ゴーストワールドの紹介:2001年アメリカ映画。日本でも多くのファンを持つ「アメコミ」(アメリカの漫画)が原作のサイケで切なくもなるティーン映画になりました。周りに上手く馴染めないイーニドとレベッカ。高校卒業後に一緒に暮らす計画を立てます。ふらふらと暮らしていく生活の中で、自分を見つめ、傷つき、傷つけ、前後不覚になりながらも懸命にもがく歪んだ青春の日々。痛々しく、悲しく、そしてどこか可笑しい雰囲気が残ります。
監督:テリー・ツワイゴフ 出演:ソーラ・バーチ(イーニド)、スカーレット・ヨハンソン(レベッカ)、スティーヴ・ブシェミ(シーモア)、ブラッド・レンフロ(ジョシュ)、ほか
映画「ゴーストワールド」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ゴーストワールド」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「ゴーストワールド」解説
この解説記事には映画「ゴーストワールド」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ゴーストワールドのネタバレあらすじ:起
ロサンゼルス郊外で平凡に暮らす幼なじみのイーニドとレベッカは、高校卒業を機に実家を出て一緒に住む計画を立てていました。お互い学校生活になじめず、級友や家庭を冷めた目で見ており、とても気の合う友人でした。ついに卒業式の日をむかえますが、イーニドは美術の補習を受けにもうしばらく学校に通うことになります。美術の先生や生徒、課題や講評に馬鹿馬鹿しさを覚えつつも、彼女は作品を提出していきます。
ゴーストワールドのネタバレあらすじ:承
ある日、二人は出会い系雑誌に載っていた住所にいたずらで応募し、レコード・コレクターのシーモアと出会います。彼は冴えない中年男で、イーニドやレベッカと同じように社会に馴染めずに生きていました。そんな彼に親しみを感じたイーニドは、彼に積極的に近づき除々に仲を深めていきます。 それからしばらくは、進学も就職もせず、家探しもそこそこに二人は街をぶらつきながら日々を過ごします。いつも同じ場所でバスを待っているおじいさん、ノーマンにイーニドは「そこはもう廃線よ」と声をかけると、おじいさんは「君は知らないんだよ」と返すのでした。
ゴーストワールドのネタバレあらすじ:転
単調な日々の中で、ついにレベッカがコーヒーショップで働き始めます。少しずつ社会に迎合し自立しようと努力する彼女を見て、イーニドも映画館での仕事を試みますが、やはり上手くいきません。次第にレベッカもイーニドに愛想をつかし、二人の仲はだんだんとすれ違っていくのでした。 そうしている間にも、イーニドはシーモアと親好を深め、レコードを借りたり、誕生日を祝ったり、彼女見つけてあげたりしますが、ある夜勢いで一線を超えてしまいます。
ゴーストワールドの結末
それ以来一切連絡を寄越さなくなったイーニドを探して、シーモアはイーニドとレベッカが同居予定の家を尋ねます。しかし、そこにはレベッカしかおらず、さらに出会いのきっかけはほんのいたずらだったという話を聞いてしまったシーモアは激昂し、やけくそになった帰りにトラブルを起こし、病院行きになります。知らせを聞いて病室にイーニドが訪れます。「僕がダサいのを笑ってたんだろ」と自分を嘲笑するシーモアに「あなたは私のヒーローだったわ」と伝え、レベッカには同居をやめると告げました。これからどうするのかを考えつつ、仕事の遅れるからというレベッカと別れます。次の日の明け方、イーニドはひとり小さな鞄を手に、いつかのノーマンが待っていたバスに乗り込むのでした。
以上、映画ゴーストワールドのあらすじと結末でした。
ゴーストワールドの解説
【退屈で冴えないアメリカの田舎町】
黒縁の眼鏡をかけた女の子。ユダヤ系のイネードがMohammed RafiのGumnaam Dance Songのレコードをかけて部屋で一人踊っている場面から始まります。Jaan Pehchan Ho !!!昔のインドの流行歌です。この「レコード」(下北沢のレコード屋にもレトロファッションの若者たちがレコードを買い漁っていますが・・・)をかけてノリノリになっているのです。エキセントリックな女の子!イネードは高校を卒業します。しかし進路は一向に決まっていません。何をしたいのか、何をすればいいのか真剣に考えようともしません。イネードの感心は親友レベッカとつるんで、変な大人をみつけてはからかうこと。特にweird(奇妙な)人間を見つけたら、二人はクスクス笑って尾行することが大好き。ちなみにレベッカ役はスカーレット・ヨハンソン。ウッディ・アレンに気に入られイタリアやイギリスを舞台にした映画で堂々と妖艶な演技を披露し、今ではすっかり大人の色気を漂わす国際大女優です!それがアメリカの田舎に暮らす冴えない女の子の役を演じていたとはびっくり。高校を出た直後はイネードとレベッカの友情は何も変わっていませんでした。しかし就職をしたレベッカはみるみるうちに大人になっていきます。イネードだけ取り残され何も変わりません。次第にレベッカに見放され、家では父親と義母とうまくいかず居場所がありません。肉体関係を持った「オッサン」には生理的嫌悪感を抱いてしまいます。美術は得意なのですが、その系統の学校にも進学しそびれてしまいます。気が付くと、自分だけ船に乗れていないのです、深い海でおぼれている状態です。
【エンディングの「バス」の意味】
最後は、もう使用されていないはずのバス停になぜかバスがやってきて、イネードはそれに乗車し、暗闇の中に消えていくというところで終わります。これは一体何を意味しているのか・・・「イネードも大人になっていくという象徴だよ」「いや自殺して死んでいくということなんだよ」「単に絶望という感情を表しているんだよ」などなど、各国で議論を招いています。私はイネードの魂の死、活気の死を意味しているのではないかと感じます。肉体は生きているのだけど、彼女の心の底で何かがぷっつん切れてしまったということではないか、と・・・しかし確かに色々な捉え方ができるため、見る人によってこの映画の「あらすじ」は全然別の物になるのは間違いありません。
【リアルなアメリカを知る映画】
10代が使うアメリカン英語を勉強できます。(多少古臭いスラングが多くなってしまっているけど)何度も出てきた単語「Dork 」。stupidやboring な人をからかう時に使う「まぬけな奴、イケていない奴」といった意味。アメリカン英語です。映像はお洒落、台詞もスパイスの利いたジョークが多く、BGMは全体的にムードがあり、登場人物は全員いかにも「いそう」な人ばかり。シーモア(イネードが関係を持つ中年オッサン)がビデオ屋に行き、フェデリコ・フェリーニの「8と1/2」の映画を尋ねているのに、ミッキー・ロークの「ナインハーフ 9 1/2」の映画と間違えられるシーンも大笑い!ええ、アメリカ人がフェリーニの映画を知るわけがないっ!アメリカの田舎町にステイした経験を持つ人ならだれもが感じる、この何とも言えないけだるくつまらない世界・・・どうしても日本に入ってくるメジャーなアメリカ映画ドラマの舞台の多くは華やかなマンハッタンやロス。でも実際のアメリカの大部分は、この映画のような退廃的な暇な町なんですよね・・・
「そうそう、アメリカはこうなのよっ!」「アメリカ留学生活を思い出す!」という感想も飛び出すに違いない映画でもあります。
例えアメリカの田舎町に行ったことがなくても、「自分は世間とズレている感じ」を経験している/したことがある人ならば、男女問わず、入りこめる映画だと思います。名作です。
疎外感を感じながらも自分の世界をしっかり持っているイネードは人生生きにくそうだけど割と楽しそうにも見える。自分と同じく音楽好きで風変わりな年上のオタクに興味を持ったり、皮肉で斜に構えていたりアウトサイダーは万国共通だなあと共感しまくっているうちにわかる、こんな気持ちになったことあるわという切ないエンディングシーンまであっという間に観終わってしまった。