ラスト・シューティスト(原題: The Shootist)1976年アメリカ映画。西部開拓時代終焉後の1901年の西部ネバダ州を舞台に、末期ガンに侵された伝説のガンマンが死を迎えるまでの1週間を描いた西部劇です。主演のジョン・ウェインは本作公開3年後の1979年に他界、本作が惜しくも遺作となりました。
監督:ドン・シーゲル 出演者:ジョン・ウェイン(ジョン・バーナード・ブックス(J・B))、ジェームズ・スチュワート(E・W・ホステトラー医師)、ローレン・バコール(ボンド・ロジャース夫人)、ロン・ハワード(ギロム・ロジャース)、リチャード・ブーン(マイク・スウィーニー)、ヒュー・オブライアン(ジャック・プルフォード)、ビル・マッキーニー(ジェイ・コッブ)、ハリー・モーガン(ウォルター・J・ティビドー保安官)、ジョン・キャラダイン(ヒゼキア・ベッカム)、シェリー・ノース(セレプタ)、リック・レンツ(ダン・ドブキンス)、スキャットマン・クローザース(モーゼス)ほか
映画「ラスト・シューティスト」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ラスト・シューティスト」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
映画「ラスト・シューティスト」解説
この解説記事には映画「ラスト・シューティスト」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ラストシューティストのネタバレあらすじ:起
西部開拓時代も終焉して久しい1901年1月22日。アメリカ西部ネバダ州のカーソン・シティに、かつてフロンティアに生きた伝説のガンマン“J・B”ことジョン・バーナード・ブックス(ジョン・ウェイン)が戻ってきました。
かねてから腰を病んでいたブックスは町の医師E・W・ホステトラー(ジェームズ・スチュアート)の診察を受けたところ、他の医師の診断と全く同じ結果となりました。ブックスは末期ガンと診断され、余命幾ばくもない状態だったのです。
ブックスは終の住処としてホステトラー医師から未亡人のボンド・ロジャース夫人(ローレン・バコール)が経営する下宿屋に世話になることにしますが、ロジャース夫人の息子ギロム(ロン・ハワード)から年寄り呼ばわりされたブックスは彼を子ども呼ばわりして怒らせてしまいます。
しかし、ブックスから愛馬ダラーの世話を頼まれたギロムは、厩舎のモーゼズ・ブラウン(スキャットマン・クローザース)からブックスがかつて30人もの人々を殺してきた伝説のガンマンだと知らされ、母共々驚いてしまいます。
ラストシューティストのネタバレあらすじ:承
1月23日。
人殺しを下宿させるわけにはいかないと考えたロジャース夫人はブックスを追い出そうと考え、ウォルター・J・ティビドー連邦保安官(ハリー・モーガン)を呼びました。ティビドー保安官は最初のうちはブックスに恐れをなしたものの、彼の命が短いと聞くと安心して引き上げて行きました。ロジャース夫人もブックスの余命を知り、仕方なく下宿されることにしました。その一方で、ギロムは母とは対照的に名の知られるブックスに対して敬意を払うようになりました。
1月24日。
ブックスの噂はあっという間に町中に広がっていき、噂を聞きつけた新聞記者ダン・ドブキンス(リック・レンツ)は興味本位で記事を書こうと接触してきましたが追い返されてしまいます。一方、痛みに苦しむブックスはホステトラー医師からアヘンをもらった際、ただ痛みに苦しむだけの日々を過ごすよりも他に有意義な方法を考えるよう提案されました。
1月25日
ブックスは謝罪してきたロジャース夫人を遠乗りに誘い、彼女もブックスへの誤解を解きましたが、ブックスを兄の敵と狙う男マイク・スウィーニー(リチャード・ブーン)がカーソン・シティにやってきました。その夜、ブックスはならず者二人に寝込みを襲われ、二人とも射殺しました。この際、ギロムは母からブックスが癌で余命の長くないことを知らされました。
ラストシューティストのネタバレあらすじ:転
1月26日。
ブックスはギロムがモーゼズに愛馬ダラーを売ろうとしていたことを知り、その理由を尋ねました。ギロムはブックスのせいで下宿人が出て行き、部屋は昨晩の騒動で血の海になり、そしてブックスが死ぬことで母が悲しんでいたことを伝えました。ブックスはギロムに迷惑をかけたことを謝り、ギロムに射撃を教えていくうちに次第に心を通わせ合うようになっていきました。
その後、ブックスのかつての恋人セレプタ(シェリー・ノース)が彼の元を訪れ、結婚を迫ってきましたが、ブックスは彼女の目的が伝記を出版させて一儲けすることだと知って愕然としました。
1月27日。
死期を悟ったブックスは葬儀屋のヒゼキア・ベッカム(ジョン・キャラダイン)に自らの葬儀を依頼するとスウィーニー、ブックスを倒して名を上げようと目論むギャンブラーのジャック・プルフォード(ヒュー・オブライエン)、町のならず者ジェイ・コッブ(ビル・マッキニー)三人にギロムを通じて宣戦布告、明後日の29日に酒場で待つよう伝えました。ギロムはますます病状の悪化したブックスの姿に彼の覚悟を悟りました。
1月28日。
ブックスはバスルームでとうとう動けなくなってしまい、彼を気遣ったロジャース夫人に明日何も言わずに送り出して欲しいと頼みました。彼の覚悟を悟ったロジャース夫人はそれを約束、ブックスは買い戻していた愛馬をギロムに贈りました。
ラストシューティストの結末
1月29日。この日はブックスの誕生日でした。
ロジャース夫人は酒場に向かうブックスを送り出しますが、彼の後姿に涙を流しました。酒場には既に呼び出されたプルフォード、コッブ、スウィーニーが待ち構えており、ブックスとバーテンダーを含めると5人しかいませんでした。
酒場に姿を現したブックスは上等な酒をあおるとまず発砲してきたコッブを射殺、続いてスウィーニーに肩を撃たれながら彼も射殺、銃の名手であるブルフォードも一撃で射殺しました。全てを終えたブックスでしたが背後からバーテンダーに撃たれてしまい、その場に駆け付けたギロムがバーテンダーを射殺しました。
倒れ込んだブックスはギロムに笑顔を見せながら息を引き取りました。駆け付けたホステトラー医師はいつまでもブックスの亡骸を見つめ、酒場を出たギロムは自分を出迎えに来たロジャース夫人と共に自宅へ戻っていきました。
以上、映画「ラスト・シューティスト」のあらすじと結末でした。
ラストシューティストのレビュー・考察
【これが遺作です】
例えば仮にお前は末期ガンだからあと1週間しか生きられないと医者に告げられたら人はどうするだろうか。よほど人間出来た人とか宗教の信者は別にして、凡人(私も含めて)だとせいぜい美味いものを腹いっぱい食べ自分の好きなことを精いっぱいやるか或いは気が狂って自殺してしまうかまあそんなとこだろう。ところがここに偉大な男がいた。今は亡きジョン・ウェインである。
【西部劇の終焉】
1901年1月22日ネバダ州カーソン・シティ、伝説の老ガンマン ジョン・ブックは腰の痛みについて診察を受けに来たがガンを宣告され下宿屋に滞在することになる。かつて30人を殺した名ガンマンの登場に噂は瞬く間に広がりかつての仇敵たちやこれで一儲けしようと目論む者たちで町は騒がしくなる。が、静かに最期を迎えたい名誉ある老ガンマンは残された1週間の命を最後の最後まで誇りを汚すことなく西部男の心意気ここにありというところを見せてくれた。
それがまるでジョン・ウェインその人の自叙伝と言うか彼を主人公にシナリオを書いたのかと錯覚させるほど設定が似ていて(ちゃんと原作があるそうな)驚いてしまった。実際がんに侵され苦しんでいたであろうジョン・ウェインがよくこの役を引き受けたと思うが、実はお偉い批評家たちが言っているところのこの映画は映像で示したウェイン自身の遺書であろう。今まで貫いてきた精神を最後になって弱音を吐きブザマな姿をさらしてしまっては物笑いの種になる。実際はどのような姿で最期を迎えたのか知らないがこの映画を実人生とオーバーラップさせることによりジョン・ウェインは永遠の伝説のヒーローになりえたのではないだろうか。
【合掌!】
ドン・シーゲル監督にしてはずいぶん悠長な演出で、ちょうどサム・ペキンパーの「ジュニア・ボナー」を観た時のような戸惑いを覚えた。もっとも共演がローレン・バコール、ジェームス・スチュアートといったヨイヨイ(失礼!)の集まりではしょうがないとは思うが・・・。じゃあつまらなかったかと言うとそんなことはない。主人公の残された時間との闘いを描いては絶品のシーゲルは気品良く淡々と見せてくれ、下宿の女将といがみ合いながらも次第に心惹かれていく様は久しく忘れていた映画をじっくり味わう悦びを思い出させてくれた。ジョン・ウェインが亡くなる数か月前にアカデミー賞授賞式のプレゼンターとして彼が現れたのを見た時、痩せこけてかつての面影が全くなくなっていて驚いたのを思い出します。
「ダーティハリー」のドン・シーゲル監督の演出にジョン・ウェインは目をみはり、以来、いつかは一緒に仕事をすることを切望していたと言われるが、それが最後に実現した。
その映画が、このジョン・ウェインの遺作となった西部劇の「ラスト・シューティスト」で、癌に侵された老ガンマンの最後の一週間が、淡々と描かれる静かな西部劇だ。
下宿の未亡人(ローレン・バコール)と馬車で郊外に遠出するシーンの束の間の安らぎ、静かな風景の美しさ。
新聞記者も保安官も、あばずれの情婦も野次馬たちも、死を覚悟した老ガンマンの心の静かな決断を乱すことはできない。
ラストの決闘シーンすら、最後の力を振り絞った男たちの老残の闘いのような、物悲しい印象を与える。
最後の西部劇のヒーローらしく、ジョン・ウェインが静かに最後の花道を去っていった感じだ。
映画の冒頭に、「赤い河」「リオ・ブラボー」「ホンドー」「エル・ドラド」といったジョン・ウェインの映画の抜粋が紹介され、そのイメージにダブらせて、映画の主人公の経歴を語るという、まさにジョン・ウェインその人のキャラクターとイメージの伝記映画とも言うべき作品になっていると思う。