ポップスが最高に輝いた夜の紹介:2024年アメリカ映画。アフリカの飢餓救済を目的とした楽曲『ウィー・アー・ザ・ワールド』。この曲をレコーディングするため、一流アーティストが一堂に会します。与えられた時間は一晩。創造性に富んだアーティストたちを一つのチームにまとめる、この歴史的な瞬間の様子をおさめた映像と、参加アーティスト等のインタビューをもとに描かれたドキュメンタリー映画です。
監督: バオ・グエン 出演: ライオネル・リッチー、ハリエット・スタンバーグ、ウェンディ・リース、ラリー・クライン、シンディ・ローパー、ブルース・スプリングスティーン、ケニー・ロギンス、ウンベルト・ガティカ、ヒューイ・ルイス、スモーキー・ロビンソン、ボブ ディッキンソン、ディオンヌ・ワーウィック、シーラ・E、ケン・ウー、ほか
映画「ポップスが最高に輝いた夜」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ポップスが最高に輝いた夜」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「ポップスが最高に輝いた夜」解説
この解説記事には映画「ポップスが最高に輝いた夜」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ポップスが最高に輝いた夜のネタバレあらすじ:起
ハリー・ベラフォンテはハリウッドの絶対権力者でレジェンド。そして社会活動家という一面も持っています。そんなハリーは、世界の貧困問題に目を向けます。当時のアフリカは壊滅的な食料不足だったため、飢餓に苦しむ人々であふれていました。そこで、飢餓救済を目的とした音楽のプロジェクトが始まります。
このプロジェクトで名前があがったのは、ライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンでした。その後、スティーヴィー・ワンダーに作曲を依頼しようとしましたが、スティーヴィーのあまりの忙しさに、プロジェクトの話をすることすらできませんでした。
そのため、マイケルとライオネルで作曲をする必要がでてきます。彼らは古くからの友人でした。
このプロジェクトの関係者たちは、黒人だけではなく白人のアーティストも誘ってさらに盛り上げようと、様々な一流アーティストにコンタクトを取り続けます。ただアーティストたちのスケジュールは、数ヶ月先まで埋まっていることが当たり前だったため、日程調整は困難を極めます。
当時はAМA(アメリカン・ミュージック・アワード)が大盛況でした。しかも、その年の司会はライオネルが務めることが決定しています。この会場に多くの一流アーティストがロサンゼルスに集まります。プロジェクトのレコーディングをするならこの日しかチャンスはありません。
ポップスが最高に輝いた夜のネタバレあらすじ:承
1985年1月、AMA まで1ヶ月弱。ブルース・スプリングスティーンにも是非参加してもらいたかった一同でしたが、彼はAMAに出る予定はなく、前日までツアーを予定していました。ダメもとでオファーをしてみると、プロジェクトの参加に前向きな気持ちを示してくれました。
1985年1月18日、シンディ・ローパーやボブ・ディランなど、多くの一流アーティストが参加することが決まり、ライオネルたちは作曲作りにプレッシャーがかかります。AMA は翌週に控えていましたが、歌詞はまだ決まっていません。
作曲作りのレコーディング中に、突如としてプロジェクトの噂を聞きつけたスティーヴィーが現れ、是非参加したいとのこと。
レコーディングまであと4日。ようやくカセットテープが完成し、それぞれの参加アーティストに送ります。
レコーディング 2日前。ライオネルたちはソロパートを歌う人を選定するため、それぞれの声の特徴を研究し、マッチするパートを選びます。
ポップスが最高に輝いた夜のネタバレあらすじ:転
1985年1月28日レコーディング当日。ライオネルはレコーディングの他に、AWAの司会もやらなくてはならなく、忙しい1日を過ごします。ライオネルは司会をしながら6つの賞を受賞します。
番組が終わると、ゾクゾクとビッグアーティストがスタジオに集結をします。レコーディングを始める前に、このプロジェクトの発起人の1人ゲルドフから、エチオピアの飢餓の状態が説明されます。その話を聞いたアーティストたちは、今回の目的を再認識して気持ちが引き締まり、スタジオに緊迫感が漂います。
参加アーティストは47人。彼らをまとめ上げることは、想像以上に大変な作業でした。
突如としてスティーヴィーが、アフリカに向けるのであれば、歌詞にスワヒリ語が必要だと言いだします。それを聞いた一部のアーティストは、その言語で歌えないからとスタジオを立ち去ります。このレコーディングは一晩で終わらせなくてはなりません。このペースで進むと、時間が足りなくなります。
他にも、レコーディング中に歌詞もたくさん変わり、アーティストたちは困惑します。様々なドタバタがありましたが、サビ部分のレコーディングは無事終わります。
ポップスが最高に輝いた夜の結末
次はソロのレコーディングです。この時点で時間はかなり押していました。予定のないハーモニーをしたり、雑音が入ったり、ソロレコーディングも思うように進みません。
このレコーディング中、終始戸惑っていたボブ・ディランは、ソロでどのように自分の個性を出して歌えばいいか悩んでいましたが、スティーヴィーが助けてくれたことで解決します。
ツアー終わりで声が枯れており、本調子ではなかったブルースでしたが、見事ソロパートを歌い上げます。
明け方を迎え、レコーディングは無終了をします。
それから3ヶ月後、世界中の人々が、このプロジェクトでレコーディングした『ウィー・アー・ザ・ワールド』に夢中になりました。このシングルは発売から1週間で100万枚を完売し、史上最速で売れたシングルとなりました。『ウィー・アー・ザ・ワールド』は1986年に最優秀楽曲賞、最優秀レコード賞、グラミー賞の3冠を達成し、AWAでは特別賞を受賞しました。この曲によって集められた寄付金は、2024年時点で約1億6000ドルとされており、現在も寄付が増え続けています。
以上、映画「ポップスが最高に輝いた夜」のあらすじと結末でした。
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