キリング・フィールドの紹介:1984年イギリス映画。1970年代のカンボジアで勃発した内戦と、その後に誕生したポル・ポト独裁政権による圧政と虐殺の暗黒時代を、アメリカ人ジャーナリストと現地の助手の視点から描いた戦争ドラマです。アカデミー賞で助演男優賞・編集賞・撮影賞の3冠を受賞しています。
監督:ローランド・ジョフェ 出演者:サム・ウォーターストン(シドニー・シャンバーグ)、ハイン・S・ニョール(ディス・プラン)、ジョン・マルコヴィッチ(アラン)、ジュリアン・サンズ(ジョン)、スポルディング・グレイ(キンケード)ほか
映画「キリング・フィールド」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「キリング・フィールド」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「キリング・フィールド」解説
この解説記事には映画「キリング・フィールド」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
キリングフィールドのネタバレあらすじ:起
1973年8月、ニューヨークタイムズの記者シドニー・シャンバーグ(サム・ウォーターストン)は特派員として、戦乱の最中にあるカンボジアの首都プノンペンに派遣されます。現地では、地元新聞社の記者ディス・プラン(ハイン・S・ニョール)が通訳兼ガイドとしてシャンバーグの助手に就きました。当時のカンボジアはアメリカの支援を受けるロン・ノル政権と、ポル・ポト率いる革命派勢力「クメール・ルージュ」との内戦が激化していました。やがて内戦はクメール・ルージュが優勢となり、アメリカ軍は撤退に追い込まれ、滞在する外国人は次々と国外へ脱出していきました。シャンバーグはプラン一家をアメリカに亡命させようとしますが、プランは自分だけカンボジアに残って取材に協力するといい、妻子のみがカンボジアを脱出してアメリカに渡りました。
キリングフィールドのネタバレあらすじ:承
1974年4月、クメール・ルージュは遂にプノンペンを制圧、ポル・ポトによる独裁政権が誕生しました。これはカンボジアにとって想像を遥かに絶する地獄の始まりでした。シャンバーグとプラン、アメリカ人カメラマンのアラン(ジョン・マルコヴィッチ)、イギリス人記者のジョン・スウェイン(ジュリアン・サンズ)はフランス大使館に避難し、国外脱出の準備を開始します。シャンバーグらはプランも一緒に脱出させようとパスポートの偽造を試みますが、質の悪い紙を使ったために写真は黒く変色してしまい偽造は断念。空港でプランは笑顔で「あなたは私の兄弟」と言い、脱出するシャンバーグたちを見送った後、クメール・ルージュによってどこかへ連行されていきました。
キリングフィールドのネタバレあらすじ:転
ニューヨークに戻ったシャンバークは、カンボジアの取材記事でピューリツッァー賞を受賞していました。しかし、シャンバーグにとってはカンボジアに残してきたプランの事がどうしても気がかりでした。この賞はプランを置き去りにして受けたものだと批判を浴びたシャンバーグは自責の念に駆られ、何としてもプランを探し出そうとします。一方、プランはクメール・ルージュが監視する集団農場で強制労働を強いられていました。ポル・ポトの恐怖政治は家族の絆さえも否定され、数多くの人々は何の理由もなく虐殺されていきました。特に教師や医者、新聞記者などの知識人への弾圧は常軌を逸したものでした。ある日、激しい雨の中で極度の疲労から倒れ込んだプランは、一人の少年に助けられて集団農場から脱走します。
キリングフィールドの結末
プランが逃走の最中で見たものは、ポル・ポト政権により虐殺されたおびただしい数の人骨でした。やがてプランはある労働集団の監督に助けられ、彼の身の回りの世話をするようになります。プランは監督から事情を聞かれますが、知識層が虐殺される様を見てきたプランは口をつぐみます。しかし、プランはラジオの外国語放送を隠れ聞いているところを目撃されてしまいます。しかし監督はプランを拘束するどころか、自分の身になにかあったら子供を連れて逃げるよう言われます。数日後、監督はクメール・ルージュの横暴を止めようとして殺害され、プランは子供や仲間たちと共に脱走します。途中で仲間たちは次々と命を落とし、子供も地雷によって死んでしまいます。1979年、ようやくプランはタイ国境の難民キャンプに辿り着きました。知らせを受けたシャンバーグは急いで現地に飛び、遂にプランとの再会を果たしました。謝罪するシャンバーグにプランは笑顔で「あなたは私の兄弟」と言いました。ラジオからはジョン・レノンの「イマジン」が流れていました。
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