白い家の少女の紹介:1976年カナダ,フランス,アメリカ映画。リンは白い家に住む大人びた性格の13歳の少女。父と二人暮らしだと言い張る彼女はどこか謎めいている。ジョディフォスターが14歳で演じた冷淡でどこか怖い少女を熱演!
監督:ニコラス・ジェスネール 出演:ジョディ・フォスター(リン・ジェイコブス)、フランク・ハレット(マーティーン・シーン)、アレクシス・スミス(ハレット夫人 マーティンの母)、スコット・ジャコビー(マリオ・ポデスタ)、モルト・シュマーン(ロン・ミリオリティ)ほか
映画「白い家の少女」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「白い家の少女」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
白い家の少女の予告編 動画
映画「白い家の少女」解説
この解説記事には映画「白い家の少女」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
白い家の少女のネタバレあらすじ:起
リン・ジェイコブスは自立心ある彼女の年齢からしたら極めて早熟で、頭の良い女の子です。両親がいるのかいないのか不明な彼女は一人暮らしをしていて、学校にも通っていません。ある晩、一人で13歳の誕生日祝いをしていると、リンの家の地主の息子、フランクがハロウィンの仮装をして実子を連れてリンの家を訪問します。子ども達には外で待っているように伝えたのか、家にはリンと彼だけでした。フランクには小児性愛者の疑惑があり、彼はリンを「ターゲット」にしているような様子が見られます。「君一人?」と尋ねるフランクに、「パパは書斎で仕事中でママは死んだの」とあっさりと無感情に言い放ちます。リンは、彼の様子からそれを察知し、自分にさり気無く触ってこようとする彼に怒りをぶつけて追い払いました。
白い家の少女のネタバレあらすじ:承
リンは一人で銀行へ行き、貸金庫からお金を卸しました。トラベラーズチェックでお金に換えていたのです。銀行員にも嘘を言ってあっさりとそれを行うと家に帰り、その後、街角でフランクに声を掛けられますが、偶々通りがかったパトカーに乗った警官に助けられて家まで送り届けてもらえました。男性警官は親にも挨拶しないとと言ってリンの家に上がりますが、リンは「パパは仕事中なの」と言って彼を納得させて帰らせました。リンの家の地主でフランクの母、ハレット夫人がリンを訪ねてきました。義務教育を受けるべき中学生のリンが学校へ行っておらず、親がいるかも不明な一人暮らしの状態である事を咎めて教育委員会に言いふらすと突っかかってきました。リンは父親の名前、「レスター・ジェイコブス」を彼女に伝え、ハレット夫人は「もしあなたの父が留守の時うちの息子を家に入れないほうがいい。何をしでかすか分からない子だから」と言い残して去っていきました。次の日に、リンはまた家に訪ねてきたハレット夫人と言い争いになります。リンは彼女に「あんたの息子は13歳の私に言い寄ろうとしたのよ!それを言ってもいいの?」と強く反発します。ふと、地下室を除いたハレット夫人は「何か」を見た拍子に驚いて地下室で落下してしまいます。打ちどころが悪かった彼女は命を落としました。
白い家の少女のネタバレあらすじ:転
リンはハレット夫人が遺体となってしまった状況に一瞬、戸惑いますが、持ち前の機転と頭の良さで何とか13歳なりに回避しようとします。先ず、ハレット夫人が車で自分の家を訪ねたのを確認してから、地下室へ潜り、彼女から車のキーを盗み取りました。そして、キーを指紋が付かないように手袋をはめて開けてから車を移動させようとしますが、車の運転など経験ない彼女には無理な事でした。偶々、家の前を通りかかった思春期の後半ぐらいの年齢と思われるマジシャンの恰好をした青年、マリオに声を掛けられ、彼は父親がハレット夫人の車に仕事で給油するので、車の持ち主が知り合いのハレット夫人であると知っていました。そこで、事情をよく知らないまま、証拠隠滅に協力してくれたのでした。お陰で車はリンの家から別の場所へ移動しました。その後、マリオとリンが楽しく兄妹のように暮らす家に、彼の叔父で警察官のロンが訪問してきます。リンを家に送り届けた、あの警官です。ロンはまたしても、リンの父親に会いたいと言いますが、リンは相変わらず父は忙しいと言って彼は帰っていきました。リンとマリオがふざけ合って夕食を食べて過ごしていると、泥酔したフランクが訪ねてきます。彼は妻子ある父でありながらリンに変質者的興味を持っている事が伺えます。そして、リンに対して彼女が大切にしている唯一の「家族」であるハムスターに煙草を押し付けて弱らせ、悲痛な声を上げるハムスターを暖炉の中に投げ込みました。更にマリオがマジシャンの仮装をしているだけで本当は足が悪いのを誤魔化している事を見抜き、彼をわざと転ばせます。堪忍袋の緒が切れたマリオはステッキをフランクの喉元に押し当て、「二度とここに来るな!」と追い返しました。マリオはリンの家にあったソファーに差した傘を見て「なんでこんなことしているの?」と尋ねます。実は、マリオは車は処分してくれましたが、リンが何故、このようなことをしているのか具体的な理由を知りませんでした。リンはマリオを地下室に案内し、マリオは衝撃の真実を知るのです。その後、リンの口からハレット夫人にやった行いと共に、同情せずにはいられない彼女の生い立ちが明らかとなりました。リンは娼婦だった母に虐待を受けていて、父は我が子を守る為にリンを連れてロンドンの子の家に引っ越しました。リンの父は水中自殺をしてしまい、既にこの世にいなかったのです。父は娘に「一人で生きなさい!でも、子どものお前は非力で大人に勝てないだろう。でも大人になるまではこの家を守って一人で暮らすんだよ」と・・・。父はリンの日常生活に支障がないよう、家賃を3年分前払いし、リンの生活費もトラベラーズチェックなら13歳以下でも利用できることを知って準備してくれていたのでした。その貸金庫にはリンが3年は暮らせるお金が入っていたのです。ある日、母が訪ねてきて、リンは母に紅茶を出して毒殺し、その遺体を床下の地下室に埋めました。図書館で防腐剤について調べ、その処理も一人で行いました。マリオはリンの想像を絶する悲運な生い立ちに胸を痛め、少しだけ、リンの「保護者代わり」に一緒に暮らします。
白い家の少女の結末
母とハレット夫人の遺体をリンの家の土の中に埋める事を手伝ってくれたマリオは風邪をひいてしまいます。少しだけリンの家にいた後、彼は「これ以上僕がここにいたらいけない」と言ってリンの父の形見の上着を着て自転車に乗って家に帰りました。ロンが再び、女性の同僚を連れてリンの家を訪ねます。「パパは書斎に鍵を掛けて仕事してる」と言いますが、リンの生活状況を察して「本当はお父さんはいないんだろう?」と言いますが、2階から一人の風邪をひいた中年男性が現れます。リンはすかさず、「パパ!」と無邪気に言います。ロンは安心し、帰っていきますが、これには一度別れたマリオがリンの為に父親のふりをして返送してくれていたのでした。後日、ロンはマリオが肺炎で倒れて入院していることをリンに知らせにやってきました。リンは慌てて見舞いに行き、一人寂しくレストランで夕飯を食べてから家に帰宅して寝ます。夜中にも音がして、地下室からマジシャンの恰好をした男が現れます。リンはマリオだと思っていましたが、なんと、フランクでした。地下室から母のハレット夫人の髪留めと、リンの母の爪を見つけた彼はリンに激しく何なのか問い詰めます。フランクは子どもの父であるにも関わらず、13歳のリンに対し、「このことを黙っていてあげるから俺と付き合わないか?」と言ってきてリンは大ピンチを迎えます。そこで、冷静な彼女は父が残してくれた青酸カリを紅茶に混ぜて、フランクの息が途絶えるのを冷たい眼差しで見守るのでした。
以上、映画「白い家の少女」のあらすじと結末でした。
丘の上の白い家。そこには他人を決して中に踏み入れさせない、ブロンドの髪の少女が独り住んでいた。
時折り、不埒な侵入者が現われることもある。少女は、それらをいつも冷たく追い払った。
家主である横暴な夫人に、憤った少女は、夫人を亡き者にした。
唯一、彼女の心を開かせた青年との淡い恋も、悲しい結末を迎えた。
やがて夫人の息子が、母親を探しに、いや少女を強請りにやって来る。
その時、少女の取った行動は、いつものように冷たく、死を孕んだものだった——-。
彼女の両親はどこにいるのか、それは少女だけの秘密だった。
なぜ彼女には死のイメージがまとわりつくのか、それも少女しか知らない。
少女の名前はリン。白い家の中では、一体、何が起こっているのか?——-。
「白い家の少女」は、ショパンの調べに乗せて繰り広げられる、冷たくも悲しい少女のサスペンスに満ちた物語だ。
主演は、若き日のジョディ・フォスター。子役からの脱皮に成功し、その後、監督業にも進出するなど、いつの時代も旬のスターであり続ける彼女だが、13歳の娼婦を演じて世界中に衝撃を与えた1976年の「タクシー・ドライバー」に続く初主演作が、この「白い家の少女」だ。
当時のジョディ・フォスターは、「タクシー・ドライバー」や「ダウンタウン物語」の歌姫など、大人びた過激な役が印象的だったが、この映画では年齢的に相応の少女を演じている。
しかし、その透明かつクールな謎めいた存在感は、この映画で一層強調されており、子役から少女、そして大人へと揺れ動く過程にある彼女の、ある時期にしか醸し出されない、危うい魅力が満ち溢れている。
また、大人のように独りで暮らし、身辺を脅かす者を無表情に殺害していく少女という奇抜な設定も、彼女だからこそ、映像ならではの説得力を持たせることに成功したのだ。
その意味でもこれは十分に、ジョディ・フォスターのスター映画たりえていると思う。
そんなジョデイの雰囲気に合わせてか、ニコラス・ジェスネル監督のサスペンス演出も、決してこけおどしになることはなく、あくまでも静かに恐怖のドラマが進行していくのが、実にいい。
また、当時ジェームズ・ディーンの再来と言われていた、「地獄の黙示録」でブレイクする前のマーティン・シーンが、変質的でエキセントリックな若者を演じているのも、今となっては貴重な映画になっていると思う。