ソラリスの紹介:2002年アメリカ映画。タルコフスキーの名作惑星ソラリスの原作を、ソダーバーグとジェームス・キャメロンが再び映像化。望むものを見ることが出来る夢の惑星、ソラリスに囚われたクルー達の葛藤を描く。
監督:スティーブン・ソダーバーグ 出演者:ジョージ・クルーニー、ナターシャ・マケルホーン、ジェレミー・デイビス、ビオラ・デイビス、ウルリッヒ・トゥクール ほか
映画「ソラリス」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ソラリス」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ソラリスの予告編 動画
映画「ソラリス」解説
この解説記事には映画「ソラリス」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ソラリスのネタバレあらすじ:惑星ソラリスからの救援要請
精神科医クリス・ケルヴィンの元へ惑星ソラリスへ調査に行ったジバリアンから救援要請が入る。それはビデオレターで、要領を得ないものだったが、ジバリアン曰く、ここを離れて地球へ帰還した方がいいのだが、クルーは誰も帰還しようとしないとの事。現在は政府ではなく民間が管轄しているソラリスの調査施設へ、クリスは一人で乗り込むことに。薄紫色の靄に覆われたソラリスの軌道上にあるステーションについてみると、迎える人は誰もおらず、床には点々と血痕が残っていた。不審に思ってステーションの中を探索すると、冷凍室に痛いが二つ、その一つはビデオレターを送ってきたジバリアンだった。他のクルーを探していると、自室で音楽を聴いているスノーを発見。彼曰く、床の血痕はクタールのもの、リースは姿を消した、ジバリアンは自殺、ゴードンは自室にこもりきり、との事。詳細を聞こうとするが、言っても分からない、体験してみないと理解できないと濁されてしまう。ゴードンの元を訪れようとすると、部屋に入ってこようとしないという約束をさせられた上で話を聞くことが出来たが、やはり雲を掴むような話だった。しかし、入ってはならないと言う彼女の部屋からは物音が絶えなかった。そして、クリスはここにいるはずのない子供を目撃する。それを追っていくが、行き止まりで消えてしまった。
映画ソラリスのネタバレあらすじ:妻は蘇えったのか?
何が起きているのか理解できないまま眠りに就くと、妻のレイアと出会った時の夢、ステーション自分の部屋の中に彼女がやってくる夢を見る。そして目が覚めると、レイアが同じベッドにいた。彼女にどこにいるのか聞くと、家だと言う。そして家の描写をさせるとそれはたしかに自分と彼女のいたアパートだった。クリスが他のクルーに話してくるといって離れようとすると、彼女は悲鳴を上げて嫌がった。クリスは困惑するが、ステーションを案内する振りをして、彼女をポッドに入れると、そのまま宇宙へと切り離してしまう。スノーにそのことを話すと彼はそれを「客」と言った。スノーには弟の姿としてやってきて、今はもういない。ジバリアンのところへは地球にいる息子の姿として、ゴードンの所にも来ているが彼女が扉を開けないので何がいるのかは不明。あれが何なのか問い詰めるが、ソラリスが関係している事以外はわからなかった。
そして、再び眠りに就くと、過去の夢を見る。レイアは情緒不安定な女性で、それを承知でクリスは何度もプロポーズをしていた。目が覚めると、ベッドにはレイアがいた。クリスは頭を抱える。そして、レイアの姿をしたそれはレイアの記憶を辿るが、記憶はあるがそれは自分が体験した記憶ではないと絶望する。彼女は、クリスとレイアの記憶が作り上げたものであり、レイアが蘇えったわけではないと。
映画ソラリスのネタバレあらすじ:去来する記憶と罪悪感
スノーにレイアがやって来たことを告げると、ゴードンと会わせてみようかと提案される。はたして対面してみると、ゴードンはいたって冷静で、ソラリスからの「客」は粒子で出来ていて、分解する装置もすでに作っていた(すでに彼女の所へ来た者で証明済み)。クリスはレイアを地球に連れて帰ろうと提案するが、ゴードンはソラリスが送り込んできたものは必ずしも友好的なわけではない、地球に連れて帰ったら何が起きるか分からないと反対、そして、連れて変えるならもう一人のポッドで宇宙に廃棄してしまったレイアも今なら回収できるから二人連れて帰ればと言い放つ。クリスがレイアすでに葬っていた事を知ったレイアはショックを受ける。そして、クリスが寝ている間に、液体酸素を飲み、自殺を計る。ゴードンとスノーを呼びすでに息絶えたレイアを開放していると、それは蘇生する。その様を見ていたゴードンとスノーは部屋を出て行く。クリスは、かつてレイアが自分の子供を堕胎した事を責め、彼女を自殺に追いやってしまった罪悪感からか、レイアに固執し始める。それとは逆に、レイアは、死にたがり、クリスが持っていた故人であるレイアの遺書を見て、ゴードンに自分を消滅させる装置にかけてくれるように頼みに行く。
映画ソラリスの結末:決断の時、地球に帰還するのか?
眠りから覚めるとレイアがおらず、ステーションの中を探し実験室のゴードンに詰め寄ると、彼女から頼みに来たので装置を使ったと言う。クリスは殺したと言うが、ゴードンはあれは人間ではない、殺人ではないと言い返す。冷凍室までゴードンを追い詰めると、天井に血痕があることに気がつく。板を外してみると、そこにはスノーの死体が隠されていた。スノーは自分の弟が来たと言っていたが、それは嘘で、本当のスノーを殺してソラリスからの「客」が、スノーに成り代わってそこにいたことに気づく。ゴードンはスノーを装置にかけて消そうと言うが、そんな暇はもうないと、スノーの姿をしたそれは言う。ステーション自体がソラリスの引力にひきつけられていて、動力はすでに装置で使い切ってしまって立て直す術もない、生き残りたければ脱出ポッドで地球に帰るしかなかった。ゴードンとクリスはスノーを残し二人で帰ることにする。
ふたたび、地球のクリスのアパート。いつものように食事の準備をしようとしてうっかり指を切ってしまうが、水で洗うと傷口はきれいに塞がってしまう。クリスは結局ステーションから脱出せずにそのままソラリスに飲み込まれたのだった。クリスであってクリスでないものはレイアであってレイアではないものとソラリスで地球の夢を見続ける。
以上、映画ソラリスのあらすじと結末でした。
映画ソラリスについて:鏡としてのソラリス
この作品の中では、過去の描写と、現在の苦悩がうまくシンクロして描かれている。情緒不安定で自殺をしてしまったレイアは、その記憶を辿るうちにやはり情緒不安定になり自殺を試みる(しかし人間のやり方では死ぬ事は不可能)。クリスは、かつてレイアを自殺に追いやってしまった罪悪感から、レイアを何とか生かそうとする。ゴードンが「ソラリスは鏡」という言葉を零すが、まさに自分の願望をそのまま映して突きつけてくるソラリス。おもしろいのはソラリスによって生み出されたレイアもまた、自分を生み出した記憶が自分の記憶ではなく、自身の自我の所在を探して不安定になる。スノーの生み出したソラリスの「客」のしたたかさとはまた違った側面が見えてくる。
しかし、単なる鏡ではなく、成長する鏡で、写真も絵も飾ってない部屋だとレイアに指摘されたクリスの部屋だが、ソラリスに飲み込まれた後にソラリスの生み出したクリスがいる部屋には、レイアの写真が飾ってある。ソラリスという惑星自体が一つの生命体で、人の記憶を飲む込んでいるようにも思える。
“スティーヴン・ソダーバーグ監督が挑んだ、スタニスワフ・レムの原作小説「ソラリスの陽のもとに」の映画化作品 「ソラリス」”
惑星ソラリス。謎めいたこの星を探査中の宇宙ステーションで不可思議な事件が続発し、遂に地球との交信も途絶えてしまいます。
この謎を解明すべく派遣された心理学者クリス・ケルヴィン(ジョージ・クルーニー)が到着した時には、既に友人の姿はなく、残された二人の様子も何かおかしい—-。
一体、ここで何が起こっているのか?
実は、ソラリスというのは、人の心の奥底に秘められた人物を実体化させる力を持った惑星だったのです。
こうして、クリスの目の前にも、かつて自殺した妻のレイア(ナターシャ・マケルホーン)が現われ、次第にクリスの精神の平衡が失われていきます。
ポーランドのSF作家スタニスワフ・レムの小説「ソラリスの陽のもとに」を原作にした、アンドレイ・タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」に続く二度目の映画化作品ですが、タルコフスキーの「惑星ソラリス」が、未だにフリークの多い玄人好みの作品なだけに、スティーヴン・ソダーバーグ監督にとっては、かなりのプレッシャーを強いられるチャレンジだったと思います。
それでも、複雑怪奇なストーリーをことさらテンポ良く、シンプルに語ろうとする映画話術、そして表立った主張を抑制し、あくまで背景の舞台装置として納まっている未来世界のシャープな映像、時には脳波を癒し、時には刺激する音の使い方など、どこを取っても、ソダーバーグ監督の鋭いセンスが光っている作品だと思います。
タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」との大きな違いは、タルコスキー版にあった”哲学的な深みや科学と人間の理性の相克”といった主題が影を潜め、夢想的で通俗的な面が色濃く出た作品になっている事だろうと思います。
そして、このソダーバーグ版は、一種のラブ・ロマンスになっているような気もします。
その証拠に、クリスと妻との過去の経緯の紹介にかなりの時間が割かれているし、最終的には、恋愛において過去の喪失や悔恨が贖罪された後に、同じシチュエーションに置かれた人間が、同じ過ちを繰り返さないか、という極めてシュールな主題が突き付けられているのです。
以前に二人が過ごした時間が今、目の前で全く同じように繰り返されていく様を描いていくプロセスは、なかなかスリリングであり、宿命の厳しさをまざまざと見せ付けられる思いがしました。
ともあれ、タルコフスキー監督の「惑星ソラリス」を愛するファンの間では、こういった違いを良しとしないとする人たちが結構たくさんいると思いますが、しかし、ソダーバーグ監督が原作から取り出してきたのは、全く別のテーマであったというだけで、彼が描きたかった事については、ある程度、しっかりと描き込めていたのではないかと思います。
とにかく、あれもこれも描こうと欲張って、だらだらと長い作品になるよりは、よっぽどいいし、映画作家としてのポリシーが伝わってくる分、私は好きですね。
何より、多面的で豊かな問いかけを含む原作の小説の奥深さが、あらためて実証される結果になった事は、非常に良かったと思います。