甘い生活の紹介:1959年イタリア,フランス映画。巨匠フェリーニがその作風を確立した傑作。全体を貫くストーリーはなく、神への信仰を見失った主人公の放蕩ぶりがフェリーニらしいダイナミズムで描かれる。カンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞。
監督:フェデリコ・フェリーニ 出演:マルチェロ・マストロヤンニ(マルチェロ)、アニタ・エクバーグ(シルヴィア)、アヌーク・エーメ(マダレーナ)、アラン・キュニー(ステイナー)
映画「甘い生活」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「甘い生活」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
甘い生活の予告編 動画
映画「甘い生活」解説
この解説記事には映画「甘い生活」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
甘い生活のネタバレあらすじ:1
ヘリコプターによって運ばれてゆく巨大なキリスト像。眼下に広がるのはローマの市街です。同じくヘリに乗ってその運搬の様子を取材しているのは、フリー・ジャーナリストであるマルチェロ。彼は取材後、ナイトクラブへゆき、金持ちの娘・マッダレーナと再会します。マッダレーナは遊び好きで、絶えず何か刺激を求めていました。彼らは外へ出ると、そこにいた娼婦をマッダレーナのキャデラックで家に送ってやり、その部屋のベッドで愛を交わします。その後、マルチェロが帰宅すると、恋人のエンマが薬の飲み過ぎで倒れていました。病院に運んで「君を愛している」と口にするマルチェロですが、密かにまたマッダレーナにも電話をします。
甘い生活のネタバレあらすじ:2
翌日、マルチェロはローマを訪れたハリウッド女優・シルヴィアの取材を行います。彼女とも仲良くなった彼は夜通しローマの街を遊び回ることに。その次の日、ローマ郊外の村で幼い子供たちが聖母マリアを見たと言い出し、マルチェロはその取材へ。子供たちは記者たちの前でも「マリアがいる」と言いますが、真偽の程は不明です。さらにマルチェロは友人であるスタイナーのホーム・パーティへ。知性に溢れ、家庭も円満なスタイナーの姿にマルチェロは羨望を覚えます。しかし、マルチェロの自堕落な生活は変わらず、旧知の女性に誘われるまま貴族の城の乱痴気騒ぎに参加。マルチェロはここでマッダレーナと再び邂逅、体の関係を持とうとしますが、彼女は他の男とベッドへ向かいます。
甘い生活の結末
そして翌日になって、マルチェロにとってショックなニュースが飛び込んできます。彼の憧れだったスタイナーが子供をピストルで撃ち殺した後、自らも命を絶ったというのです。原因は不明でした。これによって、真面目になろうというマルチェロの望みは打ち砕かれます。海辺にある金持ちの別荘で、さらに大掛かりなパーティが催され、マルチェロはそれに参加。一晩中馬鹿騒ぎをします。翌朝になって浜辺に出ると、見たことのない怪魚が砂の上に打ち上げられていました。そして彼に呼びかける地元の少女の声を無視して、マルチェロは再び別荘へと戻っていきます。
以上、映画「甘い生活」のあらすじと結末でした。
「甘い生活」感想・レビュー
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<そして彼に呼びかける地元の少女の声を無視して、
<マルチェロは再び別荘へと戻っていきます。私は違う風に見ました。
マルチェロはあまりに世俗に塗れ過ぎているため
もはや少女の声が聞こえなくなってしまったのです…いろいろな解釈があるって面白いですね!
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この映画「甘い生活」は、壮大な風格を持った作品だ。
撮影が特に大がかりだというのではない。内容が、3時間という長さからさえも、はみ出しそうなほど、中身がたっぷり詰まっていて、一度観ただけでは、十分理解できたという気にはなれないくらい、豊だからだ。
それは、優れた長編小説を読んでいるような感銘を受けるのだ。この映画の監督は、「道」や「青春群像」や「サテリコン」などのフェデリコ・フェリーニだ。
そして、これらの作品で、断片的に、あるいはこじんまりと、まとまった形で提示されている問題が、この映画では力いっぱい、叩きつけるように投げ出されている。それは、一言で言えば、発展の方向を見失っている現代の人間たちが、どんな具合に堕落しつつあるか、という事だ。
主人公のマルチェロは、作家を志して田舎からローマへ出て来た青年だ。
しかし、多分、才能はないのだろう。
今は、暴露記事専門の新聞記者になっている。彼が追いかける事件は、キリストの像をヘリコプターにぶら下げて、町の上を運ぶという、カトリックの教会の馬鹿げた宣伝ぶりだったり、マリア様を見たという子供の妄想に狂喜して、どしゃ降りの雨の中を右往左往して、死人まで出す愚かな大衆の信仰ぶりだったり、アメリカからやって来たスターたちの乱行や、上流社会のパーティーのバカバカしさ、不道徳さなどだ。
その乱行は徹底していて、素人がストリップをやったり、いつも男娼をはべらしていたり、乱痴気騒ぎの馬鹿騒ぎをしたり。
しかも、そういう退廃的な風俗の中に、主人公自身、すっぽり首までつかってしまっていて、どうにも身動きができないのだ。
金持ちの娘と寝るにも、わざわざ町で娼婦を拾って、そのアパートの汚い地下室へ行き、そこで金持ちの娘と情事をするという具合なのだ。
しかし、そういう愚劣な生活はただ、彼らの心を益々救い難い空虚さに落とし込んでいくだけで、ゾッとするほど寂しく、落ち着かない。
享楽の場面と、幻滅の場面との繰り返しが、素晴らしく皮肉が効いていて、知的な詩に満ちている。
マルチェロに扮するのは、名優のマルチェロ・マストロヤンニで、他にアヌーク・エーメやアニタ・エクバーグ、アラン・キュニーなど、いずれも味のある、良い演技をしていると思う。
イタリアの巨匠フェデリコ・フェリーニの代表作。デヴィッド・リンチとカイル・マクラクラン、フランソワ・トリフォーとジャン=ピェール・レオと自分にそっくりの俳優を起用する監督がいますが本作の主演マルチェロ・マストロヤンニとフェリーニも瓜二つ。やはり主人公は監督自身の投影なのでしょう。アニータ・エクバーグの北欧らしいダイナミックでグラマラスな美しさと白黒で映される夜のローマの美しさが印象的でした。