時をかける少女の紹介:1983年日本映画。筒井康隆原作のジュブナイル「時をかける少女」の実写映画化作品。高校1年生の芳山和子はある日、理科室で煙を吸い込み気を失う。その時の匂いはラベンダーの香りだった。それから不思議な体験をするようになる。自分の戻りたい過去に戻れるというタイムリープの能力を持つようになる。しかし、それは深町一夫の存在と正体が深く関わり合っていた。
監督:大林宣彦 出演:原田知世(芳山和子)、尾美としのり(堀川吾朗)、高柳良一(深町一夫)、岸部一徳(福島利男)、根岸季衣(立花尚子)、高林陽一(時計屋の男)ほか
映画「時をかける少女(1983年)」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「時をかける少女(1983年)」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
時をかける少女の予告編 動画
映画「時をかける少女(1983年)」解説
この解説記事には映画「時をかける少女(1983年)」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
時をかける少女(1983年)のネタバレあらすじ
高校1年生の芳山和子(原田知世)は幼馴染の堀川吾朗(尾美としのり)と学校のスキー教室に来ていた。二人が話していると同級生の深町一夫(高柳良一)がやって来る。夜になり3人が下山しようとすると、深町一夫のスキーのセットだけが無かった。なぜ無くなったのか分からなかった。深町一夫は、帰りの列車で一人で野草を摘む不思議な行動をする。
時をかける少女(1983年)のネタバレあらすじ:不思議な体験
新学期が始まった4月16日土曜日。3人は放課後に理科室の掃除をしていた。一夫と吾朗がかばんを取りに行っている間に、1人残った和子は実験室から物音を聞く。中に入ると白い煙が漂っていて、それを吸い込むと和子は倒れてしまう。一夫と吾朗が和子を保健室に運びます。先生と皆で、実験室を確かめますが何もありませんでした。3人は帰宅し、一夫の家に寄ります。その時、温室から和子が倒れる時に嗅いだ匂いと同じ匂いがしました。一夫がラベンダーを栽培しているのだと説明します。
時をかける少女(1983年)のネタバレあらすじ:タイムリープの能力
18日月曜日。和子は学校に登校して、夜には地震の後に吾朗の家の近くで火事がありました。心配して見に行きますがボヤだったので安心します。突然和子は襲われて気がついたら自分のベッドの中でした。不思議な体験を吾朗に話していると、屋根の瓦が落ちてきました、その瞬間、和子はまたベッドに戻っていました。変な夢を見たと和子は思いながら、学校に行きます。学校で今日は18日だと聞かされて、和子は驚きます。19日になっているはずなのに、1日戻っていたのです。吾朗に前夜の話をしますが、知らないと言われます。授業を受けたら、それは前日受けた問題でした。和子は何がどうなったのかわかりませんでした。帰りに一夫の家に寄り、相談します。一夫はそれは、テレポーテーションとタイムトラベルが同時に出来る「タイムリープ」だと説明します。その夜、和子が見た通りの地震が起きたので、火事のあった家を見に行きます。そこには一夫がいました。和子は幼い頃一夫と事故に遭い2人とも怪我をしました。しかし、一夫にはその傷がありませんでした。
時をかける少女(1983年)のネタバレあらすじ:一夫への疑い
次の朝、吾朗と登校途中、瓦が落ちて来た時に和子はそれを予測していたので吾朗を助けます。その時、吾朗の手に、和子の記憶にある傷があったのです。和子は学校に行かず、一夫の家の温室に向かいます。そこでラベンダーの香りを吸うと、テレポーテーションしました。一夫が海岸で植物採取をしていました。和子は一夫に本当のことを教えてほしいと詰め寄りました。一夫はあの土曜日の実験室に戻ることを念じるように言います。和子は土曜日の実験室にタイムスリップします。
時をかける少女(1983年)の結末:一夫の正体
中に入ると一夫がいて、自分の正体を明かします。自分は西暦2660年の薬学博士で、未来では植物がほとんど全滅して植物を採取しに来たのだと話します。記憶操作を使用して家族を失った老夫婦の孫として住み、和子と吾朗の記憶をすりかえて入り込んだのだと説明します。一夫は元の世界に帰らなければいけないと話します。その時に自分に関わりあった人々の記憶から自分を消さなければいけないと告げます。和子は一緒に連れて行ってほしいと頼みますが一夫に断られます。一夫との記憶を残してほしいと願いますが、それも出来ませんでした。今度一夫に会っても和子には分からないと告げて薬をかがせます。和子は気を失いながら、一夫の記憶は絶対忘れないと心に念じました。
それから11年、和子は薬学の研究員になっていました。吾朗との付き合いは続いていましたが結婚までは進んでいませんでした。そして、廊下で一夫とすれ違いますが和子は気がつきませんでした。
以上、映画「時をかける少女」のあらすじと結末でした。
「時をかける少女(1983年)」感想・レビュー
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ラベンダーできを失う
そのことにどんな意味があるんだろう? -
放課後、掃除当番で学校に残っている少女・和子。
実験室の物音に彼女が様子を見に行くと、床に落ちたフラスコから白い煙、そして強烈な”ラベンダーの香り”。気を失った彼女は、それ以来、不思議な経験の連続。
どうやら、それは”ラベンダーの香り”に秘密があるらしいと分かるのだが——–。この映画は筒井康隆の原作を、大林宣彦監督が映画化した作品で、タイム・スリップもののSFですが、それらの要素はあくまで背景にとどまり、むしろ淡いラブ・ロマンスに昇華されていると思います。
青春の輝きにキラキラ満ちている映画ですが、どこか淋しい”翳”といったものがあって、それが深い味わいとなっているような気がします。
それはヒロインの少女・和子を演じる原田知世の魅力とも重なり合うものがあるのです。
笑顔がとてもいい彼女ですが、女優としては全体に小柄で、目も口も小さく、何か頼りなげで、チラチラと淋し気な表情を見せます。全然、女くさくないところが、とても女っぽく、ちっともセクシーでないところが、とてもセクシーと、こんな彼女のパーソナリティーが役柄ともピッタリ合って、映画の魅力を倍加していると思います。
現実から飛躍したSF的な物語と、大胆な遊びごころ満載の映像表現にもかかわらず、”とても切ないリアリティー”を持っているのは、今こうしている以外の生を生きるということが、人間にとって、とても切実な願望だからではないかと思うのです。
時間の浪費者になるとは、ひとつの生に耐えられなくなった人がたどる、”心の旅”なのかも知れません。
映画は幼くして死なねばならなかったものの、それからの生をみせてくれます。そして、それは一種の幻覚にすぎなかったのですが、その幻覚=夢には、切ないまでのリアリティーがあるのです。
夢は時に、残酷な真実以上に、人間の現実にひそむ”哀しみ”を浮かび上がらせます。
懐かしい幸福感に満ちたこの映画に漂う、”不思議な淋しさ”とは、それではないかと思うのです。
あなた、わたしのもとから、突然、消えたりしないでね・・・忘れられない中学時代の甘酸っぱい思い出の映画です。この当時、ファンだった原田知世「時をかける少女」をクラスの男女4人で、街の映画館まで見に行きました。
積極的だった僕の友達とその彼女とその友達、そして僕。僕と彼女の友達は、最初はドキドキして、何も話せなかったけど、段々、仲良くなって、その後も友達として、高校で僕が大学受験するまで、仲良しでした。でも、進路の違いで、彼らは高校卒業と同時に地元で就職し、僕だけが大学進学で上京したのを境に、会うことはなくなりました。だけど、あの頃の思い出は一生忘れることが出来ません。時をかける少女は、僕の永遠の青春です。