ダウト ~あるカトリック学校で~の紹介:2008年アメリカ映画。ニューヨークのカトリック学校の校長シスター・アロイシスは神父がある男子生徒と性的な関係に及んだのではないかという疑惑を募らせていました。アロイシスは神に背く行為だと知りつつ、一人真相を追求し始め、やがて神父を追い込んでいきますが…。アメリカを代表する劇作家のジョン・パトリック・シャンリーが自らの戯曲を映画化した作品。厳格なシスター役を演じたメリル・ストリープの迫真の演技が光ります。
監督:ジョン・パトリック・シャンリー 出演者:メリル・ストリープ(シスター・アロイシス)、フィリップ・シーモア・ホフマン(フリン神父)、エイミー・アダムス(シスター・ジェイムズ)、 ヴィオラ・デイヴィス(ミラー夫人)、アリス・ドラモンド(シスター・ヴェロニカ)、ほか
映画「ダウト あるカトリック学校で」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ダウト あるカトリック学校で」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ダウト ~あるカトリック学校で~の予告編 動画
映画「ダウト あるカトリック学校で」解説
この解説記事には映画「ダウト あるカトリック学校で」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ダウト ~あるカトリック学校で~のネタバレあらすじ:起
舞台は1960年代のニューヨーク。カトリック学校の校長シスター・アロイシスは厳格な教育を信念としている敬虔な聖職者です。反抗的な態度を見せる生徒には容赦なく罰を与えるアロイシスに対して、教会の司祭であるフリンは進歩的な考えを持つ優しい神父で、生徒達からも慕われていました。学校唯一の黒人生徒ドナルド・ミラーもまたフリン神父を敬愛している生徒の一人で、ミラーは神父の侍者を務めています。アロイシスはフリン神父の生徒達へのフランクすぎる接し方に常々不満を抱いていましたが、立場の低い彼女が司祭に意見することなどできません。アロイシスは若い教師シスター・ジェームズに生徒達の行動には常に細心の注意を払って見守るよう指導します。
ダウト ~あるカトリック学校で~のネタバレあらすじ:承
ある日の授業中、ジェームズが受け持つクラスの生徒であるミラーがフリン神父に呼び出されます。ミラーをフリン神父のいる司祭館まで出向かせるジェームズでしたが、戻ってきたミラーの様子がおかしいことに気づきます。ミラーは酒臭い息をさせ、その様子はどこか怯えているように見えました。さらにジェームズはフリン神父がミラーのロッカーに下着を入れるところを目にしてしまうのでした。ジェームズからこのことを報告されたアロイシスはフリン神父がミラーと性的な行為に及んだに違いないと結論付けます。アロイシスは疎ましい存在であったフリン神父を追い込むことに躍起になっていました。その後アロイシスはフリン神父と降誕祭での催し物についての打ち合わせをしますが、ここでも二人の意見はことごとく対立します。フリン神父がアロイシスを不寛容だと揶揄すれば、アロイシスは神父がミラーばかりを特別扱いしていると皮肉めかして言い、同席するジェームズを辟易させるのでした。
ダウト ~あるカトリック学校で~のネタバレあらすじ:転
ジェームズはミラーと司祭館で何があったのか勇気を出してフリン神父に尋ねます。するとフリン神父はミサ用のワインを飲んでしまったミラーを守ろうとしたのだと打ち明け、身の潔白を主張します。ジェームズはフリン神父を信じますが、納得できないアロイシスはミラーの母を学校に呼び出します。フリン神父とミラーの間に起こったであろうことを知らされたミラー夫人はこれ以上事を大きくしないで欲しいとアロイシスに懇願します。夫人は学校でいじめられ、転校してきた息子に誰よりも愛情をかけてくれたフリン神父に感謝をしており、神父を糾弾しようなどと考えてもいませんでした。息子が被害に遭っているかもしれないのに見て見ぬふりをするのかと怒りをあらわにするアロイシスでしたが、夫人は息子が同性愛者であり、それが原因で父親からも疎まれ暴力を振るわれていると衝撃の告白をするのでした。
ダウト ~あるカトリック学校で~の結末
ミラー夫人が校長室にいるところを目撃していたフリン神父がアロイシスのもとに乗り込んできます。証拠もないのになぜそこまで自分を疑うのだと詰め寄るフリン神父に対して、アロイシスはあなたは嘘をついていると吐き捨てます。アロイシスはフリン神父がここ数年で教会を何度も移っているのは子供達に手を出したためだと指摘し、前の教会のシスターに電話して神父が辞職した理由を聞いたのだと打ち明けます。これを聞いたフリン神父は激しく動揺し、教会の規則を無視して勝手なことをするなとアロイシスを責め立てます。しかしアロイシスは証言してくれる保護者を片っ端から見つけ出し、必ずあなたの犯した罪を証明して見せると強気の姿勢を貫き、フリン神父に転任を迫ります。アロイシスの確固たる決意に屈したフリン神父は教会を去る決意をします。そして皆の前で最後の説教をし、惜しまれながら学校を後にするのでした。やがて冬がやってきて、兄の見舞いのため学校を離れていたジェームズが戻ってきます。神父の辞職の経緯について尋ねるジェームズに対して、アロイシスは前の学校に電話して辞職の理由を聞いたという嘘をついて神父を追い詰めたことを告白します。神に仕える身でありながら神父を騙したのかと驚愕するジェームズに、アロイシスは悪を駆逐するためには神から遠ざかる覚悟も必要であるとつぶやきます。しかし己の信念に基づきフリン神父を転任に追い込んだものの、アロイシスの言うことは司祭達にはまったく信じてもらえず、皮肉にもフリン神父は別の教会の主任司祭に昇進したのでした。自分の行いは果たして正義だったのか、それとも疎ましかったフリン神父を追い出したかっただけなのか、自分自身への疑惑に揺れるアロイシスをジェームズはただ優しく抱きしめるのでした。
この映画のキモは、実はアロイシス自身も同性愛者であり、嘘という神を欺く行為までしてフリンを追放しても、自分の心から湧き出る“女性が好き”という感情を、神に対する不貞として受け入れられず苦しむ、だからこその慟哭なんですよね。