ライトハウスの紹介:2019年アメリカ映画。孤島にやってきた2人の灯台守。外界から隔離され、しだいに狂気と幻想に侵されていく。物語は1801年にイギリス・ウォールズで実際に起きた事件を基に、神話や古典文学のエッセンスを織り込み謎めいた世界を描く。アカデミー賞撮影賞にノミネートされ、カンヌ国際映画祭でのプレミア上映では観客より大喝采を浴びた作品。
監督:ロバート・エガース 出演:ウィレム・デフォー(トーマス・ウェイク)、ロバート・パティンソン(イーフレイム・ウィンズロー)、ワレリヤ・カラマン(人魚)ほか
映画「ライトハウス」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ライトハウス」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ライトハウスの予告編 動画
映画「ライトハウス」解説
この解説記事には映画「ライトハウス」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ライトハウスのネタバレあらすじ:起
荒れ狂う海に光を照らす孤島の灯台。老いた男(ウィレム・デフォー)と若い男(ロバート・パティンソン)が4週間の灯台守として島に上陸しました。
老いたベテラン灯台守の男は、夕食の席で酒を汲み乾杯をしようとしますが、新人である若い男は勤務中の飲酒は禁じられているとこれを断りました。気に入らない老いた男は悪態をつきます。
常に酒を飲んでいる老いた男は、貯水槽の掃除、真鍮磨き、屋根板の修理など次々と若い男へ重労働を命令し、自分は灯台の最上階の灯りを看守する仕事だけをやりました。灯台の灯りを見てみたいと若い男が言っても決して近づけさせませんでした。
ある日、若い男が外で仕事をしていると一羽のカモメが執拗にまとわりついてきました。イラ立った男はカモメを威嚇しました。その日の夜、老いた男は「カモメに手を出すと呪われる」と忠告しました。
若い男はベッド近くに人魚の人形を見つけ、それを握りしめながら自慰をしました。
ライトハウスのネタバレあらすじ:承
次の日、老いた男は、若い男に灯台をペンキで塗るよう命じました。若い男は言われるままロープで吊られペンキを塗っていましたが、落下してしまいました。
その夜、2人は共に酒を飲みました。若い男は、「イーフレイム・ウィンズロー」と初めて名乗りました。
老いた男も自らの過去について語りました。彼は、長いこと船乗りをしていましたが、足を怪我してしまい灯台守になったとのことでした。
またある日のこと。ウィンズローが貯水槽を掃除していると、またカモメが威嚇しにやってきました。ウィンズローは怒りに身を任せたまま、カモメを岩に滅多打ちし殺してしまいます。ちょうどその頃、風向きが変わり厚い雲に覆われます。
ライトハウスのネタバレあらすじ:転
任務の4週間が経ちましたが、同時に嵐に見舞われ迎えの船はやってきません。灯台に立ち往生することとなった2人は、酒を浴びるように飲み泥酔しました。老いた男は自らを「トーマス・ウェイク」と名乗りました。
嵐はさらにひどくなります。ウィンズローとウェイクはさらに酒浸りになり、時に踊り、時に取っ組み合いをしながら毎日を過ごしました。
酔ったウィンズローは、自分の本当の名前はトーマス・ハワードだと言いました。昔、同僚だったウィンズローという男はすでに死んでいることを明かしました。
その後、ウィンズローは人魚の人形で自慰行為をしていると、岩場に寝そべる人魚とセックスする幻想をみました。怯えたウィンズローは、嵐の中ボートで逃げ出そうとしますが、ウェイクにつかまりボートを壊されてしまいました。
酒が切れ、灯油を飲みはじめた2人は、錯乱状態になっていきます。
ライトハウスの結末
泥酔から目が覚めた朝、ウェイクの日記を見つけたウィンズローは、ウェイクが明かした過去が全て嘘だったことを知り発狂しました。
ウェイクに殴りかかるウィンズローは、殴りながらも人魚やかつて同僚だった本物のウィンズローの死体などが幻想で現れ、錯乱したウィンズローはウェイクを外に連れ出すと穴に投げ入れ生き埋めにしようとしました。
それでも這い上がってくるウェイクに、ウィンズローは斧を振り下ろし叩きつぶしました。
ウィンズローはウェイクの返り血を浴びたまま、灯りの部屋へと昇っていきます。夢にまでみたフレネルレンズを前にウィンズローは高揚し絶叫しました。そのまま階下へと転げ落ちたウィンズロー。最後はとんでもない悲劇が待ち受けていました。
以上、映画「ライトハウス」のあらすじと結末でした。
【異次元の傑作映画】 〈 カモメに始りカモメに終わる! 〉 この作品は身の毛もよだつ「怪異譚」であり、これは紛うことなき「幻想譚」でもある。そして私がこの映画から得た教訓は「結界を破って聖域に足を踏み入れたる者は、地獄の業火によって焼き尽くされるであろう」というものだ。この「ライトハウス」のモノクロ画面を見ながら、私は米国の或る短編小説のことを思い出していた。それは「みにくい海」という名の幻想譚である。 R・Aラファティの「みにくい海」(The Ugly Sea)は……〈 「海はみにくい」と苦虫ジョンは言った。 「あれはひどい。汚水溜めよりも不潔だ。ところが汚水溜めにはつかろうとしない奴でも、海には喜んでつかる。」 「あの匂いはふたのない下水の臭いだ。」 「いったい海は潜在意識とよく似ている。」 〉と続く、壮大な法螺話(ホラばなし)にして滑稽で皮肉っぽいメルヘンでもある。この短編小説の冒頭を初めてみたときに、モノクロームの背景いっぱいに広がる不気味な海原と、その「鉛色の貯水槽」(正に海そのもの)に「墨汁」が混ざったような絵が浮かんだ。だから私はラファティの短編小説と映画「ライトハウス」との奇妙な繋がりを感じるのである。 私は過去に一度だけ鉛色のおぞましい造形をした怖ろしい「海の正体」を目撃している。 それは海と音楽と酒を愛する男子学生が集まって、徳島の海水浴場に繰り出した時の話である。1978年(昭和53年)の8月に台風一過の徳島「田井ノ浜」の沖合いで、2人の幼い少年が「溺死寸前」の状態で浮かんでいた。その日は波は非常に高くて肌寒い曇天であった。私は友人らと共に3人で飛び込んで幸運にも2人の少年の「命」を救うことができた。しかし、意識を失ってダラリとした少年を抱き上げたときは、正直言って2人とも「駄目かな?」と思った。友人の一人が「これはアカンは、この子らは既に死んでるやろ」っと言った。また友人のもう一人の方は地元の寺の住職の息子なので、私の心の中では、重苦しい読経のサウンドが聴こえ、真新しい白木の棺(ひつぎ)の映像が浮かび、煙たくて甘い線香の匂いが立ち込めていたのである。 実際にあれほど海と言うものを恨めしく思ったことはなかった。 この映画でも荒れ狂う海によって翻弄される男の宿命が「克明」に描かれている。生きものたちはみな、広大な海洋からその恩恵を受けている。が、しかしひとたび海を敵にまわせば、その全てが海に飲み込まれてしまう。ゆえに、生かすも殺すもすべては「海次第」なのである。「神のみぞ知る」ならぬ、「海のみぞ知る」ということだ。 ところで「ライトハウス」に登場するカモメは狂気に満ちた邪悪な存在として描かれている。ディズニーの「ピノキオ」(1940年アニメ映画)の中では、ピノキオの師匠で語り手でもあるジミニ―・クリケット(コオロギ)が、カモメに向かって「この海のハゲタカめ!」と罵るシーンが挿入されている。つまり実際にはカモメはカラスよりも更に凶暴で残忍な殺し屋なのだ。つまりはカモメは「死神の眷族」(けんぞく:使者)なのである。そしてこの「ライトハウス」では、カモメは死者と生者の境界に位置する重要な「狂言回し」の役割を担っている。そして最初からカモメはしたたかにウィンズローだけを狙っていたのだ。狡猾なカモメは隙あらばウィンズローを食い殺そうと密かに企んでいたのである。 このようにして映画の中のチャプターの「要所要所」で邪悪な存在としてカモメが登場する。序章~動機づけ~展開部~終幕というふうにして。動機づけから展開部においてカモメは、ウィンズローを度々挑発しては恐怖を植え付け憎悪を煽りダメージを与える。ウィンズローはすっかりカモメのペースにはまって我を失い狂気に陥る。それでウィンズローは最終的に「禁足地」である「灯室」へ足を踏み入れて生焼けになる。そして生きたままカモメに内臓を食われなながら絶命するのである。 つまりは狂言回しのカモメが全ての伏線を回収してこの「怪異譚」の幕が閉じるという寸法になっている。 この作品の「不気味で美しい」モノクロ映像は、まるで緻密な「エッチング版画」を見るようで実に見事である。モノクロならではの「光彩と陰影のコントラスト」が何とも言えず幻想的なのだ。かくて怖ろしくも美しいグロテスクで美麗なる驚異の映像は、すっかりと我々の魂の奥に入り込んで離れようとはしないのである。これは誠に凄まじく、また恐るべき作品だと思う。