ゴジラ対ヘドラの紹介:1971年日本映画。「ゴジラ」シリーズ第11作目は、当時日本各地で蔓延していた公害問題のほか、当時の若者の間で流行したサイケデリック文化などを織り交ぜた異色作です。ヘドロで汚染された海から誕生した怪獣「ヘドラ」がゴジラと激突します。
監督:坂野義光 出演者:山内明(矢野徹)、川瀬裕之(矢野研)、木村俊恵(矢野敏江)、麻里圭子(富士宮ミキ)、柴俊夫(毛内行夫)ほか
映画「ゴジラ対ヘドラ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ゴジラ対ヘドラ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ゴジラ対ヘドラの予告編 動画
映画「ゴジラ対ヘドラ」解説
この解説記事には映画「ゴジラ対ヘドラ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ゴジラ対ヘドラのネタバレあらすじ:起
公害が社会問題となっていた時代、ヘドロで汚染された駿河湾では、オタマジャクシに似た謎の奇妙な生物が見つかりました。海洋生物学者の矢野(山内明)は息子の研(川瀬裕之)と共に調査に向かいますが、海底で謎の生物に襲撃を受けます。ゴジラが大好きな研はこの謎の生物を「ヘドラ」と名付け、ゴジラが倒しにやってくると明言します。やがてヘドラはタンカーを沈めながら日本に上陸、工場の煙を吸いに現れると、そこにゴジラも登場し、一騎打ちを繰り広げます。
ゴジラ対ヘドラのネタバレあらすじ:承
ゴジラは死闘の末にようやくヘドラを仕留めたと思われていましたが、ゴジラに破壊されたヘドラの破片は動き回り、人的被害を巻き起こしながら動き回りますが、最後はゴジラの放射熱線を浴び、海へと逃げていきました。矢野はヘドラの暴走と進化を食い止めるべく研究を続け、遂にヘドラの弱点は「乾燥に弱い」ことを突き止めます。やがてヘドラは進化を遂げて更に巨大化し、空を自由自在に飛ぶことができるようになっていました。ヘドラは飛びながら超猛毒の硫酸ミストをまき散らし、浴びた人々の身体は溶けて白骨化し、金属は錆びて腐食し、植物は枯れ、生き残った人も目に痛みを訴えていました。
ゴジラ対ヘドラのネタバレあらすじ:転
矢野は自衛隊に頼んで、対ヘドラ用兵器の制作を依頼します。その頃、富士山麓では若者たちが「100万人ゴーゴー」なるイベントを開催していましたが、そこにヘドラとゴジラが現れて再び大激戦となります。進化を遂げたヘドラにゴジラの攻撃は効かず、ゴジラは片目を潰され、片腕を溶かされるなど大苦戦します。その時、自衛隊は遂に乾燥作戦を実行に移しますが、作戦のための巨大電極板なども次々と破壊されてしまいます。しかし、ゴジラが間に立って電極板に放射熱戦を発射し、300万ボルトの大電流が発生します。
ゴジラ対ヘドラの結末
矢野の狙い通り、超高圧電流を受けてさすがのヘドラも遂に乾燥、ゴジラはとどめを刺すべくヘドラの中から2つの生命核を取り出します。しかし、ヘドラの体内にはさらに小さいヘドラがおり、飛行形態になって逃げていくヘドラを追いかけて、ゴジラも熱線を吐きながら空を飛んでいきます。ゴジラは小さいヘドラを電極板に押し込み、何度もぶちのめしては乾燥させ、ようやくヘドラを完全に倒すことに成功します。戦いは終わり、ゴジラは自衛隊員らを睨みつけると海に帰っていきました。研はゴジラに別れの言葉を送っていました。
東京湾で船を襲う怪物が出現した。
そんな時、町の生物学者の山内博士(矢野明)たちは、海岸で大きなおたまじゃくし形の不思議な生き物を発見する。
しかし、それがヘドラの最初の形だった。
やがて巨大化し、陸上に上がり飛行するヘドラ。
ヘドラの出す硫酸ミストに住民は次々とやられていく。
そこへゴジラが出現し、ヘドラと対決する。
富士の裾野で踊りながらヘドラに殺されていく若者たち(柴俊夫ら)。
山内博士は電極版を使ってヘドラを乾燥させることを提案する。
果たしてヘドラを倒すことはできるのか? ——–。
なんとも不思議なゴジラ映画だ。
ヘドラはヘドロから生まれた怪獣。他のゴジラ映画と違い、社会派とでも言うべきなのだろうか?
ヘドラはヘドロを食い、工場の排ガスを吸って大きくなっていく。
海を泳ぐだけの第1期、陸上歩行も可能な第2期、飛行も可能になった第3期、直立しゴジラと対峙する第4期。
徐々に大きくなっていく様には、ゾッとするような恐怖感がある。
その姿は、実に醜悪で無気味だ。
そして最後には、ゴジラよりも巨大になるのだ。
この映画には、公開当時、深刻な社会問題だった、公害問題に対する作者の怒りが反映されている。
またオープニング曲の「美しい空を返せ! 海を返せ! コバルト、カドミウムがどうしたこうした」といった、サイケデリック調の歌も1970年代っぽくて凄い。
このように書いてくると、この映画が面白そうな気がしてくるけれど、はっきり言って、映画としては、あまり面白くない。
“町の科学者が出てきて、怪獣を倒すヒントを見つけ、それで怪獣を倒す”という、従来のゴジラ映画の骨格は、確かに継承している。
しかし、ゴジラとヘドラの対決になっても音楽もほとんどなく、映画的なクライマックスに持っていこうとしていない。
つまり全然盛り上がらないのだ。
出てくる自衛隊も数人だけだし。戦っている迫力がないのだ。
襲われた街は、テレビのニュースで出てくるだけだし、パニックシーンとか都市の崩壊とか、画的な見せ場がほとんどないのだ。
もっとも演出力の問題というより、それ以前に予算がなかったのかも知れない。
出演者はノースターだし、柴俊夫が出演しているが、無名時代の別名での出演だ。
特撮シーンはとにかくチャチすぎる。
ヘドラとゴジラは、ナイトシーンでの対決が多いのだが、これが実に暗いのだ。
お金がなくて、周りの風景やバックを作るとこまで予算がまわらなかったから、暗くしてごまかそうという、感じがしてならない。
そして飛行するヘドラを追いかけるため、ゴジラは後ろを向いて放射能をはき、その勢いで空を飛ぶという掟破りもするのだ。
いくらなんでも、それはないだろうと思う。
監督はこれが第1回監督の坂野義光。劇場用作品で監督したのはこれ1本だけらしく、あと分かっているのはこの後、あの封印された怪作「ノストラダムスの大予言」の脚本を舛田利雄と共同で書いたというだけ。
でも「ノストラダムスの大予言」も書いているという事は、公害問題や環境問題に関心のある人だったのかも知れない。
あらためて、21世紀の今観直してみると、公害問題こそ聞かなくなったが、今人類が直面している”地球温暖化問題”と結び付けると実に恐い気がしてくる。
傑作なのか駄作なのか、実に判断に迷う作品だ。
ゴジラ映画としてのスペクタクル、ドラマ的な面白さは、ほとんどない。
極端に言えばATGのアート系のような作品だ。
確かに、この作品は、核の恐怖を描いた、第1作目の「ゴジラ」の路線に戻った作品だという気もする。
やっぱり、なんと言っても、第1作目の「ゴジラ」は、まず映画として圧倒的に面白かった。
でもこの作品は、映画的な盛り上がりは一切なく、ある意味、つまらない。