家族の紹介:1970年日本映画。日本映画界の至宝・山田洋次監督が手掛けた“民子三部作”の第1弾です。高度経済性長期の時代を舞台に、故郷・長崎の小さな島を離れた主人公一家が遥か遠くの北海道に新天地を求める姿をドキュメンタリータッチで描きます。
監督:山田洋次 出演者:井川比佐志(風見精一)、倍賞千恵子(風見民子)、笠智衆(風見源蔵)、前田吟(風見力)、池田秀一(風見隆)、塚本信夫(沢亮太)、松田友絵(沢みさお)、花沢徳衛(チンケ)、渥美清(行きずりの旅人)ほか
映画「家族」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「家族」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「家族」解説
この解説記事には映画「家族」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
家族のネタバレあらすじ:起
1970年。長崎港から約10km離れたところに位置する小さな島、伊王島。カトリック教徒の多いこの島には、炭鉱で働くいかにも九州男児といった頑固一徹な一家の大黒柱・風見精一(井川比佐志)と明るく健気な妻・民子(倍賞千恵子)、まだ幼い長男・剛(木下剛志)と生まれて間もない長女・早苗(瀬尾千亜紀)、そして精一の父で元炭鉱夫の源蔵(笠智衆)の5人家族が住んでいました。伊王島に生まれた民子は約10年前にこの貧しい島を出て博多に移り住み、中華料理店で働いていたのですが、島からやってきた精一に連れ戻されるかのように島に戻り、教会で結婚式を挙げたのです。
それから10年、子宝に恵まれた精一にはひとつ夢がありました。それは精一が若い頃から抱いていたもので、いつかこの島を出て遠く離れた北海道に移住、開拓集落に入植して酪農家になるというものでしたが、民子はこれに反対しており、精一は単身でも行く決意を固めていました。
家族のネタバレあらすじ:承
元々今の職業が性に会わないと感じていた精一は、勤めていた会社が潰れたのを機に、北海道の開拓村に住む高校時代からの友人・沢亮太(塚本信夫)を頼って北海道行きを実行に移すことにしました。頑なに反対していた民子も精一の熱意に折れ、幼い子供二人を連れて精一についていくことにしました。しかし、源蔵についてはあまりにも高齢で北海道の厳しい環境に耐えられるかわからないことから、精一は広島県福山市に住む弟の力(前田吟)夫妻の元に源蔵を預けることにしました。
そして島に桜が咲き始める4月、丘の上にポツンと立つ家を引き払った精一一家5人は長崎行き連絡船に乗り込み、おそらくもう二度と戻ることのないであろう故郷の島が遠ざかっていく様をいつまでも眺め続けていました。一家は長崎から博多行きの急行列車に乗り換え、剛は生まれて始めての大旅行にはしゃぎ回りました。それから一家は列車を乗り継いで本州に入り、最初の目的地である福山に到着しました。駅で一家を出迎えた力でしたが、精一たちよりも稼ぎの良い工場勤めであるにも関わらず力の家は2DKの狭い家と車のローンで生活は苦しく、力の妻・澄江(富山真沙子)のお腹には新たな命が宿っており、とても源蔵を受け入れる余裕はありませんでした。結局、精一一家は源蔵も北海道へ連れて行く決断を下し、北へ向かって再び出発していきました。
家族のネタバレあらすじ:転
精一ら5人は大阪に到着、当時開催中だった大阪万博を見物しようと思い立ちました。しかし、会場でのあまりの人の多さに民子は呆然とし、卒倒しそうになりました。結局時間もなかったことから一家は入口だけで引き返し、新幹線に乗って東京へとやってきました。ところが、早苗の体調が突然悪化、高熱を出して弱ってしまいます。一家は青森行きの特急への乗車を断念、必死で病院を探して回りましたが夜間のためどこも閉まっており、ようやく救急病院を探し当てたときには既に手遅れであり、間もなく早苗は息を引き取ってしまいました。哀しみに暮れる一家は教会で葬儀を済ませ、早苗の遺骨を抱いて青森行きの東北本線の特急に乗り込みました。春の訪れが遅い東北の車窓は寒々としており、慣れない長旅での心労と我が子を失った深い哀しみから精一たちは重たい空気に包まれていました。やがて一家は青函連絡船に乗船して一路函館へと向かいましたが、深く憔悴しきった民子はつい精一と口論になってしまいます。精一の目にも涙がにじんでいました。
家族の結末
一家は函館本線、室蘭本線、根室本線、そして標津線と列車を乗り換え、まだ雪の残る北海道の原野を突き進んでいきました。そしてようやく精一一家は目的地の道東・中標津に辿り着き、亮太が牛の出産で忙しいことから代わりの者がワゴンで駅に出迎えてくれました。長旅で心身ともに疲弊しきった精一ら4人は、亮太の家に着くなり倒れ込んでしまいました。
翌日、精一らは亮太から離農した人の住居を紹介してもらい、その夜は近所の農家を交えてささやかな歓迎会が開かれました。源蔵は機嫌よく炭坑節を歌ってその場を和ませました。しかし翌朝、民子が目を覚ますと、源蔵は既に息を引き取っていました。自分の行動のために父と娘を失ったことを悔いる精一を民子は慰め、地元の牧師に頼んで早苗と源造の遺骨を根釧原野に埋葬、ふたつの十字架を建立しました。
6月。中標津にもようやく本格的な春が訪れ、精一は亮太の手助けもあって酪農に汗を流していました。民子のお腹の中には新しい命が宿っていました。
「家族」感想・レビュー
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「幸せの黄色いハンカチ」は少し興行成績を狙った感じがあり、そのせいもあってかよく注目されますが、「家族」は隠れた名作といってもいいでしょう。
兄弟が親父の面倒をどっちが見るか揉めている?なか、寝たふりをしていた笠智衆が、兄弟がまだ小さかった頃を回想するシーンが、琴線に触れました。
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作品が重くなりすぎないようにするための、渥美清さんの使い方も、うまいです
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名作中の名作です。道中、福山の弟宅で、襖越しに笠智衆の耳に入ってくる兄弟の会話。駅のホームで弟が渡した現金入りの封筒。その足で出勤する弟が車中で涙を流すシーン。また孫が饅頭もらったと言ってきたのを「乞食じゃない」と諭す祖父。始めから終わりまで涙なくしては観られません。旅の途中に子供が亡くなる。祖父も亡くなる。そのようなつらい状況下で、よくラストシーンで夫婦は笑っていられるというような批評を見ましたが、でなければ悲しくって。
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この山田洋次監督が、1970年に撮った映画「家族」は、九州の炭鉱で働いていた炭鉱夫の一家が、石炭から石油への燃料の切り換えの時代でリストラされて、北海道で農業をやろうとして、家族をあげて日本列島を南から北へ旅をする物語です。
この映画で描かれている1960年代は、日本経済の高度成長期で、日本人は豊かさに向かって希望に溢れていたのです。
その喜びの表現として、例えば大阪での万国博覧会もあったのです。あの経済成長の土台には、石炭から石油へのエネルギーの切り換えという国の政策があり、それまで日本の工業の牽引力だった石炭産業が切り捨てられ、多くの炭鉱労働者がまるで難民のように各地に四散していったわけです。
日本は難民を出したことのない幸福な国であると我々は思いがちですが、実は彼らこそ国内難民のような人々だったのではないか。
高度成長に浮かれて当時のメディアは、それをあまり話題にもしていませんでした。しかし、山田洋次監督は、これらの人々の歩むであろう道をしっかり見つめていたのです。
そして、1970年に日本国内の各種の映画賞を総ナメにした傑作が、この「家族」なのです。
地道に働く人々の喜びや悲しみを見つめ続けてきた映画作家として、さすがだと思います。現在、世界の大きな不安定要因になっている国際的な政治難民や経済難民たちに較べれば、この映画の、九州の炭鉱で職を失って北海道の農場を目指す一家は、ずっと幸せそうです。
日本列島を縦断する列車の旅はそれなりに楽しいし、大阪万博だってワクワクしながら見物したりします。
倍賞千恵子、井川比佐志、笠智衆などの好演で、家族の人々の善良さと結束の固さも素晴らしいと思います。家族はそれなりにあの万博の雑踏を楽しむのですが、あまりの混雑で無理をして疲れたせいか、幼い子供は東京に着いたら具合が悪くなって、病気で死んでしまいます。
また老いた父を引き受けてもらうつもりで立ち寄った、広島県の福山のコンビナートにある次男の家で、それを断られるという辛いエピソードもあって、この家族の置かれた立場の厳しさをくっきりと描いています。
日本経済の高度成長に伴う無理を、何気なく、しかし実に鮮やかに表現した映画になっていると思います。
近代社会は、人間の労働をただ能率だけで測って、働くことの面白さ、楽しさを考えには入れません。
伝統的な馴れた仕事にあった作業のコツ、楽しさをもっと大事にしたい。少なくともそういう気持ちが無視されるようだったら、山田洋次監督のヒットシリーズとなった「男はつらいよ」での寅さんのような生き方がマシだ。
そんな気持ちがそこにあるのだと思います。この「家族」という映画は、山田洋次監督が「男はつらいよ」シリーズを営々と作り続けていたその合間に作られた作品です。
合間というと何か、主な仕事の片手間にやったことのようなニュアンスに受け取られるかも知れませんが、例えば後の「幸福の黄色いハンカチ」や「遥かなる山の呼び声」のように、いずれも渾身の力作であって、むしろこれらのどちらかと言えば地味めで会社側は避けようとする企画を存分にやれる立場を確保するためにこそ、確実なヒットが約束されている寅さんのシリーズを、続けないわけにはいかなかったのかも知れません。どうしても堅気になれなくて、ヤクザな暮らし方の自由を楽しんでいる寅さんの映画を、数多く作った山田洋次監督が、その合間合間に、要所要所に、念には念を入れるように、寅さんに堅気の働く人たちへのまっとうな敬意を見失わせないためにも、この地道な労働への敬意をていねいに描いて、そこに美しさを見い出す、これらの作品を作ることが映画作家として必要だったのだと思います。
良かった