ヘルムート・ニュートンと12人の女たちの紹介:2020年ドイツ映画。2020年に生誕100周年を迎えたファッションフォトグラファーの巨匠ヘルムート・ニュートンの撮影の舞台裏を、ニュートンと一緒に仕事をした12人の女性の視点から捉え直したドキュメンタリーです。シャーロット・ランプリングやイザベラ・ロッセリーニ、ハンナ・シグラなどといった女優たち、米国版『ヴォーグ』誌編集長のアナ・ウィンター、モデルのクラウディア・シファーらにインタビューを行い、ニュートンを批判してきた批評家スーザン・ソンタグとのテレビ討論のアーカイブ映像なども交えて構成されています。
監督:ゲロ・フォン・ブーム 出演者:ヘルムート・ニュートン、シャーロット・ランプリング、イザベラ・ロッセリーニ、グレイス・ジョーンズ、アナ・ウィンター、クラウディア・シファー、マリアンヌ・フェイスフル、ハンナ・シグラ、カトリーヌ・ドヌーヴ、シガニー・ウィーバー、シルヴィア・ゴベル、ナジャ・アウアマン、アリヤ・トゥールラ、ジューン・ニュートン、スーザン・ソンタグほか
映画「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」解説
この解説記事には映画「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ヘルムート・ニュートンと12人の女たちのネタバレあらすじ:起
1920年にドイツ・ベルリンに生まれたユダヤ人のヘルムート・ニュートンは若い頃からカメラマンとしての活動を始め、第二次世界大戦終戦後にオーストラリア出身の女優ジューン・ブラウン(ジューン・ニュートン)と結婚したのを機にフリーのカメラマンに転向しました。その後、ニュートンはPLAYBOY誌やヴォーグ誌などといった一流のファッション誌で様々な女性の写真を撮り続けてきました。
これまでの女性モデルの写真はただ衣装を着せられて撮られているだけのものでしたが、ニュートンは女性の内面に潜む強さを表現する挑発的な作風であり、またヌード写真も数多く撮ったことから、保守的な論客からは「ポルノまがい」「女性嫌悪主義」という批判を浴びせられて賛否両論の論争を巻き起こしてきました。本作は2004年、ハリウッドでの自動車事故により83歳の生涯を閉じたニュートンの軌跡を、これまで彼にインスピレーションを与えてきた12人の女性たちの視点から振り返っていきます。
ハリウッド。ニュートンはこの日も女性を相手にシャッターを切っていました。ニュートンの妻ジューンは「彼は長身の女性が好き。特に生身の女性は」と語りました。
この日、ニュートンは『エイリアン』シリーズなどで知られる女優シガニー・ウィーバーを撮影していました。(映画『エイリアン3』の撮影のため)丸刈り頭になっていたシガニーはタイトな黒の光沢感あるタイツに身を包み、ニュートンはモノクロームで神秘的な写真を撮ろうとしました。
ジャマイカ出身の歌手・女優・モデル、グレイス・ジョーンズは、かつてニュートンにヌードを撮ってもらった時のことを振り返りました。ニュートンは自然光を使って撮影し、グレイスの股間がちょうど陰になる一瞬を狙ってシャッターを切ったのだそうです。この時グレイスはナイフを手にしており、このナイフの意味は見た者の想像に任せると語りました。
オーストリア出身のモデル、シルヴィア・ゴベルは、ニュートンがフランスの政治家ジャン=マリー・ル・ペンを撮影した時のことを振り返りました。ニュートンの被写体となったことに喜んだル・ペンは犬と一緒に撮影されましたが、その構図はまるで「ヒトラーとジャーマン・シェパード」を彷彿とさせるものでした。シルヴィアは、ニュートンはル・ペンの人格を表現するためにこのような構図にしたのだろうと解釈しました。
ヘルムート・ニュートンと12人の女たちのネタバレあらすじ:承
イタリア出身の女優イザベラ・ロッセリーニはニュートンとの初仕事のことを振り返り、被写体はあくまでもカメラマンや監督の“器”であり、ニュートンの頭の中のイメージを具体化するためのものだと語りました。ニュートンとの初仕事は映画監督デヴィッド・リンチとのツーショット写真であり、ニュートンはイザベラに目を閉じるよう指示、リンチにはイザベラの顎に手を這わせるよう指示しました。こうすることでニュートンは二人の写真を美しく印象に残る作品に仕上げました。
イギリス出身で米国版ヴォーグ誌の編集長を務めるアナ・ウィンターは、ニュートンの挑戦的な写真は我々女性に勇気をくれるのだと語りました。アナはニュートンに仕事を依頼することは60年以上にわたって「花」を撮り続けてきた写真家アーヴィング・ペンに依頼することと同じだと語り、ニュートンの作品は人々の記憶に残る印象的かつ“不穏”な写真であり、それは世に必要なものだとも語りました。アナは初めてニュートンと仕事をした時のことを振り返り、ニュートンはいつも読者の反応を楽しみにしていたことを語りました。ニュートンにとっては読者が自分の作品を批判するのが何よりの生きがいだったようです。アナはニュートンの作品を「力強くて挑戦的で、あたかも女性が主導権を握っているかのようにみえる」と評しました。
ニュートンと同じベルリン出身のモデル、ナジャ・アウアマンは車椅子に座ったり、医療用コルセットを足に装着したり、マネキンの足と一緒に撮影したりしていました。これらの写真は人々から身障者に対する差別だと言われて大炎上しましたが、ナジャはこれらの写真は、女性がハイヒールを履くと走れないしよろけてしまうことを表現したものであると持論を語りました。
ある時、ニュートンはフランス版ヴォーグ誌から依頼を受けました。被写体の女性はブルガリの非常に高価な宝石を身に着けていましたが、たまたま食卓にこんがりと焼けた脚付きのチキンがあるのを見たニュートンは女性にチキンを持たせた手を撮影しました。チキンが好物のニュートンは、ブルガリの関係者は卒倒しかけただろうけども、このコントラストはとても魅力的だと語りました。
ヘルムート・ニュートンと12人の女たちのネタバレあらすじ:転
そんなニュートンに批判的な論客もいました。アメリカ出身の批評家で小説家のスーザン・ソンタグもそのひとりでした。ある時、テレビのトーク番組でスーザンはニュートンと顔を合わせることとなりました。スーザンは面と向かってニュートンの写真は女性蔑視で不快だと批判し、司会者が困惑するのをよそにまくしたて続けました。
イギリス出身の女優シャーロット・ランプリングはかつて出演作『愛の嵐』で一大センセーションを巻き起こした経験から、作品が話題になるのなら自分は色眼鏡で見られてもいいという考えを持つようになりました。
ニュートンはグレイスが鉄の鎖に繋がれている写真を撮ったことがありました。グレイスは当時この写真が物議を呼んだことを振り返り、ニュートンの写真は自分ら黒人と白人という枠を超越していると語りました。
ニュートンの故郷ベルリンにはヘルムート・ニュートン財団があり、ニュートンの写真を展示した場所があります。ニュートンは被写体の女性にひとつは服を着たもの、もうひとつはヌードを同じポーズで撮ったことがあり、この写真には「強い女性にはオートクチュールなど必要ない。女性たちは身ひとつで既に強いのだ」ということを表現していました。
ニュートンの妻ジューンは取材で被写体の女性に嫉妬するかという質問を度々受けていたことを明かし、ニュートンは確かに女性のヌードばかり撮るので遊び人に間違われるかもしれないけど決してそんな人物ではなかったと証言しました。ちなみにニュートン自身は「私は女性が大好きだ」と公言し、顔や胸や足が好きだということも明かしました。
イザベラはニュートンが台頭する前はヌード写真がタブーだった頃を振り返り、ニュートンが世に認められたのは時代に合ったからだと語りました。ナジャはニュートンからヌード撮影の打診を受けた時、不安のあまり1、2年はニュートンと一緒に仕事をしなかったことを語りました。当時ドイツ領だったポーランドで生まれ育った女優のハンナ・シグラは、「ニュートンはただ撮るだけではなく、撮りながら何かを探し続けている」と語りました。
歌手で女優のマリアンヌ・フェイスフルはニュートンと仕事をすることになり、当時の夫の革ジャンを来て撮影現場に向かったところ、たいそう気に入ったニュートンが革ジャン姿のまま撮影することにしたことを振り返りました。マリアンヌはニュートンは機微に飛んだ人物であり、ニュートンはワイマール時代の芸術家であり芸術運動が栄えたドイツ表現主義の時代に影響を受けているのだと分析しました。
ヘルムート・ニュートンと12人の女たちの結末
映画はニュートンの生い立ちを振り返ります。ボタン製造工場の経営者だった父の次男として生まれたニュートンは母から甘やかされて育ったそうです。その後、兄は農家となり、ニュートンも写真家になったため兄弟は誰も父の家業を継ぐことはありませんでした。
やがて第二次世界大戦が泥沼化し、ナチスドイツはユダヤ人への迫害をより一層強めていきました。ニュートンはこの当時、女性写真家のイヴァことエルゼ・ジーモンのもとで写真を学んでいましたが、ナチスの魔の手から逃れるためにニュートンは1938年にドイツを脱出、イタリアから中国行きの船に乗りました。しかし、船はシンガポールで足止めされ、ニュートンは現地の新聞社で短期間写真家として働いたのちにオーストラリアに渡り、後に生涯の伴侶となるジューンと出会ったのです。
ジューンはニュートンとの出会いを振り返りました。ニュートンと仕事をすることになったジューンは彼はきっと年配だろうと思っていましたが、いざ会ってみると若くて頭の良さそうな好人物という印象を持ちました。
自らもカメラマンとなったジューンはよくニュートンの撮影現場に帯同していました。ギャラリーオーナーのカルラ・ソッツァーニはニュートン夫妻の関係は誰もが夢見るような最高の関係だったと語り、モデルのアリヤ・トゥールラは夫妻の互いへの態度は敬意に満ち溢れていたと証言しました。
ニュートンはお気に入りの場所であるハリウッドのシャトー・マーモント・ホテルで、自分の作品は死を象徴するものを取り除いていたことを語りました。ニュートンは遅かれ早かれ誰もが死を迎えるが、自分はそれよりも前向きなものを考えたいと語りました―――。
2004年1月23日。交通事故に遭ったニュートンは病院に搬送されました。ジューンは自分が最愛の夫の安らかな死に顔を覗き込んでいる写真を撮りました。
以上、映画「ヘルムート・ニュートンと12人の女たち」のあらすじと結末でした。
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