麻雀放浪記の紹介:1984年日本映画。麻雀小説作家として知られた阿佐田哲也の同名小説を映画化した作品。戦後復興期の東京を舞台に麻雀の世界に足を踏み入れた少年が様々な博徒たちと出会い、勝負の世界で逞しくのし上がっていく様を描いた痛快な娯楽映画です。イラストレーターの和田誠による映画初監督作品です。
監督:和田誠 出演者:真田広之(坊や哲)、鹿賀丈史(ドサ健)、加賀まりこ(八代ゆき)、大竹しのぶ(まゆみ)、加藤健一(女衒の達)、名古屋章(上州虎)、高品格(出目徳)ほか
映画「麻雀放浪記」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「麻雀放浪記」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
麻雀放浪記の予告編 動画
映画「麻雀放浪記」解説
この解説記事には映画「麻雀放浪記」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
麻雀放浪記のネタバレあらすじ:起
戦後復興期の東京。町をふらついていた17歳の少年坊や哲は暴漢に襲われてしまいます。暴漢の顔を覗いてみれば顔見知りの男上州虎でした。上州虎は坊や哲が軍需工場で働いてい時の同僚であり、坊や哲に博打の打ち方を教えてくれた師匠でもありました。坊や哲は賭博を打ちに行くいう上州虎に一緒に連れていってほしいと頼み込み、勝ち分の半分を渡すことを条件に賭場まで連れて行ってくれます。賭場では沢山の博徒が集い、チンチロリンという博戯を楽しんでいました。好調に勝ち続ける上州虎が坊や哲から金を借りようとすると、博徒の一人ドサ健から金銭の貸し借りを禁じられ、揉み合った末上州虎は賭場を追い出されてしまいます。取り残された坊や哲にアドバイスをくれたのはドサ健でした。様々な修羅場を乗り越えてきたドサ健の生きたアドバイスのおかげで坊や哲は勝ちを重ね、得た金でドサ健と飲みに行きますが、酒代のほかに博打の授業料としてしっかり金を差し引かれてしまいます。坊や哲はチンチロリンで出会った博徒のおりんからオックスクラブという雀荘を教えてもらい、一稼ぎしようとドサ健と一緒に店へ乗り込みます。
麻雀放浪記のネタバレあらすじ:承
オックスクラブには日本人のみならず沢山のアメリカ人達が麻雀を打ちに来ていました。坊や哲は右も左もわからぬまま雀卓に座らされ、アメリカ人達を相手に麻雀を打ち始めますが、すぐに負けが込み始めます。ドサ健から何とか粘れとアドバイスされた坊や哲でしたが、肝心のドサ健は早々に勝負を切り上げ、坊や哲を置き去りにして帰ってしまいます。取り残された坊や哲はなおも負け続け、挙句に金を持っていないことが発覚するとアメリカ人からボコボコに殴られてしまうのでした。オックスクラブのママは怪我の手当てをしてやり、落ち込む坊や哲を自宅に泊めてやります。坊や哲を気に入ったママは博打の世界にはボスと手下と敵の三つしかいないと彼に教え込みます。恋仲になった二人はコンビを組むことになり、坊や哲はママに付いて一から麻雀の手ほどきをうけるようになりますが、同時に勝つためのイカサマ技も習得していきます。別の雀荘へも出入りするになった坊や哲は並外れた麻雀の腕前を持つ玄人(バイニン)の出目徳と出会います。上州虎の親友でもある出目徳の家に居候することになった坊や哲はタダで泊めてもらう代わりに出目徳の手下になり、コンビを務めることになります。
麻雀放浪記のネタバレあらすじ:転
コンビで協力して天和を仕込む「2の2の天和」などのイカサマ技を伝授された坊や哲は出目徳とともに様々な雀荘で稼ぎを増やしていきます。出目徳の次の狙いは上野界隈で荒稼ぎをしているドサ健を叩きのめすことでした。ドサ健の恋人まゆみが営む雀荘の喜楽荘に乗り込んだ出目徳はドサ健に勝負を挑み、坊や哲と組んで必殺技「2の2の天和」を駆使して勝ちを積み重ねていきます。有り金を使い切ったドサ健はついには喜楽荘の土地の権利書まで持ち出し勝負に挑みますが、為すすべもなく惨敗します。その後まゆみは無一文になってしまったドサ健を支えるためにキャバレーで働き出します。一方博打を打つ金の無いドサ健は日がな一日ぶらぶらして過ごしていましたが、まとまった金を作るため雀荘仲間の女衒の達にまゆみを売ることを思案し始めます。ドサ健に惚れ込んでいるまゆみは苦悩の末女郎になることを決意しますが、情け深い女衒の達はひとまずまゆみの身柄を預かることにしました。喜楽荘の主人となった上州虎はまゆみを引き取りたいと言い出し、店の権利書とまゆみを賭け女衒の達に勝負を挑みますが、敗れ去ります。坊や哲は女衒の達からドサ健が出目徳ともう一度勝負をすると宣言したことを知らされます。
麻雀放浪記の結末
坊や哲は久しぶりにオックスクラブを訪ねますが、店はガサ入れにあってすでに閉店しており、ママとも連絡が取れなくなってしまいます。孤独に打ちのめされる坊や哲でしたが、出目徳とのコンビを解消して一人勝負の世界に生きることを決意します。そしてついに出目徳とドサ健の勝負の日がやってきました。出目徳と坊や哲、ドサ健と女衒の達の4人による勝負が幕を開けると、まず出目徳と坊や哲が好調に勝ちを重ねていきます。さらにドサ健も次第に勝負強さを取り戻していきます。そしてドサ健は勝運に見放された女衒の達からまゆみと喜楽荘の権利書を取り戻すことに成功します。夜になっても女衒の達の一人負けが続いていましたが、やがて出目徳の体調に異変が生じはじめます。出目徳は身体を小刻みに震わせたかと思うと、雀卓に突っ伏したまま絶命してしまうのでした。ドサ健は死んだら負けだとつぶやき、出目徳の所持金や身に付けていた金品をすべて取り上げてしまいます。そして三人は三輪自転車の荷台に遺体を乗せ、出目徳の自宅の前に亡骸を葬ります。ドサ健は出目徳の亡骸を見下ろしながらいい勝負師だったとつぶやき、女衒の達も出目徳のような玄人(バイニン)になってみせると気概を見せます。三人は勝負を続行することにしました。帰路の途中で勝負に参戦することになった上州虎も合流します。ドサ健と女衒の達を自転車に乗せて、坊や哲は喜楽荘へと急ぎます。
麻雀で志を立てようとした経験の有無に関わらず、一度でも牌を握ったことのある人間全てのバイブル。それが故・阿佐田哲也氏が著された『麻雀放浪記』なのです。その世界観が見事に映像化された本作は、ギャンブルに取り憑かれたピカレスクロマンであり、陽の当たることの無かった救いようの無い生き地獄を克明に曝し出した金字塔でもあるのです。舞台は敗戦直後の東京。明治以来の日本人の信念を、自らが生み出した暴力よりもさらに上回る圧倒的な暴力によって覆され、打ちひしがれた、あの「時代」です。人々は様々な意味で飢(かつ)えていました。胃袋だけではなく、信じていた世界が無残にも崩壊した、先の見えない混沌の中で、新たに生まれようとしている秩序が通用しない世界に蠢く無頼漢達。玄人(バイニン)と呼ばれるプロの博打打ち達です。その只中に飛び込んだ一人の青年。本作の主人公です。刹那的な快感は死と裏表であり、その間際まで自らを追い込むことで、拾った生の躍動を感じていたことでしょう。彼は自らに与えられた才覚と度胸で、四面楚歌である怪人物達の巣窟に挑む日々が続き、見事に勝利をもぎ取る事も有れば、逆に無一文で街を放浪するような荒んだ生き方を選びました。そこで出会ったのが本作のもう一人の主人公(ある意味で真の主人公)である仇敵でした。息詰まるような麻雀の打ち方が本当に凄い。一枚ずつ牌が打たれる毎に生命の躍動を感じさせるような演出が。敢えてモノクロとした理由がよく理解出来る世界観でした。麻雀における難事は幾つかが挙げられますが、究極の上がり手を完成させる伝説のシーンが素晴らしい出来栄えでした。しかしその代償に生命を差し出したかのような、青年の師匠筋の人物の死に対して、卓を挟んで勝負を挑んでいた男達は青年も含めてその死に対して何らの敬意も表すこと無く、その老人の全ての持ち物を容赦無く剥ぎ取る所にやるせなさを感じました。「死んだら負けだ」。それぞれが抱える問題のために博打を打つ彼らにしてみれば他人のことなどに構っていられないという非情に身震いを感じたくらいです。傍目から見れば、その姿の中には確かに普通の生き方しか出来ない凡人から超越した何かを感じることは出来るのです。でも私は凡人で良かった。凡人であることこそ日常の幸福の証拠なのだと。それを教えてくれた映画でした。