ヒッチコック/トリュフォーの紹介:2015年アメリカ,フランス映画。映画監督たちの必読本の元となったヒッチコックとトリュフォーの対談と共に、ヒッチコック作品を映画作りという観点から分析する。
監督:ケント・ジョーンズ 出演者:マーティン・スコセッシ、デヴィッド・フィンチャー、アルノー・デプレシャン、黒沢清、ウェス・アンダーソン、ジェームズ・グレイ、オリヴィエ・アサイヤス、リチャード・リンクレイター、ピーター・ボグダノヴィッチ、ポール・シュレイダー、アルフレッド・ヒッチコック(アーカイヴ映像)、フランソワ・トリュフォー(アーカイヴ映像)
映画「ヒッチコック/トリュフォー」ネタバレあらすじ結末と感想
映画「ヒッチコック/トリュフォー」のあらすじをネタバレ解説。予告動画、キャスト紹介、感想、レビューを掲載。ストーリーのラストまで簡単に解説します。
ヒッチコック/トリュフォーの予告編 動画
映画「ヒッチコック/トリュフォー」解説
この解説記事には映画「ヒッチコック/トリュフォー」のネタバレが含まれます。あらすじを結末まで解説していますので映画鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。
ヒッチコック/トリュフォーのネタバレあらすじ:起・必読映画教本
トリュフォーが刊行したヒッチコックの全作品に言及した対談本『ヒッチコック/トリュフォー』は、現在活躍する映画監督たちにとって入門書でもあり、映画作家が映画作法について語り尽くしている。ヒッチコック作品の正当な評価はこの本のおかげとも言える。
1962年、既にサスペンスの巨匠として名を馳せていたヒッチコックは63歳、トリュフォーは31歳の気鋭の監督だった。彼がヒッチコックにインタビューをしたいという手紙を送ると快諾され、世代も教養も違う二人は映画について一週間、毎日七、八時間、同時通訳を介し語り合った。
ヒッチコックは、技師から広告デザイナーに転身したことがきっかけで映画に関わり、23歳で初めて監督をし、1923年にはイギリス初のトーキー映画を作った。そして、ハリウッドに招かれると、アメリカ映画を新しくした。
トリュフォーは同人で批評を書き始め映画を撮り始めた。ヌーベルバーグの若い監督として活躍を始めた。彼は恐怖を美にまで高めるヒッチコックの映画に特に学んでいた。
ヒッチコック/トリュフォーのネタバレあらすじ:承・映画的空間
ヒッチコックはヒットを飛ばす度に、批評家からはおもしろいだけで中身が無いと酷評された。
しかしヒッチコックの作る作品は、どのカットも数学的に正確で完璧だった。だからこそ俳優ともめる事もあった。それでもスターを役に起用し、スターが出ているから観客も入った。
第二次大戦が終わると、演技にも大きな変化があり、アクターズ・スタジオ(俳優養成所)の時代が訪れた。彼らは演技がしっかりしていて、安心でき使いやすい俳優だった。そんな中、ヒッチコックは古典的なスターを好んだ。
思い通りに演技してくれない時、トリュフォーはシーンを生かすために台詞を変えるなど、現場で即興的に行う事もあった。それに対しヒッチコックの映画作法は厳格だが明晰、映像の明晰さを究め、精神的な物を自由に表現できる明晰さがある。そのアングルは『神の視点を感じさせるアングル』が多々あった。セリフなしに物語を語るように構成し、夢のようなフィーリングも表現できる。サイレントシーンは映像そのものに力があり美しく、ヒッチコックの映画はサイレントとしても見られる映画だった。
ヒッチコック/トリュフォーのネタバレあらすじ:転・異色作とヒット作
ヒッチコックの中でも異色作の『めまい』、ネクロフィリア的な嗜好の情緒不安定な男の話は、愚作を酷評されたがカルト的な人気を誇る。人物はリアルだけれど、夢の中にいる。映画は夢の世界。男の視点だけで語られる物語は、幻想と現実が重なり合うように描かれ、物語を辿るのは難しかった。大作としては失敗した作品だった。しかしそれは観客動員数で決めるハリウッドの尺度であり、『めまい』は失敗作とは言い難い。
撮影所時代の監督は観客に心を配った。同じようにヒッチコックも常に2000人の観客を頭に入れていた。ゆえに、彼の映画は観客に寄り添うように語り掛ける。また、どんな映画でも、きちんと作られていれば日本でもインドでも観客は同じように感動すると考えて映画を作っていた。
今では観客も映画と共に変わり視覚的なクライマックスばかりでストーリも無い映画が多い。ヒッチコックの映画は秩序のある世界だった。暴力も破壊も秩序ある構造の中で表現されていた。
『サイコ』はミスディレクションの典型作品で。時が経ち世界は変わったけれど、当時も今もヒッチコックの傑作として変わらない。この作品が大衆に受けた事を、ヒッチコックは喜んでいた。メッセージ性、演技、原作ではなく、映像と音響、純粋に映画的な表現技術で世界中の観客の心を動かす、映画作家(フィルムメーカー)の誇りだった。
ヒッチコック/トリュフォーの結末:ヒッチコックとトリュフォー
対談が本になった後も二人の手紙で二人の友情は続いた。その後トリュフォーは毎年映画を撮り続けるが、ヒッチコックは三本だった。晩年、ヒッチコックは方向転換を図るべきか、古い方法に固執するべきか、手紙でトリュフォーに問いかけている。
1979年、ヒッチコックは撮影を断念し、プロダクションを閉じ、スタッフも解散した。そして翌年亡くなった。その死の四年後、トリュフォーも52歳の若さで亡くなった。最後の仕事は、ヒッチコック本の増補新版の出版だった。
以上、映画「ヒッチコック/トリュフォー」のあらすじと結末でした。
ヒッチコック/トリュフォーのレビュー・考察:映画という娯楽
ヒッチコックは、ハリウッドのいわゆる商業映画監督だった。しかし彼の確立した映画の撮影法やアイデアは今でも通用するほどに革新でもある。サイレントからトーキーに、モノクロからカラーに、映画の転換期に変わらず撮り続けていたその延長線上に、娯楽が乱立する中で映画文化が生き残っているように思う。
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