太陽にかける橋/ペーパー・タイガーの紹介:1975年イギリス映画。「それはすばらしい〈男〉の冒険だった!生命を賭けたはじめての旅だった!愛と勇気でつらぬくビッグ・アドベンチャー!」というキャッチコピーで、政情不安定な東南アジア某国で起こった日本大使の息子誘拐事件の中で、少年とイギリス人家庭教師との心の交流を描いたサスペンス・ヒューマンドラマ。
監督:ケン・アナキン 出演:ブラッドベリー(デビッド・ニーヴン)、日本大使・カゴヤマ(三船敏郎)、ミューラー(ハーディー・クリューガー)、コウイチ(安藤一人)、タラ(イレーネ・ツ)、カゴヤマの妻(高美似子)、ほか
映画「太陽にかける橋/ペーパータイガー」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「太陽にかける橋/ペーパータイガー」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
太陽にかける橋/ペーパー・タイガーの予告編 動画
映画「太陽にかける橋/ペーパータイガー」解説
この解説記事には映画「太陽にかける橋/ペーパータイガー」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
太陽にかける橋/ペーパー・タイガーのネタバレあらすじ:1.運命の出会い
1機のジャンボが英国を旅立ちました。その飛行機は東南アジアの某国に到着しました。その飛行機からブラッドベリーという一人のイギリス人が降り立ちました。彼はイギリスの下院議員で貴族の息子だそうでした。彼は政情不安定なその国の日本大使・カゴヤマの息子の家庭教師として、呼ばれたのでした。ブラッドベリーはその途中、バスに乗りましたが、反体制派の者のたちによって襲撃されてしまいました。幸い彼は近くの寺をぶらりと見学しており、一人難を逃れました。そこからブラッドベリーは日本大使館の迎え車に乗り換え、大使館へと向かいました。
日本大使のカゴヤマはブラッドベリーを歓待しました。ブラッドベリーは少佐という肩書で、経歴書からは学校の校長でもあり、先の大戦でも数々の勲章を受けていた家庭教師としては文句ない人物でした。カゴヤマは近々イギリスに赴任する予定があり、その前に愛息子のコウイチにイギリスの文化や習慣を教えておきたいと思っていました。早速、カゴヤマはブラッドベリーとコウイチとを会わせました。コウイチは利発な少年で、丁寧にブラッドベリーに知っている英語で挨拶をしました。カゴヤマはブラドベリーに息子コウイチの教育を一任しました。ブラッドベリーはまず、コウイチにイギリスの歴史を教えることにしました。
その夜はカゴヤマの誕生パーティでした。大使館には様々な関係者がやってきました。外務大臣もやってきました。ブラッドリーもパーティに出席していました。すると1人の男が近づいてきました。その男はドイツ人ジャーナリストのミューラーという男でした。ミューラーはブラッドリーに関心を抱き、色々と尋ねてきました。そんなミューラーをブラッドリーは少々疎ましく思い、彼から離れ、一人席に着いてくつろいでいました。
その時でした。中にいたウェイターが外務大臣を暗殺しようと発砲してきました。反体制派の者たちが紛れ込んでいたのでした。銃弾は外れて別の客たちに当たりましたが、会場は騒然となりました。カゴヤマは外務大臣を庇いながら、その場から脱出しようとしました。片足が不自由で杖をついていたブラドリーも、脱出しようとしましたが、座っていた椅子に杖が挟まりなかなか抜けませんでした。ブラッドリーは力一杯、杖を抜こうとしました。すると力余って、杖ごと椅子を放り投げてしまいました。椅子はなんと運よく発砲しようとしていた反体制派の男に当たり倒してしまいました。彼は一躍、ヒーローとなってしまいました。偶然、その様子をこっそり見ていたコウイチは、勇敢なブラッドリーに尊敬の念を抱き始めました。
太陽にかける橋/ペーパー・タイガーのネタバレあらすじ:2.誘拐事件
ブラッドベリーとコウイチは、次第に心の距離を縮めていきました。コウイチはブラッドベリーを心の強いヒーローと思い、先の戦争時での体験談に非情に興味を抱きました。コウイチにせがまれ、ブラッドベリーは体験談を語り聞かせました。コウイチの頭の中で、ブラッドベリーは次第に無敵の勇敢なヒーローへとなっていきました。
ある日、コウイチの教科書を見たカゴヤマはブラッドベリーに、一抹の不安を抱きました。想像力豊かなコウイチが、ブラッドベリーの話を勝手に過大評価していくことでした。また、コウイチが戦争の話に非情に興味を持ち始めていることも心配でした。カゴヤマは「昨今の日本人は戦争の話をとても嫌がるんです。息子に聞かれてもなるべく避けるように」とブラッドベリーにお願いしました。ブラッドベリーは快諾し、自分は「2人の男が互いの体を切りつけ合い。肉体とかけがえのない魂を腐敗物に変えていく光景だ」という詩を読み、「戦争は不要な悪行だ」とコウイチに教えていることを報告しました。
コウイチは「大人になったら、ブラッドリー先生のように勇敢な男になるんだ」と思い始めていました。そんなコウイチに父・カゴヤマは「男はね。自分の心を見つめることが必要なんだ。自分の心に人を蔑んだり、恐れたり、嘘をついたり、羨んだしたらダメなんだ」と言い、励ましました。
そしてある日、ブラッドリーはコウイチを連れて、イギリス軍事博物館に行きました。イギリスの歴史授業の一環でした。偶然、そこでミューラーが現地の武道家たちの練習風景を取材していました。ミューラーはブラッドリーに格闘術の話題を振りますが、ブラッドリーの答えは要領を得ないものでした。ミューラーは戦歴があると言うブラッドリーに、疑念の念を抱きました。
ブラッドリーは博物館の中で、コウイチにせがまれ、また戦時中の脱出作戦話を聞かせました。コウイチの先生へのヒーロー像は益々膨らみました。そんな2人が博物館を巡り終えて帰ろうとすると、突然、見知らぬ4人の覆面をした者たちが襲ってきました。ブラッドリーはその者たちに背後から殴られてしまいました。その隙にその者たちは、コウイチを誘拐して逃げようとしました。周りにいた武道家たちがコウイチを助けようと、その者たちに向かって行きましたが、その者たちは意外に強く、武道家たちを蹴散らし、そして、大使館付きの運転手を銃で撃ち殺しました。ブラッドリーは偶然、その者のうちの一人の顔を見てしまいました。それは女性・テラーでした。顔を見られたテラーは、ブラドッリーもコウイチと共に誘拐して逃走しました。
イギリス博物館の館長の連絡で、現地の警察がやってきました。知らせを聞いたカゴヤマも駆けつけました。どうやら反体制派の人民革命党の仕業のようでした。現場にはブラッドリーの杖が落ちていました。ミューラーは軍歴豊富なブラッドリーが付いていながら、簡単に連れ去れた事にさらに疑念を抱き、カゴヤマに「彼を見誤っていたようです」と言いましたが、カゴヤマはそれを真っ向から否定しました。
太陽にかける橋/ペーパー・タイガーのネタバレあらすじ:3.ペーパー・タイガー
誘拐されたブラッドリーとコウイチは洗濯物の籠に入れられ、見知らぬ山奥の革命党のアジトに捕らわれてしまいました。革命党の統率者であるテラーはブラッドリーに「子供を人質にしたくなかった。でも世間に衝撃を与えないと、仲間の窮地が注目されない」と、誘拐した目的を告げ、彼をコウイチと共に小屋に幽閉しました。コウイチは日の出を見ながら、ブラッドリーが脱出のプロでいつか自分を連れて、ここから助け出してくれると信じていました。そんなコウイチにブラッドリーは「まともな者にとって、日の出ほど厳粛なものはない。死を恐れる者は生きる資格はない」と語りました。するとコウイチは「僕は不名誉な死に方をするのが怖い。僕も勇敢になりたい」と答えてきました。ブラッドリーの心は揺れました。
その頃、この誘拐事件は大きな話題となっていました。犯人からは「要求がのめなければ、遺体を送る」というものでした。現地の大統領としてはこうした誘拐犯に屈するわけにいかず、要求を拒否する構えでいました。もちろん、72時間以内に全力をあげて捜索・救出するとカゴヤマに約束しました。カゴヤマは複雑な思いでしたが「私が大統領の立場でも、同じ決断をしたでしょう」と一礼して、外務大臣のもとを去りました。カゴヤマは車中で涙しました。
一方、コウイチは両親に向けて遺書を書いていました。その遺書を読み聞かされたタラの心は揺れました。タラ自身、愛する両親を現政府の手で殺されるという辛い過去を持っていたからでした。ただタラはこの遺書は脅しに使えると判断しました。そしてコウイチに日本語で「僕たちを助けてください」という意味合いの手紙を書きました。タラはそれを政府に送りつけました。しかし、コウイチはタラたちが日本語が読めないことを利用し、今、自分たちが囚われている場所のヒントを書きました。その策を見破ったブラッドリーは「バレて、処刑されたらどうするんだ」とコウイチを叱りました。
そんな頃、ブラッドリーの身元を探っていたミューラーが、カゴヤマのもとにやって来ました。ミューラーの報告を聞き、カゴヤマは愕然とし憤りました。なんとブラッドリーの経歴書の軍歴は全て真っ赤な嘘でした。彼は虚言癖のペテン師「ペーパー・タイガー」でした。カゴヤマは憤りを刀に込めて抜き振りました。
太陽にかける橋/ペーパー・タイガーのネタバレあらすじ:4.決死の脱出
そんな事になっているとは知らないブラッドリーでしたが、コウイチは完全にブラッドリーを勇敢なヒーローだと信じていました。ブラッドリーはコウイチのその一途な期待を裏切ってはならないと思い、一念発起しました。ブラッドリーはコウイチを連れて脱出することにしました。
ブラッドリーは知っている知恵と知識を総動員して、床板を取り外し、そこからコウイチと抜け出しました。コウイチとの連携プレイで車を強奪し、2人はアジトから逃走しました。ブレーキの利かない車をブラッドリーは必死で運転して、山道を猛スピードで走らせましたが、とうとう車を横転させてしまいました。幸い、2人とも無傷で山の中を逃げました。タラたちが仲間を総動員して追ってきました。2人は助けを呼びやすい山頂を目指して、険しい山を登りました。弱気になるブラッドリーをコウイチは励ましながら、登りました。その途中、ついにブラッドリーは追っ手に見つかり、脚を撃たれてしまいました。追っ手は次にコウイチを撃とうとしました。しかし、その時、タラが狙撃を中止させました。
ラジオを傍受していた仲間が自分たちの居場所がばれ、警察と軍が間もなくやってくることを知りました。タラはブラフだと主張しましたが、仲間の多数決で、結局、タラたちは2人を無事に解放することにしました。一人が2人にその事を告げるために近づいて来ました。ブラッドリーは持っていたライフルでその男を撃ちました。意識が遠のいていくブラッドリーは、励ますコウイチに「戦場で死ぬが夢だった。いつか戦闘に加わりたいと願っていた。夢がかなって幸せだ。小さな友達よ。私を忘れないで。お父様に申し訳ないと伝えてくれ」と呟きました。
その時でしたヘリの音が空から聞こえてきました。コウイチの書いた遺書で位置を知った警察とカゴヤマたちが、救出に来たのでした。コウイチは割れた鏡で位置を知らせ、無事に2人は救出されました。そして、誘拐した革命軍は警察の銃撃で一掃されました。
太陽にかける橋/ペーパー・タイガーの結末:5.永遠のヒーロー
出血はひどいもののブラッドリーは一命を取り留めました。病院から退院したブラッドリーはカゴヤマのもとに行きました。ブラッドリーは自分の軍歴が全て嘘であることを明かし、自分が単なる凡人であると言い、カゴヤマに謝罪しました。そして、ブラッドリーはイギリスに帰ろうとしました。そんなブラッドリーをカゴヤマは止めました。「栄誉に憧れることは、悪いことではありません。誰しも夢に描くものだ。叶えられないことを夢見ることは無害だ。大事なのはあなたの過去より、息子の未来だ。そして、未来があるのはあなたのお蔭だ。コウイチも次の授業はいつからだと待っている」とブラッドリーに言いました。ブラッドリーは直ぐにコウイチのもとに行きました。コウイチから逆に勇気をもらい、命を懸けたブラッドリーの想いは、コウイチに届いていました。コウイチにとってブラッドリーは永遠のヒーローでした。2人は再び、勉強を始めました。
この映画「太陽にかける橋 ペーパー・タイガー」は、ゲリラ活動の盛んな東南アジアの某国が舞台で、外務大臣がテロに狙われたりと政情がすこぶる不安定な状況だ。
3カ月後に駐英大使としてロンドン赴任が決まった日本大使(三船敏郎)が、イギリス人の家庭教師(デイヴィッド・ニーヴン)を招く。
この家庭教師は、自分が第二次世界大戦でいかに勇敢に戦ったかをことあるごとに自慢して、少年(安藤一人)は、”先生は英雄だ”と誇りに思っている。
ところが、外務大臣暗殺に失敗した革命グループは、この二人を誘拐して、捕われた同士たちの釈放を要求したのだ——。
これがこの映画の発端で、そして、誘拐された二人の触れ合いから、この老イギリス人が、”常に英雄であること”を夢見ていた、平凡な田舎教師であることがわかってくるのだが、このゲリラたちを憎むでもなく、権力側も結構皮肉って描くという配慮はあるものの、政治的な要素は一切排除して、”サスペンス・アクション”に徹していることが、素直に楽しめることにもなったし、逆に言えば、少々食い足りない思いを残す結果になったのだと思う。
監督は「素晴らしきヒコーキ野郎」のケン・アナキン。キャロル・リード監督をあげるまでもなく、イギリス映画にとってこの手のサスペンス・アクション映画は、そもそもお得意のジャンルであり、ハリウッド映画のような派手さには欠けるものの、律儀にカットを積み重ねて、結果として手に汗握る盛り上がりを見せる—-、というのが共通の作風のような気がする。
そして、この映画も、当然その延長戦上にある作品で、三船敏郎を大使役に起用して、デイヴィッド・ニーヴンと張り合わせようとした企画や、政治的な背景を味付けに使った点などが目新しさを感じさせるものの、演出スタイルは手堅いまでにイギリス映画の伝統を守っているように思う。
だから作品としての新鮮さはないものの、安心して観ていられるのだと思う。
このような作品だから、例え主人公が誘拐されようとも、最後に助かることはわかっているので、助かるまでのプロセスにおいて、いかにサスペンスを盛り込むかが勝負となるが、その点ではまず合格点が与えられると思う。
そして、その後に、軍人でもなければ勲章にも縁がない、無能な田舎教師だ—-と告白して去ろうとする家庭教師に、大使が「夢は誰しも見るもの、あなたなくして息子の将来はない」という場面がある。
甘いと言えば甘いが、人種は違っても人間同士として、”通じ合う時”が、締めくくりに描かれているのが、観終わった後の爽快感につながっているのだと思う。
デイヴイッド・ニーヴンが、飄々たるキャラクターの人物を好演していて、少年役の安藤一人もなかなかの健闘で、助けられて父親のところに駆け寄る前に、まずお辞儀をするところなど、実に微笑ましい。
このお辞儀というのは、西欧人にとっては余程、奇異に映るのか、魅力的なあいさつの方法に見えるものらしい。
三船敏郎は柄だけで演じている感じで、あまり演技のしようがなかったという印象だ。
彼の妻役で「サヨナラ」の高美似子が出演していたのも、映画ファンとしては実に嬉しいことだ。