ローマ法王になる日までの紹介:2015年イタリア映画。別題:フランチェスコと呼んで-みんなの法王。南アメリカ出身初の法王フランシスコの半生、アルゼンチン激動の時代に奮闘するベルゴリオ神父の姿に聖職者の原点を見る。
監督:ダニエーレ・ルケッティ 出演: ロドリゴ・デ・ラ・セルナ(ホルヘ・ベルゴリオ(1961-2005))、セルヒオ・エルナンデス(ホルヘ・ベルゴリオ(2005-2013))、メルセデス・モラーン(エステル・バッレストリーノ)、ムリエル・サンタ・アナ(オリベイラ判事)、ほか
映画「ローマ法王になる日まで」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ローマ法王になる日まで」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ローマ法王になる日までの予告編 動画
映画「ローマ法王になる日まで」解説
この解説記事には映画「ローマ法王になる日まで」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ローマ法王になる日までのネタバレあらすじ:ブエノスアイレスでの日々
コンクラーベを控えたベルゴリオ神父の胸に、ローマに至るまでの半生が去来する。 若くして神父を志したベルゴリオを、友人たちは踏みとどまらせようと酒場に呼び出した。彼に恋心を抱くガブリエラとベルゴリオは最後にタンゴを踊ったが、彼の決心は堅かった。イエズス会の神父となったベルゴリオは日本への伝道の希望は果たせなかったが、ほどなくして管区長という要職に就いた。 当時アルゼンチンでは、数年のうちにベロン大統領が死亡、妻のエリザベスが後任となったがクーデターによってビデラ政権が樹立されると言う激動の時代を送っていた。
ローマ法王になる日までのネタバレあらすじ:静かな抵抗の末に
ビデラ大統領による政権下では、反政府勢力弾圧とみられる拉致や拷問が横行していた。ベルゴリオの教会側でも司祭が一人射殺され、反政府的な聖書の説き方をする神父たちは目を付けられていた。そんな中、ベルゴリオのいる神学校で、神学生を匿ってくれと頼まれる。しかし、承諾した彼の元に来たのは、そのほとんどが反政府組織の若者たちだった。ベルゴリオは、自身の神学校に監視の目が来る前に彼らを他国へ逃がした。政府の弾圧はやがて神父へ及ぶ。ベルゴリオは枢機卿に助けを求めるが芳しくなく、海軍大将と会うように取り持ってもらい、拉致について陳情した。拉致された神父たちは拷問の末、道に打ち捨てられた状態で発見された。さらにベルゴリオの恩師エステルの娘も行方不明になってしまう。エステルは同じく失踪した子供たちの親たちと運動を始め、ベルゴリオは大統領のためにミサを行い、ゆく英不明者たちの無事を祈った。エステルの娘は拷問された末、帰宅したが、エステルたちの運動を密告した者によって、今度はエステルが逮捕され、予防注射と称して睡眠薬を打たれ上空から海へ投げ落とされてしまう。残ったのはベルゴリオだけだった。
ローマ法王になる日までのネタバレあらすじ:結び目をほどくマリアとの出会い
ドイツで神学の勉強をしてくるようにとの命を受けたベルゴリオは、アウグスブルグの教会で、スペイン語で聖母へ祈りを捧げる女性と出会う。彼女がその教会の祭壇画の結び目をほどくマリアについて話すと、ベルゴリオは自分の代わりにスペイン語で聖母マリアへの祈りを唱えてくれないかと頼んだ。その祈りを聞きながら、アルゼンチンでの苦悩の日々た解けたのか、ベルゴリオは涙した。 アルゼンチンへ戻ったベルゴリオは一介の神父として、農村部の神父の任に着き、穏やかな日々を送っていた。しかしそこへ枢機卿がローマ法王からの手紙と共に、枢機卿の補佐司祭の任を与え、再びブエノスアイレスへ彼を呼び戻した。彼は受け負った貧民街の教会の立ち退き問題で、教会や住民、開発を進めようとする市との仲介役になった。開発を強行する市と機動隊を前に、枢機卿とやって来たベルゴリオは、住民と共に立ち退きを反対する神父たちに人を集めさせ、青空のもと枢機卿にミサを行ってもらう事で、その場の混乱を治めた。
ローマ法王になる日までの結末:ローマからの知らせ
補佐司祭から、ブエノスアイレス大司教、枢機卿になったベルゴリオは法王の退位の知らせを聞き、再びコンクラーベのためにローマへ行く事になった。前回のコンクラーベで二番目だったベルゴリオ神父に、ローマへ逃げてもう帰って来ないと秘書は皮肉った。そして、システィーナ礼拝堂で行われるコンクラーベでは、ベルゴリオの名前が読み上げられていき、法王フランシスコとしてサンピエトロ寺院のバルコニーに姿を現した。中継で見守っていた、かつての貧民街の住民や、皮肉を言った秘書は、中継でその様子を見守り、ベルゴリオ神父が法王になったことを喜んだ。
以上、ローマ法王になる日までのあらすじと結末でした。
ローマ法王になる日までのレビュー・考察:仲介者も一人の人間であるということ
神と信者の仲介者であるところの神父が、けして完全無欠でないと言う事がブエノスアイレス時代のままならない奮闘や、ドイツでの結び目を解くマリアとの出会いで見せる涙から推察できる。ただ、のちに法王になる彼が常に一番弱い者と共にあろうとしたと言う事も同時に見えてくる。貧民街で青空の下で行われたミサは、のちの、コパカバーナ海岸で行われたミサの布石のようにも思える。また、そのミサで司祭の足元で眠っていた犬は、法王の名の由来にもなった、アッシジのフランチェスコが鳥に説教を行ったと言う逸話を思い出させる。法王になるにあたり、フランシスコを名乗ったのには、件の聖人の逸話が揺らいであるだけでなく、法王になってもなお、弱い者と共にあり、祈り、奉仕すると言う、変わらない姿勢を表しているのかもしれない。
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