痴人の愛の紹介:1967年日本映画。1949年、1960年にも映画化された谷崎潤一郎の名作長編を再映像化。前年「エロ事師たちより 人類学入門」で様々な男優賞を受賞した小沢昭一が、若い女性に翻弄される小心な男を熱演している。脚本を担当したのは、のちに時代小説家・隆慶一郎となった池田一朗。
監督:増村保造 出演:小沢昭一(河合譲治)、安田道代(ナオミ)、田村正和(浜田伸夫)、倉石功(熊谷政太郎)、内田朝雄(花村医師)、村瀬幸子(澄江)
映画「痴人の愛(1967年)」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「痴人の愛(1967年)」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「痴人の愛(1967年)」解説
この解説記事には映画「痴人の愛(1967年)」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
痴人の愛のネタバレあらすじ:起
河合譲治はある工場に勤めるエンジニア。30歳を過ぎているのにまだ独身です。酒、麻雀、パチンコ、競輪、競馬にも縁がなく、もちろん浮いた噂などひとつもありません。回りからは野暮な朴念仁と見なされて、影の薄い存在でした。しかし実は河合はある女性とすでに同棲していて、彼女との生活に生きがいを見出していたのです。彼女の名前はナオミ。まだ18歳です。行きつけの喫茶店でウエイトレスとして働いていた彼女を河合が見初め、家を買った上で一緒に暮らしはじめたのでした。
痴人の愛のネタバレあらすじ:承
河合の実家は山林を持っていて、お金には困りません。そして飲み屋をやっているナオミの両親も「いい厄介払いができた」とばかり、むしろ同棲に乗り気だったのです。天真爛漫なナオミは18歳だというのにまるで子供で、河合には父親のように接していました。河合の方でも彼女の心身を磨き上げ、自分の望む女性に仕上げてから結婚するつもりです。しかしナオミは自らの成熟した肉体を持て余し始め、マッサージの最中に河合を誘惑。抗しきれなくなった河合はついに彼女と関係を持ちます。
痴人の愛のネタバレあらすじ:転
間もなく結婚するふたり。晴れて夫婦となりました。しかし、勉強を押しつけてばかりの河合にナオミは飽き足らなくなり、一緒にイタリア語を習っている慶應大学の学生・熊谷と体の関係を持ってしまいます。河合は最初そのことを知らず、彼女と一緒にイタリア語教師のパーティに行ったり、熊谷とその仲間である浜田と交流したりしますが、やがて自分を騙してアバンチュールを楽しむナオミと熊谷たちを目撃。激怒してナオミを家から追い出します。間もなく河合に同情した浜田がわざわざその後のナオミの消息を伝えに来ました。
痴人の愛の結末
色々な男と関係を持ってはその家に転がり込むという生活で、今では遊び人の間で娼婦扱いされ、軽蔑の対象だというのです。やがて突然ナオミが河合の家にあらわれます。内心喜んだものの、わざと冷たくあしらう河合。その時は服を取りに来ただけで、ナオミはすぐに帰ってしまいます。しかしこれが河合の気持ちに火をつけました。再度姿を見せたナオミに河合は復縁を懇願。「浮気しても許すか?」と聞かれて従順にうなづく河合。こうしてナオミとの生活を取り戻し、河合は再び幸せに浸るのでした。
【増村保造のパッションと執念が結実した破天荒な傑作ドラマ】 〈エネルギッシュでパワフルだった1967年の日本〉 「妾:めかけ」や二号さんなどを含めた、男女における「愛人関係」は誠に複雑であり また面妖でもある。 その一つ一つのケースの全てが異なっているので、とてもじゃないが「十把一絡げ」にして「類型化」出来るものではない。 ことほどさように 「男と女の仲」は常に「ケースバイケース」なので「痴人の愛」のような、奔放にして露骨なる「極端な快楽主義」(エピクロス)に走る人間も出てくるわけだ。 さて、この谷崎潤一郎の「痴人の愛」は典型的な私小説である。 だから「痴人の愛」の主人公「河合譲治」のモデルは恐らく「谷崎」本人であろう。 そして映画「痴人の愛」の 河合譲治(小沢昭一)のモデルは、実はこの映画を撮った「増村保造」本人なのではないかとさえ思えてくる。 更には この映画を見た上で、今この映画のレビューを書いている私もまた「河合譲治の化身」なのかも知れない。 「いったいこれは」どういうことなのかと言えば、この作品には「男と女」の「あるある」がいっぱいに詰まっていて、その一つ一つが「我が身にも」当てはまるからではないかと思われる。 ナオミを演じた「大楠道代」(旧名 安田道代)の「野性味が溢れる」身体と表情は「正に一級品」であった。 殊にその「挑発的」で好戦的な彼女の「眼であり 目つきや 目力」が魅力的/セクシーで最高なのである。 更にナオミの全身から「ほとばしる」エネルギーは、まさに「野生馬/駿馬」の「ソレ」であり、私もまた 譲治のように「ナオミの調教」に「勤しみたいものだ」と さえ思わせる。 だから「小沢昭一」が風呂場で大楠道代の「裸身を磨き上げる姿」は、或る意味では「男の理想像」であり、これは「男冥利に尽きる」のではないだろうか。 しかし映画のラストシーンではナオミに「馬乗り」に跨られて「ヒィーヒィー」と泣かされた挙句、「命令口調」で矢継ぎ早に「無理難題」を押し付けられて「約束/服従」させらてしまう。 つまり、いつのまにかナオミと譲治の立場がすっかりと「逆転」しまうのである。 これは「自分が調教しているつもりだったのが、気がつけばいつのまにか自分に方が調教されていた」ということになる。 このように「サディズム」と「マゾヒズム」は常に「紙一重」なのであって、「SとMが逆転」することが多々あるのだ。 また この映画は非常に「パンチが効いて」いて全編に渡り、とても 「エネルギッシュでパワフル」だ! そして観客をグイグイと引っ張ってゆく「楽天的で大らかな」エロスなど 、「自由で奔放」な「性愛」の描写に徹した作品となっている。 なので「これでもかこれでもか」と全編に渡り「大楠道代のヌード写真」がいっぱいに配置されている。 この「痴人の愛」は大楠が「安田」を名乗っていた頃の1967年の作品なので、大楠道代は「20歳」になったばかりのピチピチ/ピカピカの「小娘(ギャル)」なのであった。 その「大楠を全裸にして」片っ端からヌード写真を撮りまくるマニアックな「増村保造のパッションと執念」には恐ろしいものがある。 ところで「1960年代」と言えば、例えば「平凡パンチ」(64年創刊)や「週刊プレイボーイ」(67年創刊)などの「週刊誌のヌードグラビア」が印象的だった。 かつて増村の「盲獣」のレビューもで述べたように、小学2年生だった1967年に、私は近所の散髪屋で初めて「週刊誌のヌードグラビア」を手にしている。 また増村は1964年から放映されたTBSの人気テレビシリーズ「ザ・ガードマン」を数多く手掛けているが、「痴人の愛」が封切られた1967年までの4年間に全部で「22作品」を撮っている。 その「ザ・ガードマン」でも増村は、「挑発的」で「劣情的」な「お色気シーンやヌード」を積極的に取り入れていたのである。 3年前に「64東京オリンピック」を終え、3年後に「EXPO70大阪万博」を控えた「1967年の日本」は正に挑発的で「怖いもの知らず」であり、恐ろしいほどに「エネルギッシュでパワフル」だったのである。 こういった「破天荒」で実験的な「時代背景や時代の要請」をうけて 増村保造の「痴人の愛」が創造されたのである。 だから「下品だの不謹慎などの」外野からの「不当な非難/批判」を「一笑に付す ほどの逞しさ」も身に付けていたのだ。 そして究極的には「谷崎潤一郎」も「増村保造」も「 わたくし」も、三者は共に みな「修羅と化した」熱心な女性の賛美者であり、病的でマニアックな「女体の信奉者」なのである。