チョコレートドーナツの紹介:2012年アメリカ映画。虐待を受けているマルコと暮らそうと奮闘するゲイバーの歌姫ルディ。しかし、偏見が彼の邪魔をする。彼らの望んだ“幸せ”とは何か?全米映画祭で絶賛、観客賞総ナメの実話を基にした感動作。
監督:トラビス・ファイン 出演:アラン・カミング、ギャレットディラハント、アイザック・レイバ、フランシス・フィッシャー、グレッグ・ヘンリー、クリス・マルケイほか
映画「チョコレートドーナツ」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「チョコレートドーナツ」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「チョコレートドーナツ」解説
この解説記事には映画「チョコレートドーナツ」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
チョコレートドーナツのネタバレあらすじ:ルディのお隣さんの事情。
1979年、カリフォルニア。ゲイバーで働くルディ。アパートの隣の部屋は薬に溺れた若い母親が子供そっちのけで音楽を大音量で真夜中までかけっぱなし。挙句、息子のマルコを置き去りにして男と出歩く始末。
ルディはバーの常連で検事のポールに、ネグレクトされた子供をどうしたらいいか聞くと、家庭局に相談すればいいといたって事務的な答え。しかし、ルディは家庭局に彼を保護させたくなかった。それは、マルコはダウン症で家庭局に保護されても新しい里親が見つけられるとは思えなかったからだ。
母親が麻薬使用で逮捕された折、ルディはマルコを自分の家へ招く。ポールは母親が入所している間、養育の権利を取れるように取り計らう。その際、少しでも有利になるように、不安定なバー勤務のルディを検事である自分の同居人とし、ルディ、ポール、マルコの三人での生活が始まる。マルコの好きなものはチョコレートドーナツ。
チョコレートドーナツのネタバレあらすじ:口パク歌手ルディの本当の夢
普段はゲイバーで女声の歌を口パクで歌いながらショーダンサーをしているルディ、口パクでなくとも歌唱力の十分にある彼は本当は自分の声で仕事をするのが夢。しかし、デモテープを作るにしてもお金がかかる。
そこで、ポールは録音機を買い、ルディの馴染みのジャズバーで彼の歌を録音し、レコード会社などにかたっ端から送った。
マルコは、それまで通う事のなかった、学校へ通いはじめ、ハロウィン、クリスマス、バースデーなど、祝い事にはホームムービーを撮るなど、全ては順調に進んでいくように見えた。
マルコの担任の先生は、ルディとポールの関係に気づいていたが、(マルコに悪影響が無いと判断し)不問。ただし世間はそうは行かなかった。
チョコレートドーナツのネタバレあらすじ:「二人のパパ」と世間体
検事のポールは仕事柄、自分がゲイであることは隠していた。けれど、自分に好意を寄せる上司のホームパーティーにルディ(それまでは従兄弟と嘘を吐いている)と一緒に招かれた際に、ルディと同性愛の関係だとバレてしまい、偏見からポールはクビ、同性愛家庭は生育には良くないとマルコは家庭局に保護されてしまう。
ルディは、世界を変えたくて法の世界に転向し検事をしていたポールに、裁判をしてマルコを家庭局の保護下から取り戻したいと行動を起こす。
裁判で、マルコの通っていた学校の先生は二人と過ごしていたマルコは学習面でも情緒面でも成長したと、証言。ルディの同僚は、時々ルディがゲイバーの楽屋に連れてきていたと証言(家に一人で置きざりにしないように)。証言があるにも関わらず、相手側の弁護士は、ルディとポールの同性愛関係ばかり寝堀り葉堀りする。
結果、マルコがルディとポールの元で暮らすのはふさわしくないとの判決が下る。
チョコレートドーナツの結末:家に帰りたいマルコ
肩を落としているルディの元にブロードウェイのバーから、歌手として雇いたいと連絡が来る。マルコの裁判のためにゲイバーを辞めていたルディは、二つ返事で承諾。そして、裁判をもう一度試みる。
今度はロニーという黒人の新しい弁護士を付ける事にした。ロニーはセクシャルマイノリティである彼らが、自分を弁護士に指名したのは、自分もまた人種的にマイノリティであるからではないかと皮肉を言いつつも引き受ける。
今度こそ勝てる、もうすぐ家に帰れるとマルコに連絡するルディだったが、相手方は、マルコの母を仮出所させ出廷させる。当然、養育権はマルコの母親に戻り、ネグレクトしていた過去があろうと、母親がマルコを手放さない限り、ルディ達には里親になることは事実上出来なかった。
家庭局から母親のいる家に帰ったマルコ。しかし、そこはマルコが帰りたかった場所ではなかった。母親は再び薬に浸り、男を連れ込み、ネグレクトは変わらなかった。マルコはひとり、ルディとポールの家を探しに夜の街に出る。
バーで声を振り絞り歌うルディ、夜の道を歩くマルコ、タイプライターに向かうポールがそれぞれ映される。ルディの歌と共に、ポールが裁判に関わった人々に宛てた手紙が読まれる。そこには新聞の片隅に載った切抜きと、マルコが家を求めて三日間さまよった挙句、橋の下で死亡したと淡々と綴られていた。ルディの歌の歌詞が死んだマルコを思わせたところで、エンドロールへ。
以上、映画チョコレートドーナツのあらすじと結末でした。
チョコレートドーナツのレビュー・感想:マイノリティと偏見
この作品の中にはマイノリティが多数描かれている。ルディとポールのセクシャルマイノリティ、ダウン症を抱えているマルコ、黒人のロニー。裁判の途中でルディがマルコを家庭局から引き取りたい理由に、マルコがダウン症を抱えていて家庭局に保護されていようとも里親が見つかる望みが薄いと言う場面がある。自分がゲイであることを隠してマジョリティの中に溶け込んでいたポールよりも、ゲイバーで働いていたルディには、マイノリティあるマルコにシンパシーを感じていたのではないだろうか。現にポール、ルディ、マルコの三人暮らしは、ルディがマルコと暮らすにはどうしたらよいかと言う相談から始まる。ルディとポールが同居を始めたのは、収入の安定しないルディの元にマルコをおくよりも、検事をしているポールと同居した方が養育権を得るのに有利だからと言う理由からである。彼らが幸せだったシーンはほとんど、挿入されたホームムービーに集約されている。それはさながら「絵物語」であり、うがった見方をするとまだ彼らにとっての幸せは、今もまだ絵物語でしかないと象徴しているように思える。
「チョコレートドーナツ」感想・レビュー
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この映画を良い作品だとか、悲しい話だとかそういう感想で終わらせてしまってはいけない気がしてしまう。また、ただ単にLGBT差別に関する話という訳でもない。実話を元にして作られた話とのことだが、この世界にいくらでもあり得る、問題や不幸が詰め込まれた作品だ。この作品を「良い映画だった」だけで終わらせてしまうのは、昨今取り沙汰されている「感動ポルノ」そのものだ。
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質疑応答のシーンで、ゲイのカップルであるが故にマルコがお人形が好きなのでは?という質問で、確かに、と感心してしまった自分がとても恥ずかしい。別に男の子がお人形遊びが好きでもなんら関係ないのに…。自分のLGBTに対する意識の低さを感じてしまった。凄く凄く苦しい結末ではあるけれど、沢山の人に見て欲しいと純粋に思える作品です。
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母親と父親がいて子どもがいるというのが、普通の家族の形だと無意識に思いこんでいた自分が恥ずかしくなりました。マルコは生みの母親からの愛情を受けずに生きてきましたが、2人のパパに出会い愛情を知り3人で家族になっていきました。授業参観でマルコの成長を見た2人のパパが涙ぐむシーンを見て、血のつながりだけが家族ではないこと、愛情というのは子どもにちゃんと伝わることがわかりました。ハッピーエンドではないラストに心が痛みますが、大切なことがたくさん詰まった映画です。
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今よりも同性愛者への共感がなかった70年代のアメリカの厳しさを目の当たりにしました。親に愛されたなかったマルコが学校へ通い、愛されることを知ったシーンはすごくいとおしかったです。ラストでマルコの最後が淡々とナレーションで説明されたシーンは涙が止まりませんでした。
前半は全てが愛しく、中半は幸せで、後半は切なくてひたすら苦しいです。ラストを見て悲しくなるものの、人間の尊厳を守る戦いを見守った深い経験が心に残ります。差別や偏見は人を殺めてしまうことが分かります。セクシャルマイノリティなどへの差別は絶対に無くさなければならないと感じました。