映画セッション(原題: Whiplash)の紹介:2014年アメリカ映画。ドラム奏者を目指す青年は厳しい指導によって頭角を現していく。彼らが目指した音楽とは何か?緊張感張り詰める演奏シーンはラストまで目が離せない。映画セッションは第87回アカデミー賞5部門ノミネート、その他世界中の映画賞で絶賛の旋風を巻き起こした。
監督:デイミアン・チャゼル セッションの出演者:マイルズ・テラー(アンドリュー・ニーマン)、J・K・シモンズ(テレンス・フレッチャー)、ポール・ライザー(ジム・ニーマン)、メリッサ・ブノワ(ニコル)、オースティン・ストウェル(ライアン・コノリー)、ネイト・ラング(カール・タナー)ほか
映画「セッション」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「セッション」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
セッションの予告編 動画
映画「セッション」解説
この解説記事には映画「セッション」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
映画セッションのネタバレあらすじ:スタジオバンドへの誘い
アメリカ最高峰のシェイファー音楽学院でドラムを学んでいるアンドリュー・ニーマンは、パッとしない生徒で、バンドでは主席奏者ではなく譜めくりを担当する控えの奏者だった。そんな彼が練習しているところへ、学院の中でもハイレベルなバンドを受け持っているフレッチャーが訪れる。フレッチャーは、自分のバンドが新しいドラム奏者を募集している事、自分が練習室に入った時どうして演奏を止めたのか、言いたい事だけ言うと、ニーマンの演奏をろくに聴かず練習室から去った。
いつものように父と映画に向かうと、高校教師の父は別の道もあると言って、彼を慰めるも、ニーマンは、フレッチャーの練習室への訪れに、少なからず期待を抱いていた。それは的中し、バンド練習中に、フレッチャーのスタジオバンドにスカウトされたニーマン。明朝六時にフレッチャーのスタジオに来いと言われる。嬉しくなったニーマンはそのまま一人で映画館へ行くと、そこでアルバイトをしているニコルに告白しデートの約束をする。全ては順調に始まったように思えた。しかし、翌日ニーマンは数分寝坊してしまう。学院に程近い寮からスタジオに駆け込んだがそこには誰もいなかった。廊下の貼紙には、スタジオ練習は9時からと書かれている。一人で待っていると、やがてスタジオバンドのメンバーがやってくる。ドラムの主奏者に新入りか尋ねられ、頷くと、ドラムの調音を頼まれる。9時前には全員がそろい音あわせも済み、時間きっかりにフレッチャーがスタジオに入ると緊張が走った。
映画セッションのネタバレあらすじ:フレッチャーによる指導は行き過ぎ?1
フレッチャーによる指導は厳しく、罵声が飛び交う事もしばしば。音程があっていない生徒、それに気がつかない生徒、自信が無い生徒は容赦なくスタジオバンドのメンバーから外されるのを目の当たりにするニーマン。休憩時間なると、フレッチャーはニーマンを呼びつけ、ニーマンの親、親戚には音楽家いないことを知ると、ニーマンに音楽をやる理由があると言わせ、リラックスして次の時間は叩くように言う。新人のニーマンのために、テンポの遅めの演奏が開始されるが、ニーマンのテンポが気に入らないフレッチャーはいきなり椅子を投げつけ、ニーマンの叩くテンポがフレッチャーの言うテンポより遅いか早いか尋ね、それも間違うと、今度は四拍子を唱えさせ、テンポが違うと言っては彼の頬を叩いた。あまりの厳しさに涙を零すニーマンに、フレッチャーはもっと練習しろと言うだけだった。今までに無いほど個人練習に打ち込むニーマンの手は、やがてマメだらけになり、それが潰れては血を流し絆創膏を貼る繰り返しだった。初デートで、行ったピザ屋はジャズの流れる店で、ニーマンはその曲についてニコルに解説した。大学の話になると、ニーマンとは逆に専攻もまだ決めていない彼女はホームシックだと弱音を零した。
映画セッションのネタバレあらすじ:フレッチャーによる指導は行き過ぎ?2
人材発掘を目的としたオーバーブルックジャズコンテストでフレッチャーのスタジオバンドは当然優勝を狙う。フレッチャーはメンバーに楽譜は絶対に離すなときつく言う。主奏者のタナーの楽譜を預っていたニーマンは、自動販売機で飲み物を買う際に横の椅子に置いた楽譜から目を放した隙に、紛失してしまう。本来の楽譜の管理責任者である主奏者タナーは暗譜をしておらず、楽譜が無いと叩けない、そこで暗譜をしていたニーマンが代役で叩き、スタジオバンドは優勝した。翌日から、主奏者はタナーではなく、ニーマンになった。主奏者になったことで自信のついたニーマンは、大学のアメフト(もしくはラグビー)のMVPを取って誉められている同じ年頃の親戚に注目が行くのが気に食わない。彼らがプロのスポーツ選手になる可能性は限りなく低いのに対して、ニーマンはプロのドラム奏者になる一歩手前まで来ているのに親戚の誰もそれに理解を示す事はなかった。父親さえも。
映画セッションのネタバレあらすじ:首席奏者をかけて、血まみれの練習1
相変わらずテンポがうまく取れないニーマンに、フレッチャーは新しいドラム奏者と引き合わせる。ニーマンから見るとコノリーに演奏技術があるようには思えなかったが、フレッチャーが新しい彼を誉めるので、一層練習に打ち込んだ。ニコルとの関係は、ニーマンがドラムに打ち込むと会う時間が取れなくなり、いつかニコルがドラム奏者への道を阻むと判断し、その旨を伝えると、ニコルは自分がニーマンの夢の邪魔をするとニーマンが確信している事にショックを受け、あなたは何様なのと言って破局。練習に打ち込むニーマンは、血まみれの手に絆創膏を貼るのが間に合わず、氷水に浸して血まみれで練習詰め。
映画セッションのネタバレあらすじ:首席奏者をかけて、血まみれの練習2
コノリーがスタジオバンドにやって来た初日、練習に入る前にフレッチャーはCDを回しかつての教え子でトランペッターのショーン・ケイシーが事故で亡くなったと告げる。彼はギリギリの成績で音楽院に入ったがフレッチャーに見出され、リンカーン・センターの主席奏者にまでなった人物だった。しんみりとした空気の中、新しい曲「キャラバン」の指導を始める。紹介を兼ねて、コノリーに叩かせるが、テンポが遅いと、ニーマンのバンが回ってくるフレッチャーは彼を「臨時主奏者」と言ってプレッシャーをかける、それも気に入らず、タナーに叩かせるがやはりテンポが遅い。他の楽器の奏者には休憩を言い渡し、三人に順番に叩かせ、ニーマンが主奏者になった頃には深夜を回り、ドラムは汗と血にまみれていた。帰り際、大会の場所へはニューヨークからに時間はかかるので余裕を見るように注意する。当日、ニーマンの乗ったバスは運悪く、途中でパンク。乗り継ぎバスもタクシーもなく、ニーマンはレンタカーを急遽借りた。既に五時過ぎ、携帯電話にせかされたニーマンは遅れながらもバックステージにたどり着く。フレッチャーに罵声を浴びせられるが肝心のスティック一式をレンタカーの事務所に置いてきた事に気がつき、ステージの時間には間に合うといって飛び出し、車でスティックを回収に戻り会場の2ブロック前まで来た所で事故にあってしまう。血まみれのまま、ステージに上がったニーマンは右手がほとんど使えない状態で、ろくにドラムを叩けないまま、演奏を止められ、フレッチャーに「終りだ」と告げられる。会場に謝るフレッチャーに罵声を上げたニーマンは他のメンバーに抑えられ退場。
映画セッションの結末:フレッチャーへの挑戦1
父に付き添われたニーマンはフレッチャーが事故だと言っていた、ショーン・ケイシーは実は首吊り自殺で、フレッチャーの生徒になってから鬱病を患っていたことを知らされる。そこで、ニーマンを尋ねてきた女性はフレッチャーが、故意に生徒へ精神的苦痛を与える指導をしていなかったかを聞いてきた。はじめは話すことを拒んでいたニーマンだが、分からないようにすると言われ、質問に応じる事にした。
ニーマンは音楽学院をやめ、コロンビア大学に入りなおそうとしていた。町を歩いていても音楽が気になるニーマンはジャズライブハウスでフレッチャーがピアノでゲストをしている看板を見つける。演奏を聴いて帰るだけのつもりが呼び止められ、話をすることに。フレッチャーは密告によって音楽学院での指導をやめ、現在はフリー、つぎはJVCのプロバンドで指揮をすると言う。曰く、甘くなったジャズは死ぬといい、やりすぎではなかったのかと言う問に、学院は指導を理解していない、自分は努力はしたが音楽家を育てる事は出来なかったと返す。タナーは医大へ転向し、コノリーはニーマンをたきつけるための刺激剤だったと告白する。そして、今度のジャズフェスティバルで自分が指導した曲をやるからバンドでドラムを叩かないかと、ニーマンを誘った。プロのバンドでドラム演奏が出来るというので、ニコルに電話で自分の非礼を謝り自分の出るジャズフェスティバルに聞きに来ないかと誘ってみたが、彼女には既に新しい恋人がいた。
映画セッションの結末:フレッチャーへの挑戦2
フェスティバル当日、フレッチャーは舞台で密告したのはお前だなと、ニーマンに囁く。そして始まったのは楽譜も持っていないまったく知らない曲で、即興でたたく事も出来ず、無能と罵られてしまう。一度はステージをさったニーマンだが、再びステージ上がるとフレッチャーが次の曲の説明をしているのを遮るようにドラムを叩き始め、キャラバンだから合図をすると他の楽団員に言う。忌々しそうに指揮を始めるフレッチャー。最高の演奏をし曲を終わらせようとした時を見計らったように、ニーマンはドラムの即興ソロを始める。何をやっているんだというフレッチャーに合図をするとだけ言うニーマンは今までに無いパフォーマンスをし、途中傾いたシンバルをフレッチャーが直し、目配せののち、今度こそフレッチャーの指揮で曲はフィナーレを迎える。エンドロールへ。
以上、映画セッションのネタバレあらすじと結末でした。
映画セッションのレビュー・感想:「消える芸術」としての音楽。
芸術の中でも「音楽」は、美術や文学とは異なり、(今は録音が可能だが)生まれた瞬間に消えていくという性質を持っている。プロの演奏家に二度目、やり直しは無い。その瞬間にふさわしい音を生み出すという行為を、彼らは果てしなく繰り返し、正解は無い。フレッチャーはたしかに追い込みすぎたかもしれない。ジャズはたしかにアドリブがあってこそだが、そのアドリブ演奏を入れるにしても、たしかな基礎が必要になってくる。フレッチャーの指摘はあくまで基礎にまつわる事。何よりも最初に彼がニーマンを見出したのは練習室でごく単純な練習をしていた時だったし、亡きトランペッターを見出したのもスケール練習を聞いたからだ。フレッチャーの指導を見ていると、今はあまり意識しなくなってしまったが、音楽の「消える芸術」という側面と、消えていくからこそ美しいと言う事を思い出させてくれる。
「セッション」感想・レビュー
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映画のコピーにある狂気というのは、フレッチャーのことだと思っていましたが、最後まで観ると狂気だったのはニーマンの方だと気づきます。何よりもドラムを愛し、ドラムに憑りつかれていく様子は、まさに狂気です。ラストシーンは二人の意地や怒り、喜びなどの感情がぶつかる、まさにラストシーンと呼ぶにふさわしい感じです。ひとりでじっくり観たい映画だと思います。
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アメリカ最高峰の音楽学校でドラム奏者を目指す青年と鬼教師の話です。教師の指導は厳しく、罵声を浴びせ、物を投げつけ、代わりの奏者を用意してプレッシャーをかけ続けます。
青年は本意ではないが教師の厳しい指導を訪ねてきた女性に話してその事で教師は音楽学校を辞めることになる。
その後ライブハウスで再開しドラム演奏に誘われ演奏することになるが・・・
教師は復讐の為に呼んだのか、才能を開花させようと呼んだのか?
面白い映画です。
褒めて育てるのか、厳しく今の上の段階へ連れて行くのか?どちらが正解かは分かりません。 -
この映画は狂人と狂人の戦いだと感じました。映画を観る前は、音楽を愛するあまり狂人のように振舞う教師とそれに抗う青年、というイメージでしたが、生徒もそれに応えるように狂っていくさまが描かれているように思えました。ラストで、フレッチャーが神聖なステージを使っていち生徒の音楽家人生を台無しにする、というシーンは「フレッチャーは真に音楽を愛していないのではないか」「石に食らいつくようにドラムを演奏する彼の方こそ、真に音楽を愛しているのではないか」と思えましたが、最後の最期で「やはり二人とも狂信的に音楽を愛しているのだな」と思い、感動しました。
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ラストシーンにすべてがこめられている作品だと感じました。途中も十分に面白いのですが、それ以上に引き込まれこんなにも短いラスト9分があるのかと感じるほどでした。よくこの映画の謳い文句のように言われていますが、伊達ではない。映画を見てここまで鳥肌が立ったのは初めてでした。
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フレッチャー先生が怖すぎる!もはやホラー!厳しすぎる先生の指導に、怒りと悲しみと恐怖で涙が出てしまいました。しかし、主人公も先生に負けないぐらい狂気に満ち溢れていて、ラストはもはや2人だけの世界へ連れていかれます。他の登場人物も映画を見ている我々も何も言えない、何もできない、大迫力の”セッション”にただただ震えるしかありません。
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最初から最後までハラハラし通しでしたが、最後の演奏シーンは圧巻でした。パワハラの線引きが難しくなっている近頃ですが、この映画の中でもパワハラか?教育の延長か?音楽に対する愛を突き詰めた結果なのか?問題提起が含まれているように思いました。
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序盤、「退屈な映画かな~」とボーっと見ていました。結論、最後まで見てよかったです!めちゃくちゃシビれます!最後の最後で、鳥肌立ちまくり涙止まらない映画でした。全力でオススメします!最後のシーンなんて20回以上、繰り返し見ています。
車をぶつけ頭から血を流しながら、ステージに上がるなんてまともじゃないけどそこが面白い。良い意味で想像していた作品とは、全く違いました。鬼コーチフレッチャーのイカレっぷりに押され気味であったニーマンが、次第に手に追えないクレイジーなドラマーになっていくという素晴らしい脚本。ジャズプレイヤーの話ですが、格闘技を観ている様な気分にすらなりました。