PLANET OF THE APES 猿の惑星の紹介:2001年アメリカ映画。猿に支配された惑星に不時着した宇宙飛行士の奮闘と脱出までを描いた作品。1968年の映画『猿の惑星』のリ・イマジネーション作品であり、猿が人間を支配しているという基本設定だけを踏襲し、ストーリーはほぼ書き換えられている。最終的にティム・バートンが監督に起用されたが、他にアダム・リフキン/オリバー・ストーン/クリス・コロンバスの3監督が企画を行っていた。
監督:ティム・バートン 出演:マーク・ウォールバーグ(レオ・デイヴィッドソン大尉)、ティム・ロス(セード)、ヘレナ・ボナム・カーター(アリ)、マイケル・クラーク・ダンカン(アター)、ほか
映画「PLANET OF THE APES 猿の惑星」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「PLANET OF THE APES 猿の惑星」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
PLANET OF THE APES 猿の惑星の予告編 動画
映画「PLANET OF THE APES 猿の惑星」解説
この解説記事には映画「PLANET OF THE APES 猿の惑星」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
PLANET OF THE APES 猿の惑星のネタバレあらすじ:1
西暦2029年。アメリカ空軍のレオ・デイヴィッドソン大尉は、深宇宙探索船オベロン号に搭乗し、土星周回軌道付近で動物実験を行うミッションに就いていました。オベロン号には、遺伝子操作によって高度な知能を得たチンパンジー・ペリグリーズが乗っており、レオはペリグリーズの知性を鍛えるべく、日夜実験と訓練を行っていました。一緒に生活をする中でレオとペリグリーズの間には、一種の絆が生まれていて、もはや親友同然です。そんなある日、オベロン号の近くの宇宙空間に奇妙な磁気嵐が出現、オベロン号上層部は安全確認手順に従い、探査ポッドの操縦を訓練されたペリグリーズを派遣することを決定。レオは自分が代わりに磁気嵐の調査に行くとオベロン号上層部に進言しましたが却下されてしまいました。しかし、ペリグリーズが乗る探査ポッドは磁気嵐に近づいた瞬間、モニターから消滅してしまいます。レオはペリグリーズを救出するため、上層部に無断で自ら探査ポッドに乗りすぐに後を追いますが、磁気嵐に近づいた瞬間、電子機器が停止してしまい、同じく磁気嵐に吸い込まれてしまいました。操作不能に陥った探査ポッドは、とある惑星に不時着してしまいます。その惑星は草木が生い茂る未知の惑星で、レオの探査ポッドは惑星の湿原に落下、そこは深い池で、水がどんどん侵入してきましたが、レオは命からがらポッドから脱出しました。森の中でレオは惑星の住民と思わしき、原始的な格好をした人間達と出会います。しかし、その人間達は「何か」に追われているようでした。一緒になって逃げるレオでしたが、その眼前に人間達を追う「何か」が現れます。
PLANET OF THE APES 猿の惑星のネタバレあらすじ:2
それは獰猛な猿でした。原始的な格好の人間達は次々と猿に捕えられていきます。レオは必死に逃げましたが、森から出たところで馬に跨り甲冑を身に付けた猿の軍団が出現します。驚くべきことに、その猿達は言葉を話していました。驚くレオでしたが、それも束の間。1匹のゴリラに蹴られ、捕えられてしまいます。捕らえられたレオは、猿達が暮らす街に連れてこられます。そこでは、猿達がまるで人間のような生活を送っていました。レオは一緒に捕えられた人間にここはどこだと聞きますが、返事はありません。人間を蔑む猿の子供らに石を投げつけられるレオ達人間。それを見ていた1匹の猿の女性・アリが制止しました。他の人間達と風貌が違うレオが気になるアリ。その後、レオは街の奴隷商人リンボーの下へ連れてこられますが、そこへアリが現れ、人間達はアホではないのだと解放します。その一瞬の隙をついてアリを人質にしたレオですが、耳元で助けてくれと小声で呟きます。それは、レオはやはり他の人間と違うと、アリを確信させる瞬間でした。アリはリンボーに、レオとさきほどの事件で逃げようとした人間の女性・デイナを買うと言い、一緒に家に連れて帰ります。アリは元・老院議員で権力者であるサンダーの娘で、立派な邸宅に住んでいます。レオはそこで給仕として仕えることになります。アリの邸宅で食事会が開かれ、今や猿の数倍の人口を持つに至った人間達の繁殖を、どうやって抑えるかの議論が行われていました。そこへ猿の軍勢を率いるセード将軍が遅れてやってきます。アリは人間を擁護する発言をしますが、セード将軍は人間のどこに魂があると言って水を運んできたレオに酷い扱いをしました。怒ったアリは席を立ちますが、権力を得たいセード将軍は後を追ってアリに言い寄りますが、考えが相反しセード将軍に気がないアリはそれを断ります。アリの邸宅を出たセード将軍は、見せたいものがあると部下達に言われ、森の中に出向きました。そこでセード将軍は、レオがこの星に不時着した時にできた焼け跡を見せられます。外部にこのことを漏らすわけにはいかないセード将軍は部下達を殺してしまいます。
PLANET OF THE APES 猿の惑星のネタバレあらすじ:3
一方、レオは再び脱出を図ります。デイナとアリの邸宅で長年働いてきた男と3人で脱出に成功したレオ。途中、デイナの家族も救出、レオは人間の高い知性と判断力を持って、皆を率いて脱出しようとします。追手が迫る中、アリはレオ達に力を貸し、子供の頃によく使ったという秘密の脱出路へ案内しますが、途中で猿の軍人・アターに見つかってしまいます。脱出の途中で傷ついたデイナの父・カルービは自らを犠牲に皆を逃がそうと、1人で猿の軍勢の前に立ち塞がりました。アターはカルービのその勇敢な行動に一瞬心を揺らがせますが、後からやってきたセード将軍にカルービは殺されてしまいました。そしてセード将軍はアターに、レオとアリ以外は全員殺すよう命じます。脱出に成功したレオ達は脱出ポッドが墜落した池に到着します。そこでポッドから武器や交信装置を取り出し、オベロン号に救出を要請します。交信装置に反応した電波はこの星から発信されており、レオは既に仲間が救出に来てくれていたのだと喜びます。装置が反応を示す場所へ向かうレオ達。一方で、セード将軍はサンダーに、自分に権限を与えるよう頼んでいました。娘を人間に誘拐されたと思いこんでいるサンダーは、軍に権力が渡ることを懸念しながらもそれを承諾します。権限を得たセード将軍は、アターを鼓舞した後、父の下に向かいました。セード将軍の父は病床についており、すでに死期が間近に迫っていましたが、人間達の技術力と知性の高さを知っており、セード将軍に、太古の昔人間は猿の主人だったと語ります。それに驚くセード将軍。続けて父は、カリマと呼ばれる猿達の聖地にレオ達人間を絶対に近づけてはならないと言い、人間達は1人残らず地獄に送りこめと言い遺し、息を引き取りました。
PLANET OF THE APES 猿の惑星のネタバレあらすじ:4
一方、交信装置の電波が反応を示した地点はカリマでしたが、レオ達はそれを知りません。途中にいた猿の軍勢もかわし、カリマに辿り着いたレオ達でしたが、何かがおかしい。遺跡のようなその場所では、たしかに交信装置が反応していましたが、半分砂の中に埋もれかけていて誰もいません。そこで壁にカリマと書かれているのを発見したレオ。砂を払い落とすと、そこには「動物研究区画 CAUTION LIVE ANIMALS」の文字が。単語の頭文字を取るとCA LI MAとなり、これこそがカリマと呼ばれる由縁なのでした。レオは最悪の状態に愕然とするも、船の航海日誌を見れば全てわかると、司令室で永久核動力を起動しモニターを見ました。レオとペリグリーズが行方不明になった後、彼らを捜索すべくオベロン号も磁気嵐に突入したものの、同じく不時着していまいます。動物実験に使っていた知性の高い猿達は、最初は人間の役に立っていましたが、オスザルのセモスがリーダーとなって人間達に反旗を翻したのでした。自分のせいで仲間達を死なせてしまったと落胆するレオでしたが、アリは自分たちを救ってくれたと励まします。セモスが反旗を翻したのはレオのおかげでもある、という意味でした。オベロンから出ると、レオの噂を聞いた人間達が次々と集まってきていました。セード将軍の軍勢は刻一刻と近づいて来ていましたが、その夜、アリはセード将軍の下に向い、セード将軍の求愛を受けると告げます。しかし、セード将軍はアリが人間達の側にいると見抜き、手に刻印を焼き付け、追い返してしまいました。オベロン号に戻ったアリは、権力は暴力に繋がるとレオに言いますが、レオはそれは防げると言います。そして、船に燃料が残っていることに気づいたレオは、ある作戦を立てました。
PLANET OF THE APES 猿の惑星の結末
セード将軍とアターが率いる猿の軍勢がオベロン号に迫り、人間達と対峙します。アターは攻撃の号令をかけ、猿達は突撃を開始しました。そこで人間達は一斉に馬を返し、オベロン号に向かいます。猿の軍勢が近づいたところで、レオはオベロン号の残った燃料に遠隔操作で点火し、エンジンを発火させます。猿の兵士達は吹き飛ばされ、弱ったところを人間達が襲いかかります。しかし、逆襲も束の間、新手の兵力を次々と投入してくる猿の軍勢に次第に劣勢になり、倒されていく人間達。レオもセード将軍に捕まり、首をへし折られそうになりました。遂にこれまでかと思ったその瞬間、空に光が輝き、探査ポッドがゆっくりと近づいてきました。ポッドの中から現れたのは、あのペリグリーズでした。ペリグリーズをセモスだと思い込んだ猿達はひれ伏します。信心深いアターは感激していましたが、父から事の始まりを聞いているセード将軍は合点がいきません。親友のペリクリーズと再開したレオはその着地を褒めました。しかし、ペリクリーズは急にオベロン号向かって走り出します。後を追うレオにセード将軍が襲いかかり、戦いが繰り広げられます。レオの危機を救わんとペリクリーズがセード将軍に飛びかかりますが、跳ね除けられ壁に打ちつけられます。隙とついたレオは、ペリクリーズが持ってきた銃でセード将軍を撃ちましたが、命中せずに逆にセードに銃を奪われてしまう。セード将軍がレオを撃とうとした瞬間、レオはドアセンサーに手を当て、セードは司令室に閉じこめられてしまった。そこへアターがやってきましたが、自分たちのルーツをレオから聞かされたアターは、セード一族に騙されていたと知り、セード将軍を助けようとはしませんでした。戦いは終焉を迎え、皆はレオがこの星に残ることを切望しますが、レオは地球に帰ることを決めます。ペリグリーズをアリに預け、デイナとキスを交わしたレオは、ペリグリーズが乗ってきたポッドに乗って再び磁気嵐に飛び込ました。磁気嵐を抜けたあと、地球に接近したレオに管制塔からの声が受信された。ポッドは壊れたものの、なんとか着陸したレオ。そこはワシントンD.Cのリンカーンメモリアルの前でした。しかし、そこにあるはずのリンカーン像の顔は、リンカーンではなく、なんとセード将軍の顔でした。「我々猿のためにこの惑星を救ったセード将軍をここに祀る」レオはやってきた猿の警官に取り囲まれ、呆然と手を挙げるのでした。
以上、PLANET OF THE APES 猿の惑星のあらすじと結末でした。
「PLANET OF THE APES 猿の惑星」感想・レビュー
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この映画「PLANET OF THE APES/猿の惑星」の監督ティム・バートンは、この映画の製作意図として、「オリジナルからインスパイアされたのは、猿に支配される人間という逆転の構図だけ。本作は続編ともリメイクとも違う、リ・イマジネーションである。」と語っていました。
SF映画の歴史の中でも、最も独創的且つ刺激的なコンセプトに、現在のアメリカ映画界屈指の豊かな想像力とビジュアル感覚を有する映像作家・ティム・バートン。この組み合わせで、心躍らない訳がない。
「シザーハンズ」「バットマン」「スリーピー・ホロウ」と、常に”異形の者への偏愛”を見せてきたバートン監督が、”猿”という題材に対して、どのようなアプローチをするのか、大いに期待しながら観た記憶があります。
しかしながら、結論から言えば、この作品の基本的なコンセプトである、”逆転の構図”は、そっくりそのままバートン映画の構図をも逆転させてしまっているのだ。
これまで、バートン監督が生み出してきた異形の者たちは、マイノリティであるがゆえの悲哀というものを内包していたと思う。ところが、この作品の異形の者=猿は、最初から圧倒的多数で人間を支配している。
そのため、そこに悲哀というのは生まれないのです。そうであるならば、ここでマイノリティに該当する人間に、悲哀を見出せばいいのですが、困ったことにバートン監督の興味は猿にばかり注がれているのだ。
その結果、いつものバートン・タッチの魅力が大きくそがれてしまったのだと思う。猿の惑星に不時着した宇宙飛行士のレオ(マーク・ウォールバーグ)は、奴隷として猿に囚われる。
人権擁護を訴える猿の女性アリ(ヘレナ・ボナム・カーター)に導かれ、ようやく脱出に成功。
猿の軍団を率いる将軍アリ(ティム・ロス)が追跡し、これを機に人間の一掃を実行に移そうとする。この中盤の脱出行は、かつての西部劇を彷彿とさせるような展開だ。
ただ、バートン監督の演出は今一冴えず、マーク・ウォールバーグのどこか間の抜けた演技もあって、活劇的なワクワクするような興奮はそれほどない。むしろ注目すべきは、この脱出の道中でレオとアリの間に芽生える恋心とおぼしき感情の交流だ。支配する側の猿が、支配される側の人間の才智に触れ、人間に近づこうとする勇気。
だが、地球に還ることしか頭にないレオは、そのアリの気持ちに応えることが出来ない。実は、ここに悲哀が生まれるような気がする。この線をもっと追求すれば、この作品はぐっと印象度が増したのではないかと思う。
猿の惑星に生きる人間の美女デイナ(エステラ・ウォーレン)の存在も、物語に大きく絡むのでもなく、影が薄いままなのだ。このように、観る前の期待が大きかった分、欠点ばかりが目についてしまったが、猿の特殊メイク、エイプ・シティという猿の集落などに見られるバートン監督のデザイン・センスは素晴らしいものがあると思う。
バートン監督に言わせると、この作品での”猿”は、「人間20%、猿80%」の猿人ということらしい。
しかし、割合がどうであれ、猿人は猿人と考えたくなるが、こうした明確なビジョンを掲げることで、猿が進化する過程で形成するであろう”文明の姿”、猿に扮する役者に求める演技など、バートン監督の具体的なイメージが定まっていったのだと思う。希代の映像作家ティム・バートンの優れたセンスの一端を垣間見るようだ。
それにしても、ラスト近くで、宇宙船で教育されていた猿のポッドが、惑星に着陸した頃から、おかしなムードが漂ってくる。
本人の全く関知しないところで”救世主”となってしまった素の猿の登場。ここに至るまでのスリリングな展開からすると、何かとても奇怪な感じがしてしまう。ここは笑っていいのだろうか?
そして、迎えるラスト——–。猿一色と化し、豹変した地球の姿。何が起こったんだ? これはもう笑うしかない。そもそももこれは本当に地球なのか?
失笑とハテナマークに包まれたまま、この映画は終わる——–。映画を観終えた後、やっと気づいた。
バートン監督は実は、かつての偉大なるオリジナル作品を茶化しているのだと。
バートン監督特有のイマジネーションと遊び心で。完璧な映像世界の向こうで”イタズラな笑み”を浮かべている、バートン監督の姿が目に浮かんでくるようだ。
これは見ない人は映画を語れない。(語れるけど、ホント見てほしいです)。猿の惑星って過去作と違う所は、登場する奴隷ヒトたちが会話できるんです。だから主人公と会話して戦闘戦略を図ります。ちゃんと奴隷ヒト達を丁寧に書いてくれてるから好印象。