サタデー・ナイト・フィーバーの紹介:1977年アメリカ映画。ジョン・トラボルタの出世作にして全世界にディスコブームを巻き起こした青春映画です。週末のダンスだけが人生の全てだった青年が、年上の女性と出会ったことをきっかけに大人の男へと変貌していく姿を描いています。
監督:ジョン・バダム 出演者:ジョン・トラボルタ(アンソニー・“トニー”・マネロ)、カレン・リン・ゴーニイ(ステファニー・マンガーノ)、ドナ・ペスコウ(アネット)、バリー・ミラー(ボビーC)、ポール・ベイブ(ダブルJ)ほか
映画「サタデー・ナイト・フィーバー」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「サタデー・ナイト・フィーバー」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「サタデー・ナイト・フィーバー」解説
この解説記事には映画「サタデー・ナイト・フィーバー」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
サタデーナイトフィーバーのネタバレあらすじ:起
ニューヨーク・ブルックリンのペンキ屋で働く青年トニー(ジョン・トラボルタ)。父フランク(ヴァル・ビソリオ)は失業中で、母フロー(ジュリー・ボヴァッソ)と喧嘩ばかりしていました。トニーの兄フランクJr.(マーティン・シャカー)は聖職者になっており、それだけが家族の唯一の自慢でした。そんな暮らしにうんざりしているトニーの唯一の生きがいは、仲間のボビーC(バリー・ミラー)、ダブルJ(ポール・ベイブ)、ジョーイ(ジョセフ・カリ)、ガス(ブルース・オーンスタイン)らと共に週末のディスコでダンスを踊り明かすことだけでした。ある土曜の夜、いつものように仲間たちとディスコに向かったトニーは、フロアで華麗なダンスを魅せる年上の女性ステファニー(カレン・リン・ゴーニイ)に心を奪われます。その後トニーはダンスパートナーのアネット(ドナ・ペスコウ)から次のダンスコンテストで組もうと持ち掛けられ、OKはしたもののダンス以上の関係はなしということにしました。
サタデーナイトフィーバーのネタバレあらすじ:承
仕事ではトニーは他の店に引き抜かれそうになり、ペンキ屋の店主フスコ(サム・コッポラ)から4ドルの昇給を告げられて大喜びしますが、父からは低い金額だとバカにされてしまいます。その後、ダンススタジオでアネットと一緒に練習をしたトニーは、その場にステファニーがいることに気づき、アネットを帰らせてステファニーに声をかけるも軽くあしらわれてしまいます。家に帰ると、聖職者を辞めた兄フランクが家に戻ってきていました。落ちこぼれは自分だけではなかったと嬉しくなったトニーはダンススタジオのステファニーの元に行き、ダンスコンテストで組むことを持ち掛けますが、下町育ちの若造とマンハッタンで働く洗練されたステファニーとでは全く会話が噛み合いませんでした。とりあえずダンスのパートナーだったらなってやっても良いとステファニーに言われたトニーでしたが、そこにガスがプエルトリコ人に襲撃されたという知らせが飛び込んできました。
サタデーナイトフィーバーのネタバレあらすじ:転
アネットに別のパートナーと組むと告げたトニーはフランクを連れてディスコに向かい踊り明かしました。フランクの元にボビーCがやってきて、恋人を妊娠させてしまったことで相談してきましたがフランクは逃げ道はないと忠告しました。ステファニーが現れないことにやきもきしていたトニーはアネットに誘われ、車の後部座席で情事に及ぼうとしましたが彼女が避妊していないため断念、仲間たちと共にマンハッタンとブルックリンを結ぶ橋ではしゃぎました。翌日、フランクは家に聖職者の服を置いて旅立っていきました。後日、ステファニーの引っ越しの手伝いをしたトニーは、引っ越し先のマンハッタンのアパートにステファニーの元恋人がいたことから口論となり、トニーは彼女を慰めるために橋に行き、心を通わせ合いました。
サタデーナイトフィーバーの結末
遂にダンスコンテストの日がやってきました。トニーとステファニーは息の合ったダンスを披露、その場を魅了しますが、その直後に踊ったプエルトリコ人カップルのダンスに圧巻されました。結果はトニーとステファニーの優勝でしたが、この結果はプエルトリコへの差別と感じて納得がいかないトニーはトロフィーと賞金をプエルトリコ人カップルに手渡しました。トニーはステファニーに迫るも拒否され、アネットは自分への腹いせに車の中で仲間たちと愛し合う様を目の当たりにします。やがて車は橋に差し掛かり、車を降りて橋ではしゃぎ出したボビーCは誰も自分の悩みを聞いてくれなかったと言ったその時、足を滑らせて川に転落してしまいます。警察から話を聞かれたトニーは一人その場を立ち去り、ステファニーの元へ向かいました。トニーはステファニーに、仲間たちと決別すること、家を出て新しい仕事を探すことを告げ、二人は改めて友達から始めようと言い出しました。
“ニューヨークの下町にあるディスコでの、週に一日だけの熱狂という、しがない若者たちの小社会を描いた「サタデー・ナイト・フィーバー」”
この映画「サタデー・ナイト・フィーバー」は、原作がニック・コーンのルポルタージュ小説「新しい土曜の夜の部族儀式」で、ニューヨークのブルックリンの塗装店で働くイタリア系の19歳の若者、トニー・マネロ(ジョン・トラボルタ)のただ一つの生き甲斐は、土曜の夜、ディスコでの音楽とダンスでした。
一人では寂しい、同じような仲間が集まり、徒党を組み顔を利かす—-。ディスコはいわば、このような小部族の週一回迎える儀式のお祭りの場所みたいなものでした。
トニーの父親は失業中で、失業保険と母親のアルバイト収入での苦しい生活は、家庭内での争いが絶えないという状況でした。
そして、両親が自慢していた兄のカトリック神父(マーティン・シェイカー)は、親に強制されたその仕事に疑問を覚えて、その職を辞めてしまい、家庭内の暗さは増す一方でした。
しかし、そんな中、トニーは土曜の夜のためだけに毎日を刹那的に生きています。そして、コンテストのパートナーに選んだ年上の女性、ステファニー(カレン・ゴーニー)に魅かれていきます。
マンハッタンからブルックリンに移り住んで、年上の作曲家の愛人として、背伸びした生活を始めた彼女にとって、トニーは単なる気休めの対象でしかありません。
この映画の結末が、トニーが仲間を見限って、気取ったステファニーに真面目な交際を求める事で、今迄の生活から抜け出せるかのような”甘い希望”で終わっているのは、少々、安易すぎるような気がします。
むしろ、ブルックリンとマンハッタンを結ぶベラザノ橋、この映画では下町と山の手を結ぶ象徴的な意味を持っているこの橋から、仲間のボビー(バリー・ミラー)が、故意か過失か、落ちて死ぬところで終わらせるべきだったと思います。
ディスコのスターであるトニーに比べてボビーは、ついていない人間です。ガールフレンドを妊娠させてしまい、中絶も出来ず、結婚に悩んできた彼は、高い橋桁の上で、トニーに言います、「今迄、話しかけてもくれなかった。なぜ一度も電話してくれなかった!」と。
強い仲間意識と裏腹の孤独感。
警官の質問にトニーは、「自殺じゃない自殺だってあるさ」と答えて、仲間から反対の方向に歩み去って行きます。
このシーンで、この映画はエンドとすべきだったと思います。
「皆が誰かに当たり散らして、お荷物を人におっつけて逃げようと躍起になっている。失業者は妻に、妻は神父に、そして俺たちだってプエルトリカンに—-」と、トニーは心の中に淀んだ鬱憤を吐き出します。
これをテーマにして一貫して描けばよかったのにと思わずにはいられませんでした。
主演のジョン・トラヴォルタは、当時「トラヴォルタ・フィーバー」の見出しで、タイム誌の表紙を飾ったほどで、1970年代の若者の最先端をいくスターといわれ、1960年代の「イージー・ライダー」(デニス・ホッパー監督)のような破滅的な暗さは微塵もなく、「ロッキー」(ジョン・G・アヴィルドセン監督)のシルヴェスター・スタローンのような爽やかな明るさを持ち、しかも、ストイックな面もあり、どこかとらえどころのない雰囲気を持っている俳優だと思います。
この映画で最も胸が高鳴り、ワクワクするシーンは、映画の冒頭、ペンキの缶を抱えたトラボルタが、ビー・ジーズの「ステイン・アライブ」のリズムをバックに、下町の雑踏の中を颯爽と歩き続けるシーンで、このリズミカルな躍動感がとても素晴らしかったと思います。
バリー、ロビン、モーリスのオーストラリア出身の三兄弟のビー・ジーズの「恋のナイト・フィーバー」、「愛はきらめきの中に」等のごきげんなヒット曲が全編を流れ、心地よい気分に浸れ、音楽はハードなディスコ・サウンドというより、ソフト・アンド・メロウの柔らかい感じがしました。