スタンリーのお弁当箱の紹介:2011年インド映画。クラスの人気者スタンリー。けれど最近彼は昼休みのたびにどこかへ消えてしまう。その秘密を知ったクラスメイトたち彼のためにひとつ協力をする。
監督:アモール・グプテ 出演:パルソー(スタンリー)、ディヴィヤ・ダッタ(英語教師ロージー)、ラジェンドラナート・ズーチー(歴史教師ズーチー)、ディヴィヤ・ジャグダレ(科学教師アイヤル)、ラフール・シン(校長)、アモール・グプテ(国語教師ヴァルマー)、ほか
映画「スタンリーのお弁当箱」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「スタンリーのお弁当箱」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
スタンリーのお弁当箱の予告編 動画
映画「スタンリーのお弁当箱」解説
この解説記事には映画「スタンリーのお弁当箱」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
スタンリーのお弁当箱のネタバレあらすじ:起・スタンリーの秘密
スタンリーはクラスの中でもお話し好きの人気者。いつも面白い話をしてはみんなを楽しませていた。そんなスタンリーがある日顔に痣を作って登校してきた。市場で小さな子を助けた話をしてその場を和ませた。そしてスタンリーは今日も昼時になると教室出て行っき、水道水を飲んで空腹を満たしていた。クリスマス前になり、授業が遅れていることが発覚、休暇の後で学校は歩行を設けることになった。そこで先生たちは、午後の授業が長くなるので大きなお弁当を持ってくるように言った。
スタンリーのお弁当箱のネタバレあらすじ:承・食いしん坊の先生
ヴェルマー先生は人一倍食いしん坊で、自分のお弁当箱を持て来ずに、昼時になると他の先生や生徒たちから少しずつお弁当を分けてもらっていた。その中でもいつも大きなお弁当箱を持ってくるスタンリーのクラスメイトのアマンの大きなお弁当を狙っていた。お昼時になるとスタンリーの教室にやって来ては、アマンのお弁当箱からたくさんの食べ物を取って言っていた。 スタンリーのクラスメイトは、昼時になるとスタンリーがいなくなるのをおかしく思い、探しに行った。家に食べに帰ると言っていたスタンリーは町で時間が経つのをただ待っていた。
スタンリーのお弁当箱のネタバレあらすじ:転・みんなで食べるおひるごはん
スタンリーに事情を聞くと、父親が仕事でデリーに行き母親がそれについていってしまい、今はスタンリーにお弁当を作ってくれる人がいないと言うことが分かった。それを知ると、クラスメイト達はヴェルマー先生に見つからないように毎日場所を変えながら、皆で少しずつスタンリーに自分のお弁当を分けて一緒にお昼ご飯を食べることにした。 アマンの豪華なお弁当を狙っているヴェルマー先生は、毎日彼らを探しようやく見つけると、スタンリーがみんなにお弁当を分けてもらっているのを見て、お弁当も持ってこれない子は学校へ来るなと叱責した。その日以来スタンリーは学校を休み、生徒や他の先生は彼を心配した。
スタンリーのお弁当箱の結末:スタンリーのかかえる現実
学校では、協賛団体でコンサートが行われることになり、各学校から合唱やダンスのできる子を募集していた。友人たちは先生たちに一度校内オーディションをされるが、一番得意なのはスタンリーだと知っていた。そして学校に来るに来れないスタンリーを見つけ出し、学校を通さずに直接練習場へ行くようにアドバイスした。そこでスタンリーはコンサートのメンバーに見事採用された。 学校ではスタンリーの友人たちがヴェルマー先生に、どうして先生にはお弁当を分けているのに、スタンリーに分けるのがいけないのか問い詰め、他の先生も、スタンリーが学校へ出てこないのはヴェルマーの叱責が原因だとまだ校長まで話を挙げないまでも怒っていた。 コンサートの前日、スタンリーはアマンの豪華なお弁当ほどの大きなお弁当箱に、お弁当を詰めて登校し、ヴェルマーの所へ行くと、お弁当を持ってこれるから学校へ通うと言った。その時、ヴェルマーはすでに辞表を出していた。 スタンリーはお弁当を、友人たちや、自分に字を使ってくれた先生に少しずつ分けた。 そして、大成功を収めたコンサートの後、スタンリーは校長先生に家まで送ってもらった。そこは料理屋で、スタンリーのおじさんは日曜日のかきいれ時にスタンリーが手伝いいなかったという事で彼を叩いた。スタンリーの両親は仕事の都合でデリーに行ったのではなく、他界しており、彼は今親戚の下で働きながら学校に通っていた。お弁当は調理場で働いている仲間があまりものをこっそり詰めてくれているものだった。 そしてスタンリーは朝になると大きなお弁当箱を持って、学校へゆく。
以上、映画スタンリーのお弁当箱のあらすじと結末でした。
スタンリーのお弁当箱のレビュー・考察:インドの就学問題
作品の最後に、インドの労働をしている子供の数、また、就学しながら過程で労働を行っている数が提示される。この作品の入り口はお弁当だが、就学児童たちの労働問題まで掘り下げられる。作中、スタンリーが親戚のレストランで働いている場面が映されるのはほんの少しだけれど、お弁当がない(両親の死亡)状態になってから彼がずっとこの就業と学業を両立させていたと言う事は容易に想像できる。しかしスタンリーはクラスメイトにも先生にも、自分が働いている事や両親が他界していることは話さない(おそらく知っているのは校長先生のみ)。それは、明るいムードメーカーのスタンリーとしての彼のプライドを自分自身で守っているからかもしれないと、最後の数分で思い知る。
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