アンネの追憶の紹介:2009年イタリア映画。「アンネの日記」の著者として有名なユダヤ人少女アンネ・フランクの最期の日々がつづられたイタリア映画。アンネの日記、アンネの親友のハネリ・ホスラーの証言を元に作られました。
監督:アルベルト・ネグリン 出演:ロザベル・ラウレンティ・セラーズ(アンネ・フランク)、エミリオ・ソルフリッツィ(オットー・フランク)、モーニ・オヴァディア(ラビ)、バコニー・チッラ(ミープ)、スルディ・パンナ(ハネリ・ホスラー)、ほか
映画「アンネの追憶」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「アンネの追憶」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
アンネの追憶の予告編 動画
映画「アンネの追憶」解説
この解説記事には映画「アンネの追憶」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
アンネの追憶のネタバレあらすじ:起
1935年のアムステルダムで引っ込み思案のハネリ・ホスラーは学校になかなか入ろうとできずにいました。しかしそこにアンネが元気にやってきてハネリは笑顔になりやがて二人は仲良しになりました。そしてその年のアンネの誕生日パーティで彼女は父のオットーから誕生日プレゼントに日記をもらったのでした。アンネは作家、ハネリはおばあちゃんになり沢山の孫に囲まれて暮らすという夢がありました。二人とオットーと遊園地で遊ぼうとしましたがユダヤ人という理由で入場を拒否されました。そんなある日アンネが学校に来なくなりました。スイスに逃げたとハネリは聞きました。そして間もなくハネリはトラックで連れていかれました。それをミープから聞いたアンネは涙を流しました。
アンネの追憶のネタバレあらすじ:承
そしてアンネの隠れ家にもついにドイツ兵が来てしまいました。誰かが密告したとのことでした。アンネは日記を置いて連れていかれました。列車の中でペーターは平和になったら結婚しようとアンネに告げてその後男女で分けられました。収容所でもアンネはアンネは子供たちに歌を歌おうと言い優しく接しました。しかしその子供らがガス室に連れて行かれました。アンネは何か知りませんでしたが、女性看守から聞きショックを受けました。
アンネは女性看守にパンを渡しその交換で紙と鉛筆が欲しいと言いました。もらえましたが結局別の看守に捨てられました。
アンネの追憶のネタバレあらすじ:転
アンネとペーターは柵越しでしたが一回会うことができました。その頃ハネリは捕虜用の特別収容所にいて家族でいることができました。その後アンネ、マルゴー、エーディトは別の収容所に移動となりそこでアンネとハネリは柵越しでしたが再会することができました。そして平和になったら学校に行こうと約束したのでした。その頃オットーとペーターのいる収容所に連合軍がせまっていたので、ドイツ兵から残るか動くかを決めろと命令されました。オットーは高熱があるのと家族を探すために残ることにしました。ペーターは動くことにしたのでオットーは靴を渡してあげました。ペーターはオットーにアンネと結婚すると約束したことを伝え去りました。
アンネの追憶の結末
そして連合軍がやってきてオットーは自由の身になり家族を探し始めました。ミープと再会し妻のエーディトはダメだったと告げられました。そして取っておいたアンネの日記を手渡されました。病院でオットーはハネリと会いアンネと会ったことを知ることができました。ハネリの父は亡くなってしまいオットーは父親代わりになりたいと言いパレスチナの叔父の元へハネリと妹のラビを飛行機に乗せてあげたのでした。そしてオットーの元に手紙が届きました。それはアンネが亡くなったという報せでした。それから44年が経ったアムステルダムでオットーは子供だちにアンネの話をしていました。人は決して人を攻撃してはならない、法を守るかは我々人間次第であり、それが自由だと言い、自由とは人を傷つけなければ、穏やかに眠れることで、自由とは善であり、毎日実行することは難しいことなんだと話しました。子供たちはオットーに惜しみない拍手を送りました。その後ハネリはエルサレムで孫たちに囲まれて暮らすという夢を叶えられました。
1959年といえば、フランスではヌーベル・バーグが台頭してきた年だ。
ジャン・リュック・ゴダール、ルイ・マル、フランソワ・トリュフォー、そしてアラン・レネなど、既成の映画製作の常識を打ち破る、新しい波が押し寄せていた。
しかしアメリカでは、この静かな名作が製作されていた。もちろん、原作はアンネ・フランクだ。
私は自慢じゃないが、原作は読んでいない。
しかし映画には深い感銘を受けた。私が知る限り、そういう方も結構いらっしゃるのである。
コロナで外出が自粛となっただけでこれほどストレスなのに、アンネたちの屋根裏部屋での生活は、どんなに息が詰まるものだっただろう。
アンネがただひたすら日記を書き、それが世界中の人々に読まれるようになった時、既に彼女は若くしてこの世にいなかった。
私たちはまだ、平和で戦争のない世界というものを実現していない。
そういう意味では、文学や、映画の力は微々たるものだと言わざるを得ない。
しかし、それでもアンネは最期に書いた。
「人間の善意は永遠に失われないと信じています」と。
そうした善意ある人々によって、この日記は後世に受け継がれていくだろう。
そして多くの方たちと同様に、決して2度と戦争は起こらないと、私は信じたいのである。