荒野の決闘の紹介:1946年アメリカ映画。巨匠ジョン・フォードの代表作のひとつ。ワイアット・アープとドク・ホリデイで有名なOKコラルの銃撃を映像化したもの。この題材は後に「OK牧場の決斗」や「トゥームストーン」などで何度も描かれることになる。
監督:ジョン・フォード 出演:ヘンリー・フォンダ(ワイアット・アープ)、リンダ・ダーネル(チワワ)、ヴィクター・マチュア(ドク・ホリデイ)、キャシー・ダウンズ(クレメンタイン)、ウォルター・ブレナン(オールドマン・クラントン)
映画「荒野の決闘」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「荒野の決闘」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「荒野の決闘」解説
この解説記事には映画「荒野の決闘」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
荒野の決闘のネタバレあらすじ:起
モニュメントバレーの見える荒野を牛の群れがゆきます。追っているのは4人のカウボーイたち。ワイアット、モーガン、バージル、ジェームズ。アープ兄弟です。ワイアットは牛の群れをじっと見ていた2人の男たちを不審に思い、話しかけます。彼らはオールドマン・クラントンと長男のアイク。話しかけられたのを幸い、2人は牛の購入を申し入れますが、ワイアットは拒否。オールドマンから近くにトゥームストーンという町があるのを聞くと、ワイアットはそこで宿泊することに決めます。
荒野の決闘のネタバレあらすじ:承
牛の世話をする末弟のジェームスを残して兄3人は町へ。そこで酔っぱらいが騒ぎを起こしたため、ワイアットは怖気づく保安官を尻目にさっさとその酔っぱらいを取り押さえます。実はワイアットはダッジシティの元保安官だったのです。その後兄弟が末弟のところに戻ると、牛の姿は消え、ジェームスは殺されていました。ワイアットは、復讐のため、トゥームストーンの保安官に。日常の仕事をこなしながら牛泥棒の調査も行い、クラントン一家に目串をつけますが、決め手がありません。
荒野の決闘のネタバレあらすじ:転
一方、町の賭博場はドク・ホリディという男が仕切っており、彼の情婦であるチワワがワイアットを目の敵にしますが、実際に会ったホリディは悪人ながらどこか気骨があり、2人はすぐに友人となります。やがて、ホリディを探してクレメンタインという美しい女性が町へ。彼女は実はホリディの元恋人でした。彼女と会うことでホリディは町を去り、この事でチワワはクレメンタインに食って掛かります。その喧嘩をおさめようとしたワイアットはチワワが死んだジェームスの首飾りを身に着けていることに気付くのです。それがホリディからのプレゼントだと知ったワイアットは彼の後を追います。
荒野の決闘の結末
しかしホリディを連れて帰るとチワワの言葉は嘘だと分かります。実はクラントン一家のビリーからのプレゼントでした。それを盗み聞いていたビリーはチワワを射殺。ビリー自身も撃たれて死にます。一家の逮捕のため、ワイアット、ホリディとその他の男たちがクラントンのOKコラルへ。そこで銃撃戦が行われ、クラントン一家はすべて倒されるのです。しかし、ホリディも死んでしまい、残されたクレメンタインはそのまま町の先生に。ワイアットは再会を約束して町を去っていきます。
「荒野の決闘」感想・レビュー
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この映画史に残る不朽の名作「荒野の決闘」は、保安官ワイアット・アープ兄弟と無法者クラントン一家の、宿命的な対決を描いた作品だ。
ジョン・フォード監督は、格調高い演出で”詩情の漂う人間ドラマ”を作り上げていると思う。
この作品は、「駅馬車」「シェーン」と並び称される、西部劇の傑作中の傑作で、アメリカ映画の大きな誇りであり、財産だと思う。同じ題材を映画化したジョン・スタージェス監督の「OK牧場の決闘」が、講談調の興趣を盛り上げていたのに対し、ジョン・フォード監督は、事件を背景に流して、もっぱら人間関係に描写を傾け、主人公ワイアット・アープとドク・ホリデイの人間性を追求していると思う。
鼻の下に野暮ったい髭をはやしたヘンリー・フォンダのワイアット・アープは、今まで数多くの西部劇に登場した人物の中でも、最も素敵で最も魅力的な人間像になっていると思う。
そして、クライマックスのOK牧場での決闘場面は、凄絶感を漲らせた描き方が、実に見事だ。
「OK牧場の決闘」が拳銃、ライフル、ショット・ガンを使い、長時間にわたって派手な乱戦を展開していたのに対し、この「荒野の決闘」では、わずか3~4分で戦闘は終了する。
その短い時間の中で描き出される死闘は、極めて凄絶だ。
ワイアット・アープ派もクラントン一家も、いずれもひとかどの拳銃使いが揃っている。
発砲したら、相手を仕留めずにはおかないといった連中ばかりだ。だから、やたらとドンドンパチパチと撃ったりはしない。
あくまでも、一発必殺を狙って撃つのだ。そういう緊迫感が、リアリズムに徹した手法で描き出されており、右往左往する牛の群れに妨げられて、思うように発砲出来ないという焦燥感も、うまく描いていたと思う。
特に優れているのは、柵から飛び出してライフルを撃ちまくるアイク・クラントンの前を、一台の馬車が砂煙をあげて疾走して行く場面だ。
ライフルを撃ちまくったアイクは、やがて、一弾を浴びて崩れるように倒れていく。
その時、視界を遮っていた砂煙が薄らぎ、向こう側に拳銃を握って仁王立ちに立っているワイアット・アープの姿が、くっきりと浮かび上がってくる。このあたりの斬新で鋭い描写は、ジョン・フォード演出の真髄とでも言えると思う。
こうして、クラントン一家を倒したワイアット・アープは、片思いの女性クレメンタインに別れを告げて、故郷へ帰って行く。
白く長い道を遠ざかるワイアット・アープ。その姿をいつまでも見送るクレメンタイン——–。その画面に流れる、”いとしのクレメンタイン”のメロディ。
ほのかな感傷とわびしい情感のにじむラストシーンこそ、名匠ジョン・フォード監督が高らかに謳い上げた、”荒野の詩”であると思う。
この作品は音楽で言うならば描写力と情感に満ちた「交響詩」といったところだろうか。日本の映画関係者には「荒野の決闘」ではなく原題に忠実な「愛しのクレメンタイン」と改題して頂きたい。米国の西部では開拓者や移民たちが荒涼たる大砂塵を背景にしてその日その日を精一杯に健気に生きている。その素朴で外連味がない市井の人々のライフスタイルがモノクロ画面いっぱいに広がる。世紀の巨匠ジョン・フォードがユタ州でトゥームストーンの町に似せたセットを組んで撮影に臨んでいる。それによって光と影が織りなすモノクロの芸術に臨場感と甘美でリリカルな抒情性を吹き込んだのである。お膳立てが揃った後は名優の登場を待つばかり。満を持して登場したヘンリー・フォンダは半世紀以上も昔の爽やかな風を撮影所に送り込んだのである。ヘンリー・フォンダ演じるワイアット・アープが登場すると空気が変わる。長身で颯爽とした風貌のダンディなシェリフ。武骨で粗野な面と繊細でナイーブな顔を併せ持つ伊達男のフォンダ(アープ)。理髪店で、酒場で、街角で彼は足跡を残す。その圧倒的な存在感は正に千両役者の面目躍如。クラーク・ゲーブルが「ハリウッドのキング(K)」ならヘンリー・フォンダは「ハリウッドのエース(A)」であろう。威圧感も誇張もなくたださり気なく立っているだけで絵になる男が我が最愛のヘンリー・フォンダなのである。最大の見せ場は日曜の昼下がりの余興で「清楚な砂漠の花」クレメンタインとダンスをするシーンである。武骨だが誠実な西部男の気概とプライドに「男の美学」を見た。「男の美学」とは騎士道や武士道に相通じる高潔さである。この映画に限りないノスタルジーを感じ取って感慨に耽るのはひとえに古風な男の生きざまである。「酒と女と孤独を愛する男」としてはこの映画からは一生離れられない。何十年も掛けて何度も何度も鑑賞して来た。映画を再生するたびにヘンリー・フォンダのワイアット・アープに再会できる。駅馬車に揺られて長旅の末にトゥームストーンの町に到着したクレメンタイン嬢。この駅馬車が到着するシーンも誠に美しい。クレメンタインの登場で柑橘系のモクレンの香りが広がる。離れた場所からもクレメンタインの存在が解るのである。この作品はそう言う鑑賞者の夢と想像の翼を与えてくれる数少ない名作なのである。