ワーテルローの紹介:1969年イタリア,ソ連映画。イタリアとソ連(当時)の合作による超大作歴史ドラマです。1815年6月18日に行われたフランス皇帝ナポレオン1世率いるフランス軍とイギリス軍司令官ウェリントン公率いるイギリス・オランダ連合軍との戦い「ワーテルローの戦い」を圧倒的スケールで描き切っています。
監督:セルゲイ・ボンダルチュク 出演者:ロッド・スタイガー(ナポレオン・ボナパルト1世)、クリストファー・プラマー(ウェリントン公アーサー・ウェルズリー)、ジャック・ホーキンス(トーマス・ピクトン)、オーソン・ウェルズ(ルイ18世)、バージニア・マッケンナ(リッチモンド侯爵夫人)ほか
映画「ワーテルロー」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ワーテルロー」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「ワーテルロー」解説
この解説記事には映画「ワーテルロー」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ワーテルローのネタバレあらすじ:起
その圧倒的なカリスマ性と軍事力でヨーロッパ全土に君臨してきたフランス皇帝ナポレオン・ボナパルト1センター(ロッド・スタイガー)。しかし、イギリス、オーストリア、ロシア、プロイセンなどのヨーロッパ諸国の反撃を受けて次第に劣勢に追い込まれたナポレオンは最大の危機を迎えようとしていました。1814年4月、パリ郊外のフォンテーヌブロー宮殿にいたナポレオンは徹底抗戦の構えを崩さず、これに対して参謀ミシェル・ネイ元帥(ダン・オハーリヒー)ら元帥たちは皇帝退位を迫りますが、ナポレオンは頑なにそれを拒否しました。しかし、反ナポレオンの連合軍によってパリは陥落、パリ防衛を任されていたオーギュスト・マルモン将軍が降伏したことから、ナポレオンはやむを得ず調印書に署名して皇帝を退位しました。ナポレオンは将兵に別れを告げ、隠遁の地である地中海の孤島エルバ島に向かいました。ところが、それから10ヶ月後の1815年3月、ナポレオンは突如1000人弱の兵を率いてエルバ島を脱出、南フランスに上陸しました。
ワーテルローのネタバレあらすじ:承
ナポレオン上陸の報を聞いたフランス国王ルイ18世(オーソン・ウェルズ)は、ニコラ=ジャン・ド・デュ・スールト元帥(アイヴォ・ガラーニ)とネイ元帥に命じてナポレオン討伐の大軍を差し向けましたが、ネイ元帥の軍はナポレオンの姿を一目見るや続々とナポレオン側に寝返っていきました。民衆の熱烈な歓迎を受けて堂々とパリに無血入城を果たすと、ルイ18世を追放して再び皇帝の座に返り咲きました。ナポレオンの復活にイギリスやプロセインなど各国は直ちに宣戦布告、フランスに対して着々と包囲網を敷くなか、ナポレオンはイギリス・オランダ連合軍とプロイセン軍の両方を叩くため自ら大軍を率いてブリュッセルへの進軍を開始しました。6月15日、イギリス軍司令官ウェリントン公アーサー・ウェルズリー公爵(クリストファー・プラマー)は部下のトーマス・ピクトン将軍(ジャック・ホーキンス)らと共にリッチモンド侯爵夫人(バージニア・マッケンナ)主催の舞踏会に出席していましたが、フランス軍来襲の報を聞いて舞踏会を抜け出し、急遽作戦会議を招集してワーテルローの地でフランス軍を迎え撃つ作戦を立てました。翌16日、フランス軍はリニーの戦いでゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヒャー元帥(セルゴ・ザカリアズ)率いるプロイセン軍を、カトル・ブラの戦いでイギリス・オランダ連合軍を打ち破り、ナポレオンは部下のエマニュエル・ド・グルーシー元帥(シャルル・ミロー)に3万の兵を与えてプロイセン軍の追撃を命じました。
ワーテルローのネタバレあらすじ:転
6月17日、豪雨が降り注ぐ中、プロイセン軍はグルーシー部隊の追撃をかわしながらイギリス・オランダ連合軍への合流の機会を伺っていました。ウェリントン公はプロイセン軍の使いの者に翌日の午後1時までにワーテルローへ集結するよう要請しました。フランス軍の主力が、イギリス・オランダ連合軍がそれぞれワーテルローへ集結しつつありました。
そして迎えた1815年6月18日。雨も上がり、フランス軍とイギリス・オランダ軍はそれぞれ戦闘配置につきました。11時35分、号砲と共に遂に“ワーテルローの戦い”の火蓋は切って落とされました。フランス軍はイギリス軍の拠点ウーゴーモン砦に攻勢をかけ、ピクトン将軍をはじめ数多くの戦死者を出しました。スコットランドの騎兵隊もフランス軍の返り討ちに遭い、イギリス軍は劣勢に追い込まれたその時、遠方からプロイセン軍がイギリス・オランダ軍に加勢するために現れました。
ワーテルローの結末
ナポレオンは持病の胃の病に苦しめられ、軍医は休息を取るよう進言しました。その頃、ウェリントン公はプロイセン軍が到来するまでの時間稼ぎとして、フランス軍の砲撃を避けるため一時的に後退を始めました。ネイ元帥はイギリス軍が撤退を開始したと勘違いし、一気に勝負をかけるべく騎兵隊を突入させますが突破口を開くことができませんでした。両者が一進一退の攻防を繰り広げるなか、午後6時、戦線の中央に位置するラ・エイ・サンテの農家を先に占領した者が勝利を掴めると判断したフランス軍は一気に農家を占拠、その勢いでイギリス軍を突き崩そうと精鋭部隊を送り込みますが必死の抵抗に遭い前進することはかないませんでした。午後7時、遂にフランス軍は総攻撃を開始しましたが、そこにブリュッヒャー元帥率いるプロイセン軍が到達すると戦局は一転、ラ・エイ・サンテの農家はイギリス軍に奪還され、敗色が濃厚となったフランス軍は退却せざるを得ませんでした。午後8時、イギリス・オランダ・プロイセン連合軍は遂に総攻撃を開始、遂にナポレオンは戦線を離脱してパリへ逃れました。一部のフランス軍はイギリス軍からの降伏勧告に応じず、壮絶な全滅を遂げました。戦いが終わり、ウェリントン公の目には戦場の悲惨な光景が映っていました。
このディノ・デ・ラウレンティス製作、セルゲイ・ボンダルチュク監督による戦争超大作「ワーテルロー」は、1815年6月15日にベルギーのワーテルローにおいて、ナポレオン率いるフランス軍と、ウェリントン率いるイギリス軍との天下分け目の世紀の戦いを大スケールで活写した作品で、一説によるとこの戦いで両軍合わせて5万人以上の死者が出たと言われています。
構想に約9年、映画の完成までに2年を費やし、製作費が当時の費用で3,000万ドル(108億円)の巨費が投じられたといいます。
この超大作にふさわしく、ナポレオンに「質屋」「夜の大捜査線」のメソッド演技を得意とする名優ロッド・スタイガー、ウェリントンに「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ大佐役で世界的に有名になったクリストファー・プラマー、ルイ18世に映画史上No.1の作品だと言われている「市民ケーン」の天才オーソン・ウェルズ、ピクトン将軍に「戦場にかける橋」「ベン・ハー」に出演しているイギリスの渋い名脇役のジャック・ホーキンスと錚々たる面々が顔を揃えています。
やはり、この映画での最大の見せ場は、ワーテルローでの戦闘シーンのド迫力の凄まじさです。
ナポレオンを主役にした映画は、それまでにも数多くありましたが、ワーテルローの戦いという局地戦に的を絞って徹底的に描いた映画は、この作品が初めてではないかと思います。
この撮影にあたってウクライナの広大なジャガイモ畑を大がかりに整地し直して、ワーテルローの戦場シーンを作ったというから驚いてしまいます。
しかも、この戦闘シーンのために、当時のソ連軍が2万人、ユーゴスラビアの兵士8千人が大量にエキストラとして動員され、馬も1,500頭が準備されたと言われています。
現代であれば、このようなスペクタクルシーンは、CG処理でやってしまうところを、そういう技術もない時代に、これだけのスケールの人員、馬などを大量に投入できたというのは、大プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティスの力とソ連の協力があったからこそ、成し得たのではないかと思います。
とにかく、CGとは違う、生のド迫力が楽しめるのです。
映画のストーリーとしては、クライマックスのワーテルローの戦いに収斂するまでの、ナポレオンが皇帝の地位の退位を決断し、一緒に戦った部下たちとの別れのシーン、幽閉地のエルバ島を脱出して、パリへと凱旋する過程でそのパリへの到着を阻もうとするネイ将軍を撃破するシーン、そして、ライバルのイギリス軍のウェリントン側が舞踏会でその情報を聞くシーンなどが時系列的に描かれていきます。
この映画を観終えて、まず思うのは、ナポレオンを演じたロッド・スタイガーの、メソッド演技に基づいた、ナポレオンという一人の人間の心の内奥に迫る、奥深い演技には唸らされてしまいます。
一人の人間の内面の喜怒哀楽の深層をその表情やしぐさ、立ち居振る舞いの一つ一つを通して鮮やかに演じていて、英雄としてではなく、人間ナポレオンの人間像を、実に見事に表現していたと思います。
そして、クライマックスのワーテルローの戦闘シーンは、ナポレオン側の作戦・戦術も、ウェリントン側の作戦・戦術もきちんと丁寧に説明されているので、この一大攻防戦をお互いの立場に立って、じっくりとハラハラ、ドキドキしながら楽しめました。
おまけに、両軍の軍服もきちんと色分けされていたのも、良かったと思います。
この映画の中で、勝者のウェリントンが、確か「なぜ我々は殺し合わなければならぬのだろうか? なぜなのか? 敗戦の次にみじめなのは勝った者だ—–」というような意味の言葉を発したのが、戦争というものの虚しさや愚かさを表現していて、非常に印象に残りました。