員のボリス(ジョルジュ・ドン)に気に入られ、間もなく2人は結婚します。1937年、パリのとある劇場の本番中にピアニストが倒れ、急遽その後任となったユダヤ人ピアニストのシモンは、楽団にいたバイオリニストのアンヌ(ニコール・ガルシア)と結婚します。1938年、ベルリンにてヒトラー総統の鑑賞する演奏会で、ピアニストのカール(ダニエル・オルブリフスキ)は称賛を受けます。1939年、ニューヨークでジャック・グレン(ジェームズ・カーン)率いるバンドは豪華客船で演奏していましたが、その最中に第二次世界大戦が勃発します。戦争の色は日に日に濃くなり、カールは軍楽隊長に任命され、妻子を残してパリで勤務していますが、彼はそこでエヴリーヌという歌手と出会います。
愛と哀しみのボレロのネタバレあらすじ:承
1941年のモスクワ、ボリスは兵役に従事していました。1942年、ドイツではユダヤ人に対する迫害が深刻化します。ある日、アンヌと共に貨物船で連れて行かれたシモンは、アンヌとの間に生まれた幼い赤ん坊を手放します。赤ん坊は1人の男性に拾われますが、とある町の教会に置いて行かれてしまいました。一方タチアナは、兵役に就く人々をバレエダンスで慰問して周り、ボリスの帰りを待ち続けますが、彼は戦地で帰らぬ人となってしまいます。やがてグレンも軍楽隊長として兵役に就き、シモンはガス室に入れられてアンヌと離れ離れになってしまいます。1945年のパリ、司教によって育てられた赤ん坊は大きくなり、彼らはグレンが率いる楽団に合わせて踊ります。そこにはエヴリーヌの姿もありましたが、「売国奴」と人々から辱めを受けてしまいます。
愛と哀しみのボレロのネタバレあらすじ:転
戦争が終結した後、カールは捕虜となりましたが、やがて最愛の妻と再会を果たし、ニューヨークに戻ったグレンも家族と再会します。その後、タチアナはボリショイ劇団の教師となり、アンヌは収容所から解放され、息子を探しますが、手掛かりは掴めません。彼女は久しぶりに楽団に戻って旧友と再会します。一方のエヴリーヌはカールとの間に出来た幼いエディットを連れて故郷に戻りますが、両親からいい顔をされず、1週間後に自殺します。20年後、成人したエディットはパリへと旅立ちます。アンヌはバンドでバンドネオンを弾き、グレンは妻が交通事故死した知らせを受けます。かれらの娘であるサラは歌手になっていました。カールは指揮者としてニューヨークで初公演を行います。しかし、客は批評家2人のみで、ユダヤ市民がチケットを買い占めていたことを知ったカールは記者会見を行います。
愛と哀しみのボレロの結末
パリのオペラ座。タチアナの息子セルゲイ(ジョルジュ・ドン)は亡命して立派なバレエダンサーに、エディットはダンサーを経てアナウンサーになります。サラは歌手としての売り上げの伸び悩みに悩み、プロデューサーの兄は自殺を図ります。サラはデュエットの相手役を探すオーディションを行い、歌手になったアンヌの息子が選ばれます。アンヌは記憶をなくして精神病院に入院しており、カールは自分の伝記映画を撮り始めます。ある日、ユニセフと赤十字の依頼でチャリティーショーが開催され、エディットは番組の原稿を読み上げ、セルゲイはボレロを踊ります。そしてオーケストラの指揮はカールが務め、サラとアンヌの息子のデュエットは歌で参加するのでした。
「愛と哀しみのボレロ」感想・レビュー
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「男と女」「白い恋人たち」「流れ者」など、フランス映画にのめり込んでいた時に、必ずその作品を追いかけて観ていた監督で、映像と音楽の見事なハーモニーが醸し出す独自のスタイルが、その後の様々な映画監督の作風に大きな影響を与えた、クロード・ルルーシュ監督。
この「愛と哀しみのボレロ」は、3時間4分という長尺の映画でありながら、その長さを感じずに、あっという間に過ぎ去って、時のたつのを忘れてしまう、そんな素敵な映画ですね。
特に、ラスト17分間のジョルジュ・ドンのボレロは圧巻で、まさに映画史に残る不朽の名場面だったと思います。時は1936年。モスクワ、ベルリン、パリ、ニューヨーク。
激動の時代の世界の中心的な都市で、愛を知り、互いに求め合う四組の男女が、この映画に登場します。
やがて第二次世界大戦を経て、現代へ。様々な人たちが織りなす運命のドラマが展開していきます。子供が、孫が、歴史の中で、目に見えない運命の糸に操られ、愛し、そして憎み、めぐり逢いを重ねていくのです。
それが人間の生きる定めでもあるかのように。そして、この映画の主要人物のモデルは、明らかにヌレエフ、ピアフ、カラヤン、そしてグレン・ミラー。
この映画「愛と哀しみのボレロ」は、クロード・ルルーシュ監督が「男と女」を撮った15年後に、人間として、どうしても言っておきたいという執念で描いたような映画なのだと思います。
前半のめまぐるしく狂熱的なカメラワークも、ラストの強引とも思える大集結に露出したメッセージの意識も、彼の”執念の炎”が不完全燃焼しているからなのかも知れません。
それでいて、尚、この映画が私をグイグイと引き付けるのは、”人生という定めの残酷さ”を見通すルルーシュ監督の”視点の厳しさ”にあり、そして、その苦悩を乗り越えて、明日への歓喜を模索する”命の美しさ”にあると思うのです。
アウシュビッツへ送られる途中、子供を助けるため線路へ捨てた母。
38年後、その母を探して精神病院の庭に立つ息子。
窓越しに望遠レンズが捉えた長い長いショット。やがて母がはっと息子を振り返る——–。
息が詰まる程のいい場面です。ヒトラーの前で演奏したという理由で、アメリカ公演で、ひどい仕打ちを受ける演奏家。
その彼がこう言います。「我々は大戦を経験したが、それを除けばいい事ばかりだった」と。色々な事があったけれど、私たちは幸せだった。二度と繰り返してはならないが、戦争の苦しさの中でさえ、人間の真実を知る事が出来た。
だからこそ、今、幸せな我々は何をすべきなのか、というクロード・ルルーシュ監督の”悲痛な心の叫び”が痛い程に伝わってくるのです。
ラベルのボレロの曲にのせて、各人の人生の断片が鮮やかにつづられています。
好きなとシーンはいろいろあります。列車に乗せられたユダヤ人夫婦が、せめて赤ん坊だけでも逃がそうと、列車からおろすところ。同じユダヤ人夫婦がナチの収容所で分けられ、他のユダヤ人たちに押しのけられるようにして、ふたりが遠くなっていくシーン。そうそう、女性たちがラインダンスを踊るのに合わせてビッグバンドが演奏していると、ピアニストの演奏が突然クラシック音楽になり、皆がハッとして注目する中、ピアニストが死ぬ、なんてシーンもありました。
そういったさまざまの人生が、ラストのボレロの群舞により、歓喜へと突き抜けていきます。
印象に残る映画でした。