サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコの紹介:2014年スペイン映画。多くのアーティストを輩出し水害に襲われたサクロモンテの丘、ロマの暮らしの中に根付いたフラメンコの源流にふれる。
監督:チュス・グティエレス 出演:クーロ・アルバイシン、アングスティアス・ルイス・ナバロ、ライムンド・エレディア・エレディア、ドロレス・フェルナンデス、マヌエル・サンティアゴ・マジァ、マリア・グアルディア・ゴメス、マヌエラ・フェルナンデス・エレディア、ほか
映画「サクロモンテの丘」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「サクロモンテの丘」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコの予告編 動画
映画「サクロモンテの丘」解説
この解説記事には映画「サクロモンテの丘」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコのネタバレあらすじ:起・ロマの洞窟
グラナダ、アルハンブラ宮殿の近くのロマの居住区、サクロモンテの丘は観光客がたくさんやって来る場所でもあった。しかし、1963年、水害でこの丘での伝統的な暮らしは消えてしまった。この地の伝統を残そうと、クーロ・アルバイシンは立ち上がった。
かつて、この地区の住民は皆貧しいが困難にある時は団結して暮らしていた。アルハンブラで花を売るものいれば、バルバライソと呼ばれる場所で砂金を取るもの、籠を売るもの、様々だった。母親たちは夜は踊りに行き。子供たちは大人たちの踊りを見て学び、観光客相手に踊って日銭を稼ぐ事もあった。その多くはこの地を訪れる金持ち達が開くパーティーで踊り、酒や食事にありついた。
サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコのネタバレあらすじ:承・アーティストを輩出した丘
中には踊りの才能を見いだされ、ニューヨークや、ストックホルムのオペラ座でスペイン人役を任せられ成功を治め、また、自らこの地を離れ、各地を周り成功し帰ってくる者もいた。元々は、観光に来る要人や芸術家たちに踊りを見せたのが始まりで、ショーとして需要があると気づきサンブラというショーをはじめた。その時、振付が必要となり、フラメンコが生まれた。
戦後の困窮時代、子供を手伝わせるしかなかった親たちが子供を踊らせた。外国人観光客来ると呼び出され、サンブラで踊れば当日か後日にギャラを貰った。また撮影のために連れ出した観光客からはチップを貰う事もあった。ハリウッドスターをはじめとしたお金持ちが大枚を払っていった。
サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコのネタバレあらすじ:転・伝統の断絶
評判が名声をもたらし、昔は貧困と飢えに苦しんでいた彼らの暮らしぶりも豊かになった。映画の撮影にも使われるサクロモンテは、皆、飲み、食べ、自由奔放な地域だった。子供達は、サンブラで見よう見真似で踊りを始め、自力で覚えた。自然に踊り始める。アントニオ・ガデスをはじめサクロモンテ出身の著名な踊り手やアーティストはたくさんいる。
しかし、1963年に悲劇が起きた。雨が四、五ヶ月カ月続き、丘の上の方の洞窟は崩れた。天井からは泥水が漏り、サクロモンテの丘は終わる寸前だった。当局が当時全員を退去させ、スラムのようなバラックに移した。そこで暮らし方と、フラメンコの伝承が失われた。サクロモンテ地域の荒廃が始まった。洞窟には誰も住んでおらず。サンブラも下火に。みんなサクロモンテから遠い別の場所に住み、違う職に就いた。そのせいでさらに伝統は失われた。グラナダに宴会場ができると観光客も来なくなり地域は伝統はほぼ失われた。
サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコの結末:フラメンコの復興
活気をとりもどしたのは70年代。近代化し、学生が来るようになり、洞窟はバルになった。しかし、サクロモンテから洞窟の本質が奪われてしまった。人の住んでいない洞窟は売られた、外国人が別荘にした。文化を伝承しなければならない洞窟は、自然な暮らしを求める者のベットタウンになった。
70~80年代フラメンコは死んでいた。そこで初めての歌曲集を書き始め、新世代にも教え始めた。新しい世代の者も今ではショーで歌っている。ロイヤルアルバートホールで踊った者も、歌劇場や、世界中を巡った踊り子もこの地に戻ってきた。フランコ政権時、フランコの前で歌い、政治利用されることもあった。常に有名な踊り手がたくさんいて、その多くは丘を出て行きその先で成功を納めた。
以上、映画「サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコ」のあらすじと結末でした。
サクロモンテの丘 ロマの洞窟フラメンコのレビュー・考察:音楽に回帰する
ヨーロッパ各地に点在するロマ達。いつの時代でも、どこの地域でも迫害の歴史を多く持つ彼らが成功し、後世に残す伝統として確立したフラメンコ。水害によって風前の灯となり、消えていく伝統でなく、自分たちで残そうとする姿は、音楽や踊りと切り離す事のできないロマの血のなせる技のように思えた。口伝に頼っていたフラメンコの歌曲集を作り、文書として残したという点も意味があることだと思う。
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