アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶の紹介:2003年スイス,フランス映画。20世紀の写真家カルティエ=ブレッソン、彼はどのように被写体と向き合い、瞬間を捉えてきたのか、インタビューと共に振り返る。
監督:ハインツ・ビュートラー 出演者:アンリ・カルティエ=ブレッソン、エリオット・アーウィット、アーサー・ミラー、イザベル・ユペール、ジョセフ・クーデルカ、フェルディナンド・シアナ、ロベール・デルピエール
映画「アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶」解説
この解説記事には映画「アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶のネタバレあらすじ:起・逃げ去るイメージ
被写体の過去も未来も一枚に収めてしまうと言われる写真を撮るアンリ・カルティエ=ブレッソン。彼は写真のために生きるのではなく、瞬間の芸術である写真の、その瞬間を選ぶことを楽しんでいる。ハーレムに住んでいた頃から写真を撮り、車から撮るなど危険な事もあった。アメリカ社会が善良さと邪悪さを併せ持つ極端な国だという事を観察していた。
カルティエ=ブレッソンにとって大切な事は、一瞬に表れる被写体の構図や配置の美しさを捉え、フィルムに感光させる事。それらの写真を絵画のように並べる写真集は内容と構成を考える事に苦心した。こうして様々な国の貴重な瞬間を収めた『逃げ去るイメージ(決定的瞬間)』は作られた。
アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶のネタバレあらすじ:承・ポートレイト
目と頭と心の照準を合わせて撮ると言う事をモットーにしている彼の写真は、バランスの取れた写真で、然るべき構図と配置がされ、感情的でもなければ、思想的意図を明らかにしているわけでもない。
マリリン・モンローの写真で、彼女は写真用のポーズは撮らず、何かを考えている。その写真にはマリリン・モンローの知性が流れ、内省的で彼女そのものを写したような一枚だった。
同じく女優のイザベル・ユペールは、自分のポートレイトを撮影した時、カルティエ=ブレッソンと話をしてから二、三枚撮り、その一枚はイザベル・ユペール本人も知らない内面を映し出した。それは彼が引き出し彼女を深く適切に捉えた瞬間の写真だった。
カメラの存在を忘れさせる事がポートレイトを撮るには大切だった。どの写真にも経緯があり、楽しいと同時に、束の間を写すことはとても難しい。笑顔のココ・シャネルの写真があるが、一瞬の笑顔で次の瞬間には硬い表情になってしまった。
カルティエ=ブレッソンは世界中で写真を撮り、セレブから農民まで分け隔てなくポートレイトを撮った。彼の写真は言葉の後の沈黙を聞くようで、『静』のイメージはない。相手と打ち解け、観察して撮ったポートレイトは、被写体との距離が上手く、それは見る側の感性にもフィットした。
アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶のネタバレあらすじ:転・写真と絵
カルティエ=ブレッソンは写真の他にデッサンをし、大量のスケッチやコラージュが保管されている。中には、偽造パスポートを手に入れるまで平静を装うために書いた水彩画もあった。彼は1943年に収容所から逃げ出した。今でも脱獄囚の気分と変わらない。スケッチのためにパリの屋根の上から街を見渡し、今は絵を究めることを考えている。
彼の写真の中には、パリ解放の瞬間や、ゲシュタポの加担した娘の悲惨な末路を写したもの、東西ドイツの分離や、ベルリンの壁の貴重な写真、その壁伝いに遊ぶ子供達も写っている。また、インドネシア独立の時には、運び出されたオランダ総督の絵画を写している。
カルティエ=ブレッソンは、たまたまそこに居合わせるわけではなく、政変に対する感覚や国際政治に鋭い感覚を持っていた。ガンジーは彼と話をした15分後に暗殺され、その葬儀の火葬の模様も写真に写している。彼にとって死は終局の状態で、悲しみはそこにはない。
昔から絵が好きだったカルティエ=ブレッソンは、ルーブルで絵画を見ながら、写真は短刀の一刺し、絵は瞑想だと語る。
アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶の結末:瞬間を捉える
カルティエ=ブレッソンの写真は、その裏にある事柄を想像させるものがたくさんある。40年代から70年代にかけて、華やかさの目立っていたアメリカ社会の背後にある実体を捉えた写真は悲観的で荒廃し、消費と浪費の文明への風刺を伴っていた。
しかし70年代以降アメリカ文明は変わり、写真の背後にある緊迫感には古臭さを感じるようになった。
また、シベリアでは構図が面白いから撮った写真が、機密を行っている森を写してしまい、面倒ごとに巻き込まれた事もあった。それでも彼は一瞬に集中し、写真を撮り続けた。
一枚の写真で多くを語るカルティエ=ブレッソンの写真は、見る側に不安感を与える事もあった。そんな彼が自分で気に入っている写真は、バスの中で十字架の墓標を持った男性の写真だった。
写真は被写体次第で、自分から探しても撮れるものではない。写真に死はなく生き続け、突然その光景がよみがえる。その一瞬を、カルティエ=ブレッソンは捉えてきたのだ。
以上、映画「アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶」のあらすじと結末でした。
アンリ・カルティエ=ブレッソン 瞬間の記憶のレビュー・考察:今なお生きる写真
カルティエ=ブレッソンの写真は、それが街角の一瞬でも、歴史的な瞬間だったとしても等しく絵画的な印象を見る側に残す。その根源にはカメラを手にする前から絵画に親しみ、また自らも絵を描いていると言うのがあると思う。しかし、けして意図して絵のような写真を撮っている訳でなく、長く培われた芸術的な感性が絵のような瞬間を捉える勘も一緒に育てていたのだろう。作中で絵画を瞑想に例えているが、被写体の一瞬の構図を捉えるのを探す事も同等に忍耐を必要とするのではないかと思う。
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