フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館 3D/4Kの紹介:2015年イタリア映画。日本とイタリア国交樹立150周年記念の美術ドキュメンタリー。世界最高水準3D・4Kテクノロジー映像による、ウフィツィ美術館収蔵の傑作の数々と世界遺産の街フィレンツェは、本当にその場にいるような錯覚に陥ります。ナレーターは、民放の人気美術番組「美の巨人たち」の俳優・小林薫。
監督:ルカ・ヴィオット 出演者:サイモン・メレルズ(ロレンツォ・メディチ/日本語吹替・田中秀幸)、日本語版ナレーション・小林薫ほか
映画「フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館の予告編 動画
映画「フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館」解説
この解説記事には映画「フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館のネタバレあらすじ:芸術家たちの革命
1400年代初頭、トスカーナの小さな街フィレンツェの芸術家たちがルネサンスを生み出します。フィリッポ・ブルレネスキ建築のサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドームは、ルネサンス初期を代表する彼の傑作です。ドナテッロの彫刻は、フィレンツェに深く根差すことになり、革命的な“ダヴィデ像”を残しています。そして、絵画による新天地を開いたマザッチオが、サンタ・マリア・デル・カルミネ教会のブランカッチ礼拝堂でマゾリーノ・ダ・パニカーレと共にフレスコ画を制作しています。2人がそれぞれ描いた“アダムとイヴ”は、マゾリーノ・ダ・パニカーレが上品なゴシックスタイルを残しているのに対し、マザッチオは先進性が飛び抜けています。フィレンツェの実質的な支配者メディチ家は、時代の先端を行く才能豊かな芸術家たちの支援者となっていたのです。
フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館のネタバレあらすじ:サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
1418年、フィリッポ・ブルレネスキは、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドーム設計コンクールの応募後、プロジェクト・リーダーとなります。サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂のドーム内を覆う、ジョルジョ・ヴァザーリとフェデリコ・ツッカレによる過去最大のフレスコ画“最後の審判”は、7年の歳月をかけて制作されています。多くの鮮やかな色のステンドグラスの窓は、14世紀と15世紀において、50年近くかけて作られたイタリアで最大のガラスプロジェクトです。一流の芸術家たちにデザインされ、現在もオリジナルが多く残っています。
フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館のネタバレあらすじ:メディチ・リッカルディ宮殿
1444年、コジモがミケロッツォに設計依頼したメディチ・リッカルディ宮殿は、フィレンツェの新たなランドマークとなり、数々の素晴らしいフレスコ画が所蔵されています。有名なベノッツォ・ゴッツォリ作のフレスコ画“ベルレヘムに向かう東方の三賢王”は、フィレンツェの街とメディチ家について最も雄弁な証言者となっています。14世紀半頃からのメディチ家4世代は、芸術品の発注と収集活動に情熱を傾けます。
フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館のネタバレあらすじ:ヴェッキオ宮殿
多くの歴史的な事件が起こった街の中心地にあるシニョリーア広場は、1299年~1314年にアルノルフォ・ディ・カンビオにより建設されたヴェッキオ宮殿を中心に据えています。当初はフィレンツェ共和国の政庁舎として使われ、1540年代にメディチ家の住居となります。コジモ1世は大評議会室を改築し、プロジェクト・リーダーのジョルジョ・ヴァザーリの芸術品が飾られています。この広間で1500年代初頭、ミケランジェロは“カッシーナの戦い”をレオナルド・ダ・ヴィンチは“アンギアーリの戦い”を依頼されていますが、どちらも未完成です。ヴァザーリのフレスコ画の下に、それぞれの巨匠の未完があるのかが美術界の大きな謎の一つとなっています。
フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館のネタバレあらすじ:シニョリーア広場
シニョリーア広場にある最も古い彫像、“マルゾッコの名を持つライオン像”と“ユディットとホロフェルネス”はドナテッロの作品です。オリジナルは保存され、現在はレプリカとなっております。ミケランジェロの“ダヴィデ像”も同様です。広場の片隅にある屋根付きのギャラリーは“シニョリーア回廊”と呼ばれ、素晴らしい彫刻が並んでいます。広場の見晴台として1300年頃建設されました。
フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館の結末:ウフィツィ美術館
メディチ家歴代の美術コレクションを収蔵するウフィツィ美術館は、コジモ1世の治世下、ジョルジョ・ヴァザーリの設計で1560年から20年の年月をかけて建設されています。美術館としては1591年からですが、当初はフィレンツェの行政機関を移しています。ウフィツィはイタリア語で、“オフィス”のことを意味します。現在では、イタリアで最も人気のある世界有数の美術館となっています。近々、修復中のレオナルド・ダ・ヴィンチ未完の“東方三博士の礼拝”を展示する予定です。フィレンツェ・ルネサンスを代表するボッティチェッリ“春(プリマヴェーラ)”“ヴィーナスの誕生”、ミケランジェロ“聖家族”、ラファエロ“ひわの聖母”などが数々の美術品が所蔵されています。
以上、映画フィレンツェ、メディチ家の至宝 ウフィツィ美術館のあらすじと結末でした。
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