第三の男の紹介:1949年イギリス映画。映画史上に残るスリラーの名品。オーソン・ウェルズの初登場場面など数々の名シーンは、古い映画ファンにとって語り草となっている。カンヌ国際映画祭グランプリ受賞。
監督:キャロル・リード 出演:ホリー・マーチンス(ジョゼフ・コットン)、ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)ほか
映画「第三の男」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「第三の男」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「第三の男」解説
この解説記事には映画「第三の男」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
第三の男のネタバレあらすじ:起
第2次大戦後、米英仏ソの旧連合軍に分割支配されたウィーンへ、アメリカ人のホリー・マーチンスがやってきます。マーチンスは作家ですが、その作品は読み捨ての西部劇小説ばかり。ウィーンに来たのも旧友ハリー・ライムから仕事をしてほしいと頼まれたからです。駅での待ち合わせのはずがハリーは現れず、仕方なく家を訪ねると、門番から「ハリーは昨日自動車事故で死んだ」と思いもかけない事を告げられます。呆然として、友人の埋葬のために墓地に向かいますが、そこには数少ない立会人しかいません。その中に美しい女性が一人いて、マーチンスは彼女に気を引かれます。
第三の男のネタバレあらすじ:承
埋葬が終わると市街に歩き出しますが、ある男に車に乗らないかと話しかけられ、好意に甘えることに。彼はイギリス管理地区の警官であるキャロウェイ少佐。街についた後、酒を飲みながら話を交わします。キャロウェイは、ハリーが死んで良かったと言います。彼の話では、ハリーは殺人者であり、悪党でした。旧友を悪し様に言われたマーチンスは不快になり、彼に殴りかかろうとしますが、キャロウェイの部下に取り押さえられます。もう帰国しなさいという忠告に逆らい、友人の冤罪を晴らすこと宣言するマーチンス。
第三の男のネタバレあらすじ:転
やがて、彼のところへ電話がかかってきます。会ってみるとハリーの埋葬に立ち会っていた男でした。彼はクルツ男爵と名乗り、「ハリーの友だちだった」と言います。ハリーが死んだ時もそばにいたそうで、彼はその死の様子を詳細に語った上で、自分ともう一人の友人ポペスクがハリーの死体を運んだと証言。そしてマーチンスの質問に答え、埋葬に立ち会っていた女性はハリーの恋人アンナで、彼女はある劇場に女優として出演している事を告げます。劇場に彼女を訪ねるマーチンス。しかし、彼女の話とクルツの話が食い違うことに気づき、クルツに不審を抱きます。ドイツ語の通訳としてアンナに同行を頼んだ上で、再び門番と会ったマーチンスは、現場にクルツとポペスクともう一人の”第三の男”がいた事を知ります。
第三の男の結末
しかし門番は殺されてしまい、マーチンスもポペスクに追われる羽目に。その時、マーチンスは生きているハリーと偶然出会います。やはり彼の死は偽装だったのです。クルツを通してハリーと会ったマーチンスは仲間になれと誘われますが、彼は拒否。キャロウェイの説得もあって、再びハリーを誘い出したマーチンスは、下水道に逃げ出した彼を警察とともに追いかけた末に射殺。本当の葬儀が行われた墓地でアンナに声をかけようとしますが、彼女に無視されてしまいます。
「第三の男」感想・レビュー
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音楽は監督からカラスに相当にやり直しを迫られ、苦しみ抜いた結果、生まれた曲である、だから映画より主題歌として世界に広がった映画はついでなのだ。
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この映画「第三の男」は、第二次世界大戦が終わったばかりの、ウィーンを舞台に繰り広げられるサスペンス映画の傑作だと思います。
アントン・カラスのテーマ曲の響き、モノクロ撮影の美しさ、名優オーソン・ウェルズの存在感、映画史に残る名セリフと名シーンなど、多くの魅力を持った作品だと思います。
この映画で特筆すべきは、その製作年代でしょう。
なんと第二次世界大戦が終わった4年後の1949年の製作です。キャロル・リード監督は、第二次世界大戦直後のウィーンを舞台に、戦争の傷跡がそこここに残るウィーンの街で映画を撮影しています。
建物がいきなり砲弾の痕で崩壊していたり、壁に穴が開いていたりするのを見るだけで、もう歴史資料そのものです。
そういう意味では、この映画が持つ混沌とした感じは、一種のドキュメンタリーとしての要素を含んでいるように思います。そんな戦後の混乱期を舞台に演じられる、闇物資を巡って起きる犯罪事件に巻き込まれた、アメリカ人作家に起こるスリルとサスペンスの物語です。
この映画の基調は、イギリス伝統の探偵小説が持つ味わいであり、それはヒッチコックのサスペンス映画と共通するものですね。
また、この映画は製作年代を反映してモノクロ映画となっていますが、その光と影の深い陰影を捉えたカメラがとても美しい。
そして、この黒白の対比は、物語の錯綜と謎の行方や、正義と悪など、劇としての要素を強く印象付ける、卓越した効果になっていると思います。
それが一番効果を上げているのが、人の影が建物に、怪物めいた巨大な姿となって現れるところでしょうか。
この年代は、モノクロ撮影の末期という事もあって、光と影だけで表現できる映像について、ある種、完成の域にあったのではないでしょうか。
そんな、モノクロ撮影のもつ潜在的な力を再発見させてくれる映画でも有りますね。しかし、何より感銘を受けたのは、名優オーソン・ウェルズの悪役ハリー・ライムでした。
この金の亡者のような冷酷なアメリカ人を、なんとも魅力的に、愛らしく演じて、この作品の中では、決して多くない出演時間ながら、おいしいところを全て持っていきますね。このカリスマ的なヒールであれば、アリダ・ヴァリ演じるヒロインでなくとも、夢中にならずにはいられないでしょう。
白黒の画面の中で、輝くような笑顔と、陰鬱な悪を使い分け、その落差の大きさが、単なる悪役にはとどまらない、人間としての業の深さを表しているようです。
これほど魅力的な悪役は、他にちょっと思いつかないほど、強い個性を持っていますね。
これはたぶん、キャロル・リード監督の演出の力もあるのでしょうが、多くをオーソン・ウェルズその人の魅力から、発せられているように思えます。更に映画音楽史上、最も印象深い曲の一つとして上げられる、アントン・カラスのチターの演奏によるテーマ曲が、この映画のドラマに見事に共鳴して響きます。
このボヘミア調のメロディーが、戦後の無国籍の混沌とした世相の哀調を奏で、その軽快なテンポが、本来重苦しくなるはずのこの映画の陰惨な内容を、どこか軽快に中和し、エンターテインメントとして提供するのにちょうどいい味わいに変えているように思います。
そんなこの映画は「魅力的な悪役」「完璧なテーマ曲」「完成されたモノクロ映像」「歴史的ウィーン」など、見所がいっぱいなんですね。
この映画の感想は、物語と,映像と、音楽と、ラストシーンの4つに分けて簡単にご紹介したい。
まず映像からいきましょう。
この作品は、当時としてはかなり印象的な映像満載だったのだと思う。
まず、ハリーことオーソン・ウェルズが初めて画面に登場する、子猫とアパートの窓の光を利用したすごく存在感のあるシーン。これは当時の観客はハッとしたと思う。
そして大きな影を多用した夜の街中のシーンが随所にあり、この「影」の使い方は、この映画の特徴のひとつで、実に効果的だ。
ジョセフ・コットンとオーソン・ウェルズが対面する観覧車のシーンもとても印象深い。が、これは私には、それを狙った、ちょっととってつけた場面のような気もした。
そして下水道の中の逃走と追跡のシーンである。
これは必ずしも良いとばかりは言えないような気がする。中は迷路のようになっているので、今どこにいるのか、どのくらい引き離してオーソン・ウェルズが逃げているのか、良くわからず、スリルはイマイチ出にくいと感じた。
こうして皆様がご覧になってないような映像のことばかり語ってもつまらないので、ちょっと音楽について触れたい。
この映画で盛んに奏でられる個性的な主題曲は,あのエビ○ビールのCMで使われていた曲だと言えば思い出される方もいらっしゃるかもしれない。JRの恵比寿駅の扉が閉まる合図にも使われていた。
アントン・カラスという方がチターという楽器を奏でて実に効果的だ。
そういうわけで、この映像と音楽に関しては、ツッコミどころはあるにしても、当時としてはとても驚きを持って迎えられた作品だったと思う。
では、肝心の物語はどうか?
実は、これが私にはあまりいただけないのである。
物語の初めの方で、ハリーことオーソン・ウェルズが交通事故で亡くなり、その時の場面に立ち会ったのは2人の男だった、という設定になっているのだが、ハリーの親友のジョセフ・コットンが、そこにもう1人、第三の男がいたと睨みをつけ、その男を探すのが前半の見どころになっている。しかしタイトルにもなるほど仰々しくそこを前面に出してる割には、それについての推理も、サスペンスも中途半端で、結局第三の男はハリーことオーソン・ウェルズだったらしいのだが、そこに至るまでに全くドラマ性や劇的な要素がない。
それに全体的に話が良く見えない。分かりにくいのである。
これは、たとえ昔の映画とはいえ、ストーリー作りに成功していないと私は思う。
だから、映画史に残る名ラストシーンと言われる場面も、私はそれほど感動的には感じられなかった。
映画史に残る名作について、ちょっと生意気すぎる感想かもしれないが、これが私の正直な感想です。