砂漠の鬼将軍の紹介:1951年アメリカ映画。第二次世界大戦中、“砂漠の狐”の異名を持ち、連合軍を苦しめる戦功を挙げながらも、ヒトラー暗殺計画に加担したとして悲劇的な最期を遂げたドイツ軍の国民的英雄エルヴィン・ロンメル。戦後、ロンメルの死に疑問を抱いたイギリス軍将校デスモンド・ヤングが関係者などへの取材など真相を究明した手記『砂漠の狐ロンメル』を映画化した戦争映画です。
監督:ヘンリー・ハサウェイ 出演者:ジェームズ・メイソン(エルヴィン・ロンメル)、セドリック・ハードウィック(カール・シュトローリン)、ジェシカ・タンディ(フラウ・ルーシー・ロンメル)、レオ・G・キャロル(ゲルト・フォン・ルントシュテット)、ルーサー・アドラー(アドルフ・ヒトラー)、エヴェレット・スローン(ヴィルヘルム・ブルクドルフ)、ドン・デレオ(エルンスト・マイゼル)、リチャード・ブーン(ヘルマン・オドリンガー)、エドゥアード・フランツ(クラウス・フォン・シュタウフェンベルク)、ウィリアム・レイノルズ(マンフレート・ロンメル)、デスモンド・ヤング(本人)、ナレーター:マイケル・レニー(ナレーション)ほか
映画「砂漠の鬼将軍」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「砂漠の鬼将軍」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
砂漠の鬼将軍の予告編 動画
映画「砂漠の鬼将軍」解説
この解説記事には映画「砂漠の鬼将軍」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
砂漠の鬼将軍のネタバレあらすじ:起
第二次世界大戦中の1941年11月10日、北アフリカ・リビア。イギリス軍はこれまで幾度となく連合軍を苦しめ、“砂漠の狐”との異名を持つドイツ陸軍元帥エルヴィン・ヨハネス・オイゲン・ロンメル(ジェームズ・メイソン)を暗殺すべく、コマンド部隊をドイツ軍司令部に送り込んで奇襲作戦を実行しましたが、ロンメルの暗殺には失敗しました。
1942年6月。ドイツ軍の捕虜となったイギリス軍の先任将校デスモンド・ヤング中佐(本人役)は、ドイツ軍士官から味方の砲撃を止めさせるよう命じられました。士官の国際協定に違反する横暴な態度を制止した司令官こそあのロンメルであり、ロンメルの戦術・戦法や態度に感銘を受けたヤングはロンメルに最敬礼をしました…。
…1944年10月、ロンメルは突然この世を去りました。ナチス・ドイツの公式発表は「戦場における名誉の死」というものでしたが、彼の死に疑念を抱いたヤングは戦後にロンメルの死の真相を探ることを決意、ロンメルの遺族や元関係者などの取材を行い、ドイツやイギリスの公式記録を調査していきました。
砂漠の鬼将軍のネタバレあらすじ:承
1942年10月。エジプト北部エル・アラメインではイギリス軍の猛攻が激しさを増すなか、持病のジフテリアの治療のため一時帰国していたロンメルは部隊を立て直すため急遽エジプトに戻りました。しかし、自軍は物資の補給が十分でないことに加えて、イギリス軍の巧みな戦術に翻弄されて苦戦を強いられました。
ロンメルは部隊の全滅を回避するためにやむなく一時撤退を決意しますが、そこに総統アドルフ・ヒトラー(ルーサー・アドラー)から最後まで戦えとの電文が届きました。ロンメルは電文を破り捨てると、ヒトラーの命令を無視して全軍に撤退を命じました。
ドイツに帰国し、再入院していたロンメルの元に妻ルーシー(ジェシカ・タンディ)と息子マンフレート(ウィリアム・レイノルズ)、旧友でシュツットガルト市長のカール・シュトローリン(セドリック・ハードウィック)の見舞いを受けました。
ロンメルは祖国のために命を賭けた兵士たちに対するヒトラーの非情な態度を批判、シュトローリンは国家の未来のためにはヒトラーを失脚させるしかないと伝えました。自身もナチスに監視される身であるシュトローリンは、ロンメルが国民的英雄でありながらもヒトラーの側近には嫌われていることから警戒するよう忠告しました。
1943年11月になると連合軍のヨーロッパへの攻勢はより一層強まり、療養から復帰したロンメルは大西洋防衛線の視察に赴きました。1ヵ月後、ロンメルは西方軍総司令官ゲルト・フォン・ルントシュテット元帥(レオ・G・キャロル)の元を訪れ、太平洋防衛線の防御の甘さを指摘しました。
ルントシュテットはヒトラーに従わねばならないもどかしさ、状況はもはや自分たちの思うようにはならないこと、そして自分も含めて皆ナチスの監視下に置かれていることをロンメルに伝えました。
砂漠の鬼将軍のネタバレあらすじ:転
1944年2月。自宅に戻っていたロンメルの元をシュトローリンが訪ねてきました。シュトローリンは軍の関係者や有識者たちがヒトラーの退陣を望んでいることを伝え、ナチスはたとえ愛国者であろうとも妻子を含めて守ってくれる保証はないとロンメルに決起を促しました。
ロンメルはヒトラーや取り巻きらを嫌う気持ちはあるものの、いち軍人として使命を全うする考えを示しましたが、シュトローリンはロンメルをナチスの操り人形に成り下がったとして臆病者呼ばわりしました。ロンメルは身の振り方を深く悩みながらも、ルーシーに励まされて戦場に向かいました。
1944年6月6日。連合軍は遂にノルマンディー上陸作戦を実行、本格的にヨーロッパ侵攻を開始しました。司令部に入ったロンメルでしたが、侵攻が始まったにもかかわらず軍の指揮権を手に入れられない事実を知り、遂に意を決してヒトラーを失脚させる計画に身を投じる決意を固めました。
ロンメルはルントシュテットに賛同を求めました。ルントシュテットは“革命”を起こすには年を取り過ぎたとして申し出を断りましたが、軍部上層部のやり方に完全に嫌気が差していたルントシュテットは自分は罷免されるだろうと覚悟を決め、ロンメルに幸運を祈ると別れを告げました。
連合軍の進撃は留まることを知らず、次第にドイツの敗色は濃厚となっていきました。ロンメルは“ヒトラー暗殺計画”に参加する同志から準備が整ったことを知らされる一方、ヒトラーに面会して戦況の圧倒的不利を訴えました。
しかし、ヒトラーは革命的な新兵器でロンドンを爆撃して反撃に打って出るという突拍子もないことを言い出し、もはや完全にヒトラーを見限ったロンメルは表向きでは前線の立て直しを図りつつ裏ではヒトラー暗殺計画の実行を決意しました。
しかし、その矢先の1944年7月17日、ロンメルは田舎道を移動中に敵機の攻撃を受け、頭部に重傷を負ってしまいました。
砂漠の鬼将軍の結末
1944年7月20日。ヒトラーが東プロイセン・ラシュテンブルクの。総統大本営で会議を開くことから、ヒトラー暗殺計画の賛同者たちはこの日を決行日と決めていました。
計画参加者のクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐(エドゥアード・フランツ)は会議に出席するフリをして会議室に爆弾を仕掛け、会議室の爆破は成功したもののヒトラーは奇跡的に軽傷で済んでしまいました。ヒトラー暗殺計画は無残にも失敗し、加担した者たちは次々と逮捕されて処刑されていきました。そして傷の癒えたロンメルもまた世間から無視されて孤立していきました。
1944年10月13日。ロンメルはヒトラーからの使者であるヴィルヘルム・ブルクドルフ将軍(エヴェレット・スローン)とエルンスト・マイゼル将軍(ドン・デレオ)の訪問を受けました。ブルクドルフはロンメルの輝かしい軍歴と武勲を称えたのち、ロンメルは反逆罪で起訴されたことを伝えました。ロンメルは法廷で証言すると伝えましたが、ブルクドルフは既に判決は決まっており、ロンメル自身の名誉と家族を守るためには自決しかないと促しました。
ロンメルは家族を守るために自決を受け入れ、副官のヘルマン・オドリンガー大尉(リチャード・ブーン)に家族を託し、ルーシーとマンフレートに別れを告げると、死地へ向かう車に乗り込みました…。
ロンメルの宿敵だったイギリス首相ウィンストン・チャーチルはロンメルをこう振り返りました。「自分たちを苦しめはしたが、彼は賞賛に値する。また、尊敬するのは、国家への忠誠心を貫く軍人でありながらヒトラーを憎み、その暴虐を阻止し、祖国ドイツを救うための計画に加担し、命を捨てたことだ」
以上、映画「砂漠の鬼将軍」のあらすじと結末でした。
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